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「健常者」っているの?②

こんばんは、くつばこのりこです。先日あがったうたの「健常者」っているの?のnoteを読んで、私の考えを書いてみようかなと思いました。

☆「障害者」=「社会で障害に直面している人」

私は障害の社会モデルを軸に考えています。くわしくはこちらのnoteをどうぞ。

その考え方の中で、「障害者」という言葉は「社会で障害に直面している人」というニュアンスで使っています。(というかそもそも、無意識で「障害者」という言葉は使わないような気がします。「(社会で)障害のある方」と書くことが多い気がします。)
この定義の中で考えると、人生の中で社会でたくさんの人が「障害」に直面しているし、「誰でも障害者」といえるのかもしれません。でも。

☆制度上の「障害者」は限られる

そのような「障害」を抱える人のうち、社会が大多数に合わせた作りをしているせいで生きづらくなっている人を共助するため、「障害者」を線引きし、各種障害者手帳を発行する中で社会を公平にしようとしています。ある意味、救うべき人を救うために「障害者」を区別することは、社会の責任を果たすためでもあると思います。
例えば、すべての人が利用できるべきである公共交通機関の電車を利用するときに、階段しかないホームだと車いす利用者が歩行者と同じように電車に乗れません。これは事実の問題で、区分けして支援をするべきです。また、進行性の病気を伴う障害や、生活をするうえで必要な器具にお金がかかる場合、その費用をサポートすることも必然でしょう。
だからこそ「障害者」と区分けする必要はあります。しかし実際、「障害者」という言葉=「自身が障害を持つ人」という意味という考えは一般に支持されているものの一つであり、そこの意識が少しでも早く変わればよいなと思います。変えたいなと思います。

☆「自分も障害者」というのはおこがましい

そんな、社会が障害を生んでいる中で、その社会の構成員が「自分も障害者なんだよ」というのはおこがましい、無責任だと私は思ってしまいます。社会を構成する誰もが、「障害者を排除している社会」に加担していると思うのです。ただここで矛盾するのが、「障害者」も社会の構成員だということ。ここについてはもうちょっと考えてみたいです。

☆「健常者」の言い方

最後に、「健常者」という言葉の使われ方についてですが、私はあまり使いません。「健やかで通常な者」と聞こえるのがいやだからです。なんとなく。私がよく使うのは、「非障害者」という言葉です。「非障害者」である限り、「障害者」が中心で議論を進められると思うからです。ただそもそも大事なのはどの言葉をチョイスするかではなく、どのような背景的な意味が付随するかです。1つだけ、私が「この言葉は変えるべき!!」と思うものがあります。その言葉については後日またnoteで紹介します。

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