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傑作であり怪作であるThe Last Of Us 2における暴力表現の意義

皆さんこんにちは、クチナワです。

先日ラスアス2をプレイし終わり、感想でも書くか~と思ったのですが1のあらすじをまとめるだけでバカほど時間がかかってとりあえず下書きで終わらせているクチナワです。そのうち完成させたい

せっかく本編をクリアし終わったので、プレイ動画でも見るか!と思って海外のステルスプレイ集を見ていたら、あることに気が付いたので走り書きですが今作における暴力表現に対する自分の考えをパパっと描いていきたいと思います ネタバレとか普通にするし画像も貼ると思うから注意な!というかクリアした人向けなのでプレイしないとわけわからんところが多すぎると思う

ネタバレ防止用の画像集

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ここからネタバレ

この作品全体におけるメッセージ

この作品は一言で言ってしまえば「復讐と贖罪」の物語であると思う
目の前でジョエルをリンチの末殺されたエリーは、ジョエルを殺したウルフという組織に復讐を誓う。特にアビーに対しては並々ならぬ復讐心を燃やして作中ではシアトルでアビーの仲間を殺して回り、果てはサンタバーバラまでアビーを追いかけていく(まあこの時点では復讐心というよりも使命のようなものになっていた気もするが)
しかし、アビーにも復讐の原因があり、ジョエルに医者である親を殺されたという過去を忘れきれず、それこそ作中のエリーのようにフラッシュバックに悩まされ続けていた。
サンタバーバラでボロボロになったエリーとアビーが殴り合いをするシーンは、ゲーム史上類を見ないほど哀れで、惨めで、意味のないラストバトルなのではないだろうか。
その殴り合いの末、エリーはアビーの命を奪う寸前まで追い詰める。しかし、「レヴとアビー」「ジョエルとエリー」の関係性がエリーの中で重なり、エリーはアビーを殺さず、見逃すという選択をすることになる。これは、作中序盤のジャクソンにおける雪山のロッジでの出来事と一致しており、エリーはそこでアビーのように「復讐」するのではなく、「許す」ことにより、自らが許すことができなかった(もう許すための相手がいない)前作のジョエルの行いに対して、アビーを許すことにより、重なっているジョエルを許すことになったのだと感じた。
これが、本作が復讐と贖罪の物語だと考えた理由である。

「復讐」における暴力表現の意味 エリー編

ではなぜ暴力表現が復讐にかかわってくるのか?というお話をここからしていきます
そもそもゲームというのは、勝ち負けを決めるという行為が多く(もちろんほかにもたくさんあるけど!)今作のようなアクションゲームでは「敵を殺す=自分の勝ち」というのが基本的な形だと思う。敵を撃ち殺せたときは爽快感があり、ステルスで誰にも気が付かれず一帯を虐殺できたときなんかは思わずガッツポーズを取ってしまうほど。しかもそれが復讐の相手だったとしたらなおさら気持ちがいい、なぜなら相手に対しては「正当」に暴力を働くことができるからである。自分に正当な理由のある暴力ほど気持ちがいいのは、まあみんなどこかしらで経験してると思う
そしてここで暴力的な表現の話が出てくる。日本版のThe Last Of Us 2だと、敵はどんな殺し方をしても、五体満足で綺麗に死ぬ。ショットガンで顔面を撃たれようが、至近距離で爆弾が爆発しようが、なんだろうが生前の姿を保って死ぬ。しかし、海外版だと、撃ったところが弾け飛ぶ、頭を撃たれたらまず原型は残らない、爆発に巻き込まれたら複数の肉塊に変化する、命乞いをした人間の頭を無慈悲に叩き割る、挙句の果てには撃たれた場所がはじけ飛んだ後も身体を引きずって少し動く…などの暴力表現がてんこ盛り作品になっていた。
さあ、ではあなたが復讐したい相手に攻撃をした場合、五体満足で綺麗に死ぬか、全身がぐちゃぐちゃになりながら惨めに死ぬか、どっちが気持ちがいいか?と聞かれたら、あなたはどうする?私は間違いなく後者を選ぶ。なぜなら相手はそうなってしかるべきな行いを自分に対して行っており、その相手が惨めに死ぬことは何にも代えがたい快感だからだ。復讐相手が惨めに死んでいくこと、これはゲームの作成者がプレイヤーに対して与えた絶品のエサであり、一度食べると病みつきになってしまう食材であるといえる。
しかし今作、そんな簡単な話ではでは終わらないのだ…

https://youtu.be/QP1H202mZls ※参考動画 グロいので注意

「復讐」における暴力表現の意味 アビー編

エリー編でウルフを虐殺して回った後、ウルフの側に回ってゲームをプレイすることになる。前のプレイで原型が無くなるまでショットガンで撃った人間も、爆弾で肉塊へと変えた人間も、腕を失って命乞いをした人間も、みんなウルフという帰る場所があり、仲間があり、家族がいるのだということを、まじまじと見せつけられる。ここで、プレイヤーは自分の行ってきたことに対する気持ちが複雑になっていく。エリーからしたらウルフたちは復讐の対象であり殺すことにためらいはなく、アビーからしたら自分の仲間たちの命を無慈悲に奪っていった悪人である。その両方の視点を見せることにより、この作品は復讐とは何なのかということと(決して復讐は悪と言っているわけではないと思う)、行ってきた行為へのやりきれなさ、許すことへの大切さ…のようなものを考えさせる作品になっていると感じた。

今作における暴力表現の役割 ちょっとしたまとめ

ということで、今作では日本の規制によりグロテスクな表現が多く規制されていた。それにより、復讐における暴力の快感、そして後に分かってくるウルフのメンバーに対するやりきれない感情というものが弱くなっているのではないか…と感じた。作品の大きな割合を占める「復讐」というメッセージ性が弱くなってしまったことに対しては少し勿体ないな~という気持ちになったりしたので、暴力的な表現だから、という理由で規制を行うのではなく、しっかりと作中における暴力の役割を理解してから規制するかしないかを判断してほしいな…と感じたりした。


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