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ヒッチコック(4/4)

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4/4

「ぐおおおお!」

 押されながらもヒッチコックは必殺の水平斬りチョップを放つ。

 竜骨はそれをかわして相手の腕を掴み、地面へと引き倒した。すかさずそのみぞおちに右腕で瓦割りパンチを入れた。

 ドゴォ!

「「セエエエエエエエエアアアアアア!」」

 ドゴドゴドゴドゴ!
 さらにパンチを連打!

 白骨の右腕が刃に変形する。二人はその切っ先をヒッチコックの喉下に突き入れた。
 ドスッ!

 ヒッチコックは目を見開いた。全身を痙攣させ、口を大きく開く。

「……ゴボォッ!」

 口の奥の暗闇から真っ黒な血を吐き出した。


* * *


「天国に行けなくなっちゃうよ、朧……」

 山中を走る高速道路の路上。

 一台の車が横倒しになり、炎上している。汚染された小雪が舞う、真冬のある日のことだった。アスファルトに跪いた朧の腕の中で、小鷺は息絶えようとしていた。朧自身も全身を撃たれていた。

 朧は手練れの殺し屋だ。追っ手を次々に返り討ちにする彼に、桐墨は業を煮やし、とうとう血盟会の手を借りた。服従を誓う代わりに滅却課に始末を任せたのだ。

 その血族は小鷺と朧に致命傷を負わせた後、去って行った。後には二人だけが残された。

「お願い……誰にも復讐しないって約束して。これ以上誰も殺さないで……」

 小鷺は息も絶え絶えに言った。

「そしたらね……私たち、ずっと一緒にいられるよ。そこがきっと天国だよ」

「……」

「ずっと一緒……ずっと一緒だよ……」

 朧は血の涙を流し、小鷺の呼吸が消えて行くのを胸の中で感じていた。

 やがて朧は小鷺の屍を抱いて、高速道路を歩き始めた。どこへ向かっているのか自分でもわからない。小鷺の骸から抜け出した魂を探していたのだろうか。

 朧はとうとう倒れた。雪がしんしんと降り続けている。氷のように冷たいアスファルトと同じく、自分の体からもあらゆる熱が消え失せようとしていた。冷たくなって行く小鷺の体とともに。

 朧は呟いた。

「天国なんかない」

 そのとき一羽の黒い小鳥が朧の背に舞い降りた。小鳥は朧の体の中に吸い込まれるようにして消えた。その瞬間、朧は人間でなくなった。

 傷は塞がり、体内に爆発的な熱が発するのを感じた。彼はむっくりと立ち上がった。

 車が通りかかった。路上に立っている朧にドライバーは驚き、急ブレーキを踏んだ。運手席のウィンドウが開き、顔を出した運転手が喚いた。

「何してんだボケ! どけ!」

 朧はその男に人差し指を向けた。血は記憶している。その力を。たった今授かった凶鳥家の能力を。指先に暗闇がわだかまり、黒い小鳥が生まれた。
 ピチチチ……!

 彼を止めてくれる少女はもういない。鳴き声を上げながら弾丸のように飛び出した小鳥はフロントガラスを突き破り、運転手の胸を貫いた。運転手は何が起きたかわからないまま死んだ。

 死んだ運転手を引きずり出し、朧は小鷺を後ろの座席にそっと寝かせると、運転席に乗った。

 その後、朧は殺し続けた。桐墨も、その家族も、部下も、警官も、邪魔する者も、追ってくる者も。小鷺を殺した滅却課の血族にたどり着くまで殺して、殺して、殺し続けた。彼を止められる者はもうどこにもいなかった。

(天国に行けなくなっちゃうよ)

 時が過ぎるに連れてその声はだんだん小さく、遠くなっていった。朧の中にはもはや暗黒しかなかった。

 仇を討ったあと、彼は滅却課課長の九楼に気に入られ、血盟会に入った。

 凶鳥家のヒッチコック。それが朧の新たな名だった。


* * *


「天国なんかない!」

 ヒッチコックは血を吐きながら絶叫した。

「あるのは! この世の地獄だけだ!」

 彼は倒れたまま竜骨に蹴りを入れて突き飛ばした。再度血を吐く。片手で喉を押さえ、ふらつきながらリップショットの元へ向かう。もはや執念のみによって動いていた。

 リップショットはぎょっとし、必死に這って逃げた。もはや立ち上がるだけの体力もなかった。

 ヒッチコックは後を追ってくる。リップショットは振り返り、ドレッドノート88を抜いた。連射!
 ドォン! ドォン!

 ビシッ。ビシッ。
 銃弾は立て続けにヒッチコックの胴体に命中した。だがヒッチコックはひるまず前進を続けた。

 カチッ。
 ドレッドノート88の撃鉄が空の弾層を叩く。弾切れだ。リップショットは銃を捨て、必死に這った。壊れた迫撃砲にたどり着くと、弾薬箱を外そうとした。だが金具が歪んでいる上、片手では外せない。

「リップ!」

 倒れた竜骨が最後の気力を振り絞り、自分の右腕から白骨の腕をもぎ取った。それをリップショットに投げ渡す。リップショットは鵜でを受け取って装着すると、急いで弾薬箱を外しにかかった。

 ヒッチコックがリップショットに追いついた。血の涙を流した眼でリップショットを見下ろす。

 リップショットは弾薬箱を外し、砲弾を取り出した。

 ヒッチコックの背広とコートを突き破り、大量の小鳥が飛び出す!

 その寸前、リップショットは砲弾を左手で持ち、弾頭をヒッチコックに向けた。白骨の右手の人差し指で砲弾の雷管を突く!

 カチン! ズドォォオン!
 ヒッチコックは散弾に飲み込まれた。同時に反動でリップショットがひっくり返る。

 もはや人型すら保っていない、穴だらけのぼろ切れと化したヒッチコックは、しばらくは真っ直ぐに立っていた。

「俺を――」

 ヒッチコックは仰向けに倒れた。

「止めてくれ……小鷺……」

 ヒッチコックは耳を済ませた。だがあの子の声は二度と聞こえることはなかった。

 ピチチチチチ……!
 沈んだ船から逃げ出すネズミのように、死んだ主から黒い小鳥の群れが飛び立った。次の凶鳥家の血を継ぐにふさわしい者を求め、各地に散って行ったのだ。

 その場に残されたのは背広とロングコートのみだった。その中に包まれるようにしてただ一羽、真っ白な小鳥が死んでいた。


 時間にすればさほど長くはなかったが、二人からすれば永遠に続くとも思われた死闘だった。

 竜骨は昴のほうに向かった。天然麻薬《オー》の鎮痛効果を越えて折れた手足が再び痛み始めていたが、そんなことはどうでも良かった。

「昴!」

 リップショットは彼に背を向け、うずくまっていた。

「ありがとう」

 ふと、リップショットが漏らした小さな声に、竜骨は足を止めた。

「一瞬負けるかも……って思った。でもね、負けるわけにはいかなかった。だって、二度とあなたに会えなくなるもん」

「えっ? えっと……」

 竜骨は傷の痛みも忘れ、急にどぎまぎした。

 二人の絆は今も確かに息づいていたのだ。それを改めて知ることができて、流渡は嬉しかった。咳払いし、高鳴る胸を手で押さえると、落ち着き払って言った。

「みんな君のおかげだよ。本当に」

「ありがとう。おかげで次の月曜日をまた迎えられる……」

「うん?」

 竜骨はいぶかしんだ。月曜日と言えば、昴にとっては週刊少年ボンドが発売される、一週間で一番重要な曜日だ。

 そろりと彼女の正面に回り込むと、リップショットは手にしたライオットのぬいぐるみに話しかけているのだった。

(ああ、うん……そっちか)

 ぬいぐるみを大事そうに懐にしまい、リップショットはよろけながら立ち上がろうとした。竜骨が手を貸したが、足腰に力が入らず一緒に倒れた。

 二人はしばらく、並んで倒れていた。

 リップショットが隣の竜骨を見た。おずおずと拳を突き出す。竜骨は少し戸惑ったあと、そこに自分の拳をぶつけた。


(続く……)


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