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18.佐次郎と稲日(1/4)

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 時間はさかのぼり、日与が佐次郎の家で眼を覚ます前。

 ブロイラーマンはぼんやりと空を見上げていた。空の半分は紅殻町工業フォートの天井ドームに覆われ、もう半分は崩落して灰色の曇天が覗いていた。その穴からは汚染霧雨が吹き込んでいる。

 ブロイラーマンが九楼に敗れたあと、すさまじい爆音と震動があった。滅却課によって仕掛けられた爆弾が爆発したのだ。ブロイラーマンは建造物の崩落に巻き込まれ、気が付いたら瓦礫の上で仰向けになっていた。

 フォートの半分は原型をかろうじて保っている。爆弾は一つしか爆発しなかったようだ。ブロイラーマンは善十に思いを馳せた。

(やるな、ジジイ)

 瓦礫を踏む音がした。それはこちらに歩み寄ってきて、ブロイラーマンを見下ろした。

 薄明を背に浴び、逆光で影になったその人影の眼は、白目が黒く黒目が赤い。満身創痍の疵女であった。

 疵女は眼をしばたたかせ、こちらを見た。それから掌をブロイラーマンに押し当てた。黒い煙が噴き出す。ギフト。

 もはやブロイラーマンに抵抗する力はない。

 その煙はブロイラーマン全身を包み込み、逆流するようにして疵女へと吸い込まれた。ブロイラーマンは自分の胸に開いた大きな傷が閉じる様子に眼を見張った。逆に疵女の全身にはさらに傷が開いて行く。

 疵女はくぐもった悲鳴を上げた。

「んっ……アッ……」

 疵女はギフトを逆に使い、ブロイラーマンの傷を自らに移し変えているのだ。ブロイラーマンの全身に熱が戻り、同時に傷がすさまじく痛み始めた。

「ぐあああああ!」

 苦悶する彼に構わず、疵女は黙々と仕事を続けた。能力を使うほど自らが死に近付いているというのに意に介していない。

 疵女はブロイラーマンの足を掴むと、瓦礫の上を引きずってのろのろと歩き出した。

 フォート内には救助隊が訪れており、瓦礫を掘り起こして要救助者を探している。疵女は彼らの眼を逃れてコンテナに向かった。それには救助隊が撤去した瓦礫や鉄クズが詰め込まれている。

 疵女は苦労してその中にブロイラーマンを押し上げた。彼女の顔が自分の顔に近付くと、血と香水の混ざった匂いがした。

 疵女はブロイラーマンに囁いた。

「九楼を殺して。必ず殺して」

 疵女はブロイラーマンをコンテナの中に入れると、瓦礫をかき寄せて彼の体を隠した。そのまま彼女の姿は見えなくなった。

 救助隊は作業を続け、話し声や重機が行き交う音がした。

 どのくらいの時間が経ったのだろう。やがてコンテナが持ち上がる感覚があり、傾いて中身がトラックの荷台に流し込まれた。ブロイラーマンは瓦礫と一緒に荷台へ転がり込んだ。

 ブロイラーマンはエンジン音と車が走る感覚を闇の中で感じていた。街中の喧騒が聞こえ始めた。幾度か信号機で停止し、トラックはやや静かな場所を訪れた。少しバックしてから荷台が傾き、中身を地面にぶちまけた。

 ブロイラーマンが瓦礫を押しのけ、よろめきながら立ち上がると、そこはよく知っている場所だった。自分が生まれ育った団地のすぐ裏手にある、広大な廃棄物処理場だ。

(俺んちだ……)

 ブロイラーマンはふらふらと団地に向かった。一命を取り留めたものの、いまだ重篤な状態に変わりはない。腕もちぎれたままだ。失血でほとんど意識を失いかけていた彼は、本能的に団地を目指した。

 無意識のうちに自宅に帰ろうとしていた。家族の待つ家へと。自分の棟が近付くにつれて、あの曲が聞こえてきた。

(炎の血を流す人)

 棟に入った。

 稲日は階段に座ってギターを爪弾いていた。否、ベースか。

 稲日はこちらに気付き、手を停めた。

「稲日」

 血まみれの雄鶏頭に名を呼ばれ、稲日はぎょっとして立ち上がった。

 ブロイラーマンの姿は日与となった。稲日は自分の眼を疑う顔でそれを見ていたが、日与がその場に倒れると悲鳴を上げた。

「日与!」


* * *


 そして現在。

 日与は左手だけで缶詰の蓋を開けようと苦心していた。見かねた佐次郎がそれを取って蓋を開き、日与に返した。

「すまない。助かる」

 日与は礼を言い、中身を口に流し込んで食べた。

 佐次郎の家のリビングで彼、日与、稲日の三人は食卓についていた。

 佐次郎は四十過ぎの、肩幅の広いがっしりした体格の男だ。緩く波打った髪を肩まで伸ばし、口回りと顎に髭をたくわえている。その娘の稲日は髪を金色に染めた女子高生だ。

 佐次郎と稲日は冷凍食品のラザニアを温めて食べている。対して日与は佐次郎が家に買い置きしていた豆の缶詰だけだ。

 佐次郎はコーヒーを口にして日与に言った。

「それだけでいいのか?」

「これが一番いい。米とか麦もあるといいんだけどな」

「買っといてやるよ」

「すまないな。もう一本くれ」

 佐次郎は新しい缶詰の蓋を開けて渡した。日与はその中身を飲み込み、口元を手で拭って言った。

「ところで佐次郎さん。あんた、血族のことを知ってるのか?」

「まあな」

 稲日が口を挟んだ。

「血族って何?」

 日与が口を閉ざしたので、佐次郎が答えた。

「俺もよくは知らんが、人間じゃないらしい。どこぞの組には血族の用心棒がついてるとか、市警は血族がらみの犯罪には関わらないとか」

「マジメな話をしてると思ったんだけど」

「マジメな話だ」

 日与は佐次郎を推し量るように注意深く見つめた。一般人のほとんどは血族の存在を知らない。例外はツバサ重工の関係者、市警、裏社会の人間。そしてその三つともが日与を探しているはずだった。

 佐次郎の首筋には刺青が覗いている。佐次郎は日与の視線に気付き、手でワイシャツの襟元を少し開いて和彫りを見せた。

「まあ、こういう仕事をしてるんでね。血族に詳しくもなる」

 稲日が恥じたようにため息をついた。父親の職業を日与に知られたくなかったのだろう。

 日与は壁に飾ってある写真に目をやった。佐次郎と妻らしい女と稲日の三人や、幼い稲日を抱いた佐次郎、リング上でチャンピオンベルトを巻いた佐次郎の姿などが写っている。

 日与は家族の写真を指差した。

「えーと……奥さんとは別居中?」

「五年くらい前に離婚したの」

 稲日がラザニアをつつきながら言った。

 佐次郎は面白くなさそうに言った。

「ヨメの再婚相手はカタギだからな。稲日は仕方なしに俺を呼んで、お前をここに運んだわけだ。正直に言うと面倒はゴメンなんだが、娘の彼氏ってんじゃしょうがねえ」

「俺は……稲日の……彼氏ってわけじゃ……」

 突然、日与がばったりとテーブルに突っ伏した。

 稲日が悲鳴を上げ、椅子を蹴飛ばして立ち上がった。

「日与!?」

 日与は赤ん坊のような寝顔で寝息を立てている。佐次郎が稲日をなだめた。

「寝ただけだ。腹が一杯になったんだろ」


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