ヒッチコック(1/4)
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銃を持つ男の手に幼い少女がしがみついた。
「殺しちゃダメ!」
満身創痍の男は少女を見下ろした。少女は男を見上げた。
男の銃口は目の前にいる、背広姿の老人に向けられている。老人は恐怖に目を見開いていた。
とある地下施設にある、巨大な金庫室の前。金庫室の扉は開かれており、中には大量の金塊が見える。
老人の部下のヤクザは死体となってあちこちに転がっていた。男が殺したのだ。老人は泡を吹いて喚いた。
「朧《おぼろ》、き、貴様……! 野良犬同然のガキだったお前を拾い、十年も面倒を見てやった恩返しがこれか……!」
「もう殺しちゃダメだよ!」
男の腕に抱きつく少女は力を込めた。
男の名は朧崎《おぼろざき》ミサゴ。通称、朧。天外の大手ヤクザ組織、桐墨《きりずみ》組のヒットマンだった。今回彼が任された仕事はこの少女、小鷺《こさぎ》を守ること。
朧は小鷺を狙ってくる者を次々に返り討ちにするうちに理由を知った。小鷺は先代組長の忘れ形見であり、彼が隠した莫大な遺産の行方を知るただ一人の存在であったのだ。
紆余曲折を経て桐墨組長は遺産の在り処を見つけた。彼はその過程で多くの身内を裏切り、闇に葬っていた。小鷺はもはや邪魔でしかなかった。
だが予想外のことが起きた。朧が親同然であった桐墨を裏切り、小鷺を連れて逃げたのだ。逃避行の末に朧は組織に反撃し、桐墨をここまで追い詰めた。
朧は自分の腕にすがり付いている小鷺を見つめている。
「生かしておけばまた追っ手がかかるぞ」
「それでもダメだよ! だって……天国に行けなくなっちゃうんだよ」
「天国なんかない」
「あるよ!」
朧は長いあいだ小鷺を見つめていた。小鷺は一瞬も視線を反らさない。
やがて朧はため息をつき、腕から力を抜いた。小鷺だけが朧を止めることが出来た。朧自身、なぜ彼女に逆らえないかはよくわかっていなかったが、とにかく朧は小鷺と一緒にいたいと強く思っていた。
桐墨にはもはや構わず、金庫から金塊をいくらか取り出して抱え、小鷺とともにその場を後にした。
「天国は……どこにあるんだ?」
小鷺は朧と手を繋いで笑った。
「思ったより近くにあるってママが言ってた!」
長い長い逃避行が始まった。
* * *
黒い小鳥が群れを成し、夜空を飛んでいる。
群れ全体は水銀のように絶えず形を変えており、地上の竜骨とリップショットへと執拗に降下攻撃を仕掛けてきた。
ピチチチチチチ……!
数千羽の小鳥たちは耳をつんざくさえずりを上げた。
リップショットたちは津波のように押し寄せた小鳥の群れを浴びた。
ドドドドドドド!
それが通り過ぎたとき、地面はえぐれ、周囲の樹木は土石流に飲まれたように薙ぎ倒されていた。
だが二人はその跡地に立っていた。
リップショットが竜骨を庇うように立ち、大きな骨の盾を構えている。血氣遮断能力を持つ聖骨の盾だ。ヒッチコックの放った小鳥たちは一羽一羽が恐るべき貫通力を持った銃弾と化すが、血氣で作られた存在のため彼女の能力で防げるのだ。
リップショットは竜骨に言った。
「決行前に話した作戦のことは覚えてるよね?」
「うん。だけどそれまで耐えられるかな!?」
ガァー! ガァー!
危機を察知した野生の鳥たちがいっせいに飛び立つのが見えた。リップショットと竜骨のすぐ隣を異態生物があわてて逃げて行く。
「何……?」
リップショットは眼を凝らした。
ゴォォォォ!!
竜巻がこちらにやってくる。森の天蓋を貫くそれは、よく見れば大量の黒い小鳥の群れが渦を巻いているのだ。木々を薙ぎ倒し、進行方向にあるあらゆるすべてを削り取ってこちらに向かってくる。もはや天変地異だ。
土や木片を巻き上げながら、小鳥の竜巻が二人の目の前に姿を現した。竜巻内部にかろうじてヒッチコックの姿が見える。ポケットに手を突っ込み、赤い瞳の眼で二人を見ている。
ピチチチチチ!
竜巻を成す小鳥とは別の小鳥の群れが、リップショットと竜骨に向かって再度急降下してきた。
リップショットは竜骨の鎧に触れた。その鎧がたちまち聖骨の盾でコーティングされて覆われた。一方、自分は白骨の右腕を再度盾に変えて身構える。
ドドドドドドドド!
小鳥たちが銃弾の雨あられと化してぶつかってくる!
それは数刻前にも増して強烈で、リップショットも竜骨もあまりの圧力と衝撃にぐらついた。何千という数の小鳥たちがぶつかるごとに少しずつ、少しずつその聖骨の盾が剥げ落ちて行く。
リップショットは眼を見開いた。聖骨の盾が破られる!
「お前の能力は未熟だ。俺の血氣を完全に遮断することはできん」
ヒッチコックは言った。
「血盟会に楯突いた愚かさを呪って死ね!」
リップショットと竜骨は第一波をかろうじて持ちこたえた。
小鳥の群れは空中で旋回すると、再び二人へと襲いかかった。
ピチチチチチチ!
リップショットたちはたまらず両側に分かれ、それをかわした。
ヒッチコックは小走りに二人を追った。彼が纏った小鳥の竜巻が二人に迫る!
ゴォォォオ!
「クッ!」
リップショットが大型拳銃ドレッドノート88を抜き、ヒッチコックに向かって撃つ!
ドォン! ドォン!
聖骨の盾にコーティングされた対血氣弾だ。だが小鳥の竜巻に阻まれ、本体まで届かない。
「ムダだ。お前らに俺は止められん」
小鳥の津波が大地を舐め取るようにしてリップショットたちに襲いかかった。
ドドドドドドドド!
二人とも素早く移動してどうにかかわしはしたが、避け切れなかった小鳥を多少受けた。少しずつではあるが確実に体力を削り取られている。小鳥の竜巻という鉄壁のカーテンに阻まれ、ヒッチコックのほうにも手が出せない。
これこそヒッチコックの必勝パターンだ。彼はこの戦法で数多の血族を破ってきた。
ヒッチコックは少しずつ相手側を追い込んでいく。小鳥は津波となって何度も押し寄せるが、そのたびにリップショットと竜骨は聖骨の盾のおかげでかろうじて致命傷を逃れた。
想像以上のしぶとさにヒッチコックは焦れてきた。
(古参の能無しどもめ! あっさり殺されやがって。さっさとこいつらを始末してブロイラーマンを殺しに行かねば)
ネクタイを緩めて多少襟元を開いた。その奥に満ちている暗闇からさらに大量の小鳥が飛び出した。
ピチチチチチ!!
リップショットたちを攻撃している群れにさらに小鳥が加わった。もはやその巨大な群れは夜空全体を覆わんばかりだった。何たる血氣量!
「次で終わりだ。バラバラになれ」
だがリップショットは好機到来とばかりにニヤリとし、竜骨に頷いた。
「今だ! やるよ、竜骨!」
「わかった!」
リップショットは地面に手を突っ込み、何かを掘り起こして抱えた。個人携帯用に改造された迫撃砲だ。
作戦決行前、リップショットが武器職人から調達したものだ。永久に届けてもらい、竜骨と合流する前にあらかじめ埋めておいたのだ。
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