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老害って誰の事?

たくでございます。多読の私ですが、ショーペンパウエル著の「読書について」では「読書は他人に物を考えてもらうことである―」と読書だけに耽る多読は思考能力を奪ってしまう弊害であると否定的でした。うおおおおお…心を…打ち砕かれました…。本が本を読むことを否めていることを述べているのは何だかおかしな話ですが、自分の頭で考える力を養われなければ、薬にも毒にもならないただの自己満足にすぎなくなってしまうのでしょうね。ダイエットや禁煙、禁酒もこういう苦労をしているのかな…と考えつつ片手に本を持ちました。

☆老害は単に年老いた方を指しているわけではない。

「昔は~」「これだから今の若者は~」と自分の時代を持ち込んで保守的な意見を述べて曲げない高齢者の方を「老害」と呼ぶのをSNSやニュースなどでよく見かけるようになりました。このレッテルの適用条件は、単に年老いたかつ今の時代の意見を聞き入れない保守的な考えを持っている方だけに限らず、わずか数年しか離れていない世代においても適用されます。例えば、高校の部活を卒業したにも関わらず未だに部活内容に口出ししてくるOBや、大学でサークルを抜けてなお方針に文句言ってくる先輩も「老害!」と認識されます。(実体験ではありません!一般的な話です!)

☆新たな価値観を理解するのは難しいことなのか?

常識や価値観を知らない子供の方が新たな価値観を受け入れるのが容易であると同じように、何も知らない状態が最も価値観を寛容する姿勢が柔らかく、客観的でもあります。相対的に長く居続けて、その時がもっとも都合が良いと感じた経験者は、その心地よさをそのままにしたいがために保守的になりがちになるのかもしれません。中には確かな根拠があったうえで変えたほうが良い、変えないほうが良いというものあると思いますが、背景が全く異なるので折衷案を生み出すのは大変難しいと思います。現に、昔はテレビばっかり見ているとバカになると言われたのに、今は家族のコミュニケーションのきっかけを作ってくれるいいものだと言われるようになってますし、スマホが普及し始めたころは電車の中でいじる人は見苦しい!という意見があったのに今は普通になっています。むしろ常識や価値観を知らないことが、新しい価値観が新たな時代や利便性を向上させているきっかけにもなっているように感じます。

☆どっちも大事だよね

ただ、新しいものがいい!伝統的なものがいい!とどちらかを否定するつもりはないのです。それでも、誰かにとってマイナスとなる慣習はどんどん消していったほうが良いですし、昔からあるとてもいい慣習は残したほうが断然良いに決まっています。新しいものしかないと、いつでも“そこにある“という拠り所が無くなって不安になりますし、古いものしかないと息苦しいです。「誰でも障害者になり得る」とはよく聞きますが、事故や病気などの外的要因によって起こり得る話であって、絶対に誰もがなるわけではないのです。しかし、老いは時間が経てば必ず誰しもが直面する話になります。学校然り、社会然り、これから更なる発展があって、私たちでも度し難い新しい価値観が生まれる可能性はあります。そんなときは「君はこれがいいんだ⁉️へえ~。でもわたしはこれがいい。」とお互いの選択を尊重し合えたらいいなと思っています。

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