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見下しに何も言えなかった日

親戚との会話で、悔しい思いをしました。
こんにちは!くつばこ+のせんです。前にうたが紹介していた「こどもしょくどう」を見ました。セリフは少なめで、見ている人がいろんなことを考えられる作品でした。

☆親戚との会話

この前のゴールデンウィークに、せんの家族と従姉妹の家族が祖母の家に集まる機会がありました。ご飯を食べながら各々の近況の話に。そこで、せんが高校と特別支援学校の教育実習に行く話から、せんやせんの妹、そして叔父が通っていた中学校の特別支援学級の話になりました。その中で叔父が、「〇〇(特別支援学級の名前)の子は、“あー”とか“うー”とかしか言わんで、2歳児みたいやった」と言ったんです。いかにもバカにしたような言い方で。この発言に対して、いろんなことがぐるぐる頭の中で浮かんでは消えてを繰り返していましたが、結局「発語がない子もいますからね」としか返せませんでした。それがすごくすごく悔しかったです。

☆「知らないから」なのはわかってるけど…

叔父は、難関国立大学を卒業して有名企業に入ったいわゆる「エリート」なんだと思います。勉強はできるのかもしれませんが、自分よりできない人を見下すような言い方をする場面がちょくちょくあって、昔から苦手でした。常に「できる人」の中で過ごしているので、「今まで関わったことがないから、世間のイメージでしか知らない」の典型的な例だと思います。
世の中にはそういう人がまだまだたくさんいて、その人たちに何かきっかけを届けたいという思いでnoteを書いたりしていますが、いざその人たちを目の前にすると、何も言えなくて、こんなに悔しいんだ…となりました。

☆まずは身近な人から

今回せんは、「発語がない子もいますからね」の一言で終わらせてしまって、ちゃんと向き合えませんでした。でも…
「たとえ知的能力やコミュニケーション能力が低くても、その子はその子から世界を見ていて、いろんなことを感じて考えてる。それを知ろうとしないで見下した言い方をしないでほしい。自分のものさしで測らないで。」
もしあそこでせんがこうやって伝えられていたら、叔父にとっても、そこにいた従姉妹にとっても、気づくきっかけになったかもしれません。そのきっかけを自分で潰してしまったことが、何よりも悔しかったです。

「社会の意識を変えるには、まず身近な人から」 よく言われることですが、今回改めてそうだなあと感じました。次があるかわかりませんが、ここぞというときに伝えるチャンスを逃さないようにしたいです。

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