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[日記]なんでこんなに嫌なんだろう

母に料理を作りたくない。

母がいない時に料理を受け負うのはよくある事だ。その場合、食べるのは父と私と、たまに弟である。

でも母に料理を作ったことなんて数える程しかない。理由など言うまでもない。母の方が料理ができるからだ。私が作る必要性もないし、正直作ったところで比較対象があるぶん惨めなだけだ。

ひと月ほど前、感情の不安定がひどくなり、料理を作りながら大号泣していた。両親が法事に出かけていて、私がご飯を作らなければいけなかったからだ。

どうせこんな自己満足で作ったもの美味しいわけがない、文句を言われるに決まっている、だって私は1年で仕事を辞めてしまった社会不適合者で、上司にあんな暴言を吐き捨てられる程度の人間でしかないーーー。

(誤解を与えてしまうといけないので書いておくと、両親はどうぞと出されたものに文句を言うようなことはない。そのかわり味が濃いとかもっと具を小さく切ってとか、そういう必要なアドバイスもない。)

困り果てた両親は、大したこともない料理を「美味しいよ」と猫撫で声で褒めたたえた。私は小さい子どもでもないのに。それもまた気持ち悪かった。

自分の機嫌も取れない幼さにまた情けなくて、そんなふうに慰められなければならない自分の惨めさにも涙が出る。

それを機に、母はちょくちょく晩御飯を作らない?と提案するようになった。料理などもうしたくなくて断っていたが、ついに明日のご飯お願いね!とそのまま言われた。途端に気分が暗くなった。

嫌なら放っておけば良いのでは、というのが多分正論なのだろうけれど、こうやって丸投げされてしまうと断れないのだ。私がすっぽかした結果、晩御飯が無くなることを考えてしまうし、母の期待を裏切れないと思ってしまう。こういう性格だからいつも集団の中で損をするのだ。

大して広くもない田舎のスーパーの中を30分も右往左往して、結局味付けされた肉を買って帰った。炒めてご飯に載せれば料理らしくなるだろう。私は味付けしないけれど。

と思っていたが、帰ってからまた母からのありがとうが飛んできて、ついに不満が爆発した。ありがとうとか言わなくていい、当たり前のことしてるだけなのに、私がそんなこと言われないと動けない人間だと思ってるのか、云々、泣きに泣いた。鬱陶しいことこの上ない。

母からすれば訳が分からない。
専業主婦の母は自分の仕事である家事を、自分以外の誰かがしてくれたことに礼を言っているに過ぎないのだから。理解してる。理解してるから苦しい。

訳が分からず苛立った母とボロボロ泣く私との話し合いの末、前からたまにやっていた風呂掃除と洗濯物を私の分担として正式に任された。

多分理由が分からないままに、母は私にありがとうを言わないようにすることになった。

書きながら思う事をつらつら書いていこう。

前職で私は、多分ありがとうと引替えに働いていたから、なんとなくありがとうアレルギーなのだ。
休みがない分、給料が低い分、ありがとうという顧客の感謝の言葉で補わなければやっていけなかった。だからなんとなく今は聞きたくないのかもしれない。

あと、ありがとうは、他人を気持ちよく動かすための常套手段ということを覚えてしまった。とりあえず礼を言っとこうというやつである。思ってもない儀式的なありがとうに慣れすぎて、自分もそういうふうにしか礼を言われていないと思っているのだと思う。

そして進んで先輩のために時間外に働いてもひたすらにありがとうしか言われず、結果自分が疲れてしまったことは大きいと思う。

私にとってありがとうは、「(業務外の君の時間と労力を削って貰ったけれど、報酬もあげられない評価も上がらないからとりあえず言っとくね)ありがとう」なのだ。

あと、頑張るという言葉もあんまり好きではなくなった。うちの頑張るは、休みがなくても、給料が低くても、みんなで、笑顔で、元気よく、一緒に乗り切ろうね!というテンションのことだった。なんの根本的解決にもならない。

多分悪気はなかったのだろう。もはや職場の誰もが、そういうしか無かった。と思う。本気で頑張ろうと思っていた人も多分なかにはいると思うけれど。

ふう。たくさん書いた。

とりあえずは、

自分はお礼を言われるような価値のある人間だと思えないこと

ありがとうと言う側(他人を動かす側)の方が、何となく立場が上の印象があること(言われる自分、動く自分が下)

ありがとうによって、時間外労働などの報酬、評価を誤魔化されてきたこと


だいたいこんなところだろうか。

病院に行くべきかしら。適応障害は、職場をやめて治ってるはずなのだけれど。

#日記 #雑記 #独白 #ありがとう #なんぞや


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