合理的配慮、とっても大事

 あれほど配慮に難色を示していたみうが配慮申請に前向きになった理由とは?
 こんにちは!くつばこのみうです。3月に入り、暖かくなってきましたね。寒がりのみうは、天気がいいとそれだけで一日テンションが高いです。
 明日もいい天気になりますように!

 今日は、合理的配慮の第三弾。あまり思い出したくはないものの、とっても大切なことを学べた思い出をお話しします。

☆前回二回のまとめ

 昨日・一昨日のnoteでは、
・合理的配慮は障害学生の権利でもあり、それを享受するためには義務もある
・ただし、いくら義務を果たしたと言っても、試験の特別措置には「特別扱いが嫌」「自分で認めたくない」という気持ち以外にも心理的な負担が大きい
というお話をしました。
 今日は、それらを踏まえた上で、やっぱり合理的配慮を求めることって大事だなと実感した出来事についてご紹介します。

☆配慮を求めるわけ

 昨日あれだけ配慮を求めるデメリットをお話ししてきたところですが、それでもなお、合理的配慮を求めようと思う理由、それはデメリットを踏まえた上で「自分の利益」がどれだけあるか、が重要なポイントになります。
 配慮を頼むのは自分のため、ということは配慮をよく頼むせんも感じていると言っていましたね。


 上記の心理的負担と自分の利益を天秤にかけて、それでも十分に自分の利益があると思えば申請をすればいいし、自分一人の利益のためにそこまでお願いするのが忍びないと思えばやめればいい、というのが現時点でのみうの考え方です。

☆とっても大事

 三日間にわたって続けてきた合理的配慮のお話ですが、最後に配慮依頼は心理的に難しいことだけれど、それでもとっても大事であるというお話をして終わろうと思います。

 昨日のnoteで書いたように、中高と騙し騙しやってこれていたのですが、障害の程度の進行に伴い、問題文が読めない・解答欄がわからない・名前を書くことすらままならないなど、配慮をお願いしないとテストを受けること自体が難しくなりました。
 そこで初めて配慮をお願いするようにしたのですが、急に配慮をお願いすると言っても、視覚障害のある生徒の配慮事項は私も学校側もよくわからないので、常に手探りです。
 「配慮の仕方」に慣れないまま迎えてしまったツケは、大学入試で回ってきました。

☆配慮申請の失敗が受験の失敗に直結

 配慮を求め慣れていないまま、つまり、「自分にとっての適切な配慮」をよくわからないまま、二次試験を迎えてしまいました。
 高校の定期テストなどで回数をこなしていくうちに自分に必要な配慮をきちんと理解できるようになった気でいました。しかし、学内のテストでは、テスト中に見えないところがあったら教えてもらう、スペース的に書けないならその場で回答用紙を増やしてもらう、などというとても甘やかされた環境で過ごせていたんです。そのため、「とりあえず少なめに見積っておいて、どうしても無理だったら後でお願いすればいい」という間違った常識を持ってしまいました。
 しかし、大学受験ではそうはいきません。
 配慮申請が不十分だったみうは、国立の二次試験当日解答欄が小さすぎて解答欄がわからない・自分が書いたものを読み返せないという状況に陥り、センターの結果だけで言えば安全校だったはずの第一志望に落ちました。

☆負け惜しみから学んだ大切さ

 もちろん、リサーチは単なるセンターの結果のみから得られる判定なので、配慮をきちんと申請していたから受かったかどうかもわかりません。しかし、それでも「もし配慮を適切に依頼できていたら」というたられば妄想が頭をよぎって仕方がありませんでした。
 あまり前期で落ちるつもりのなかったみうは、何も考えずに後期も同じところに出していて、結果なんとか引っかかったので、最終的に首の皮一枚繋がってはいます。
 たとえD判定の中卒業式前日に半泣きで受けていたとしても、前期で落ちた経験があるからこそ配慮申請がとても重要だと学べた出来事だったとも言えるかもしれません。前期の比じゃない倍率とボーダーの高さに泣きそうになっていた2年前のみうに言ったら激怒されそうですが…(そもそも結果として第一志望に受かったからこんなに呑気なことを言えるんでしょうね笑)

☆最後に

 3回に渡って、合理的配慮に関する条件と葛藤、それにお願いしづらい気持ちがありつつもやっぱり大事だよねっていうお話をしてきました。
 受験で落ちて以来、少しは配慮に前向きになれたような気がします。
 結局私が本当に配慮の重要性を感じたのは試験に落ちてからですし、しかもそれは配慮があれば受かってたんじゃないかという未練が大きく残るから、という失敗談を経てからでした。
 そもそも今考えると、「とりあえず少なめに見積っておいて、どうしても無理だったら後でお願いすればいい」というのは私の「健常者よりの方法でやりたい」しか尊重されておらず、先生からしたらいい迷惑ですよね。今後は他人の迷惑も考えながら申請内容を吟味します!

 一昨年の今頃は落ちたことを確信して後期対策に明け暮れていた日々を送っていました。みんなより少し遅めに終わった受験が、今の学びにつながっていたらいいな、なんて思います。
 さて、ここまででみうと配慮申請についての昔話3本をおしまいにします!
 だいぶ長くなりました。お付き合いくださりありがとうございました!

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