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18.佐次郎と稲日(3/4)

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3/4

「おあ?!」

 デスクや椅子を巻き込んで佐次郎は床を転がった。

「痛ってぇ、クソ……」

「ヒッ」

 事務所の隅に若い女の事務員が腰を抜かして座り込んでいる。及川の娘だ。佐次郎は女に手を振った。

「何してんだ、逃げろ!」

「お父さんが……」

「気にしてる場合か! 行け!」

 女は工場の裏口に這って行った。

「グワアアアーッ!」

 工場のほうで悲鳴が上がった。

 刀骨鬼の胴体にスティングレイが十本の指を突き立てている。その指からはノコギリ状の返しがついた鋭利な毒針が生え、異様な紫色の液体が染み出していた。

 スティングレイは毒針を自らポキンと折って手を引いた。刀骨鬼の顔色はみるみる毒液と同じ紫色に変わり、大量の血を吐いた。毒が回っているのだ。

「うおおお……?!」

「脳と内臓が燃えるようだろう、フフフ……いい表情だ」

 スティングレイは舌なめずりをし、すべての指に新たな毒針を生やした。それを刀骨鬼の首筋に突き刺す。
 ズブッ!

「グ……エ……」

 刀骨鬼は体中の穴から血を噴き出し、その場にばったりと倒れて死んだ。

 肋組員たちはその死を確認するや否や顔を見合わせ、急いで逃げ出した。

 巻き添えを食った及川が床に倒れている。その背には何本も毒針が突き刺さっていた。スティングレイは犬の死体でも見下ろすようにそれを一瞥してハンカチで指を拭き、事務所に入って来た。

 あたりを見回し、いぶかしむように佐次郎に聞いた。

「おい、女はどうした。社長の娘は」

「あ、いえ……見てませんけど」

「この無能がァーッ!」

 赤江は佐次郎の顔面にパンチを入れた!
 ドゴォ!

「ぐえ?!」

「女も債権のうちだぞ! おめおめと逃げられおって!」

「すみません!」

 土下座した佐次郎はちらりと及川の死体を見た。舌の奥に苦い味が広がった。

(すまねえ、社長。命まで取る気はなかったんだ……)

 怒気を発しながら赤江は車に向かった。鼻血を出した佐次郎が立ち上がり、あわてて後を追った。

「俺は先に帰る。社長の娘を探して連れて来い! 及川が死んだのなら工場の権利はあの女に移ったはずだ」

「はい!」

「こんな下らん仕事は銅バッヂどもにやらせるべきなのだ。それが……クソッ! あの血羽が見境なしに殺しおったせいで! しかも人間《血無し》の部下は無能揃いだ! 肋組のバカどもは勢い付いているし……」

 佐次郎は頭を下げて赤江の車を見送った。憎々しげに顔を歪め、小さく舌打ちをする。

(薄汚ねえ血族野郎め! テメエに従うのももう終わりだ。カネが入るアテはあるんだ……)

 パトカーのサイレンがこちらに向かってくるのが聞こえるが、心配ない。市警は血族犯罪とわかればすぐに捜査を打ち切るからだ。

 佐次郎はただ一人生き残った部下を車に乗せて病院に向かった。あの大柄な男に捕まっていた男で、二十代になったばかりの新入りだ。名は勝間《かつま》。

 勝間は痛めた首を手で押さえながら、佐次郎に憧れの目を向けた。

「やっぱ兄貴のパンチはスゲーや! 俺ぁ兄貴に憧れてヤクザになったんですよ! 現役時代の兄貴はカッコ良かったなぁ」

「バカなヤツだな」

 佐次郎は呆れて笑いをこぼした。勝間も笑った。

「バカなんス」

 赤江金融は表向きこそ金融会社の看板を出しているが、実態はヤクザだ。社長の赤江は以前からがめつい男ではあったが、ここまでムチャはしなかった。訳あってボクシング界を追放された佐次郎を見込み、用心棒として雇ったのも彼だ。

 一変したのは赤江が人間でなくなってからだ。どういった経緯か不明だがある日を境に赤江は血族となっていた。それからは金以外には目もくれない男になってしまった。

 赤江は翼を意匠化した銅のバッヂを着けるようになった。それはやがて銀になり、それにつれて商売もますます非道なものとなって行った。

 佐次郎の思いは複雑である。人間のころから赤江は善人ではなかったにしろ、部下の面倒見は悪くなかった。それが今は……

 病院で勝間を降ろした。

「ありがとうございました! 手間かけてすんません!」

 勝馬は佐次郎に頭を下げようとして、痛そうに首を押さえた。

「今度うちのオフクロがやってる店、来てくださいよ。ラーメン屋やってるんすわ」

「ああ。そのうちな」

 彼を見送ったあと、佐次郎のスマートフォンに着信があった。あの情報屋の老人からだ。

〝ブロイラーマンの賞金が上がったぞ。予想してたより早かった〟

〝いくらだ〟

〝二千万五百万〟

 佐次郎の手は震えた。

(もう少し待てば五千万を超えるんじゃないか?!)

 佐次郎は直接社には戻らず、都心に向かった。汚染霧雨の降りしきる中、ごみごみした薄汚い街中に購坂フォートの巨影がそびえている。

 その出入り口《エアロック》前では市民団体が抗議デモを行っていた。〝特権階級の存在を許すな〟〝フォートを一般開放しろ〟といったプラカードを掲げている。

 佐次郎は路肩に車を停め、購坂フォートを眺めた。

 最初、稲日には新しいギター、妻には宝石と服でも買い、残りの金で高いレストランに行こうと思っていた。妻子に戻ってきて欲しいとまでは言わないが、多少は関係を修復できるのではないかと淡い希望を抱いていたのだ。

 だが五千万あれば!

 購坂フォート内に家を買う。そうすれば稲日と妻は、あのカタギ野郎を捨てて自分と一緒に住みたいと思うはずだ。何と言っても天外市民憧れの地、この雨ざらしの地獄から切り離された楽園、購坂フォートなのだから!

(五千万あればこんな仕事を続ける理由もねえ! 赤江は気にしやしねえさ。あいつらにとっちゃ人間なんか使い捨てのコマだ)

 佐次郎は車を出した。家族一緒に暮らすというはかない夢を胸に抱いて。


* * *


 日与は起きている時間のすべてを食事に費やし、あとは一日中眠り続けている。

 マットレスに横たわった日与は天井を見つめていた。殺風景なまでに質素な部屋だ。妻子がこの家で生活していた名残はほとんどない。

 家の鍵が開く音がすると、日与の隣で膝を抱いてうつらうつらしていた稲日がはっと眼を覚ました。立ち上がり、部屋を出て行く。

 日与は耳を済ませた。佐次郎の困惑したような声がする。

「来てたのか」

「うん。お帰り」

 佐次郎は少しばかり言葉に詰まった。

「なあ、稲日。その……あんまりあのガキと仲良くなるな」

「何それ?」

「あいつは人間じゃないんだぞ。うちに悪いヤツが押しかけてきたらどうすんだ? あいつを追ってるヤツとか!」

「じゃあ私が日与を連れて出てけばいいんでしょ!」

「あ、いや。待て! それはあんまりだろ。あんなケガ人を」

 佐次郎の妙な態度に稲日はいぶかしんだ。

「父さんはどうして欲しいのよ!?」

「家には置いといてやってもいいって! だがな、お前はあいつに近付くな!」


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