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幸せになる、とか。

抽象的過ぎて何をどう書こうか考えてしまったんだけど。

過去に幸せな時間ってあったかな?って考えていてなんか遠い記憶のような気がして、「ああ、これが幸せか」って感覚が全く思い出せないでいる。

Eさんが撫でてくれた時間、満たされたけど幸せだったかなって考えるとなんか違う気がする。

「彼女」と一緒に歩いた広島、あれも幸せかって聞かれたら違う気がする。

お互い幸せだねって会う前に言ってた気がしたけど本当に幸せだったかな。

Sさんと見たイルミネーション、あれはなんだか少しそうだった気もするけど、Sさんに人として甘えられてたからかな?

誰かと言えない恋愛してた時は幸せじゃなかったし、メンヘラ彼女がいた時も幸せではなかったな。

高校の時の彼女との時間はもうどうだったか思い出せない。

思い出せるけどここに書かなかったこれといった感情がなかった人達との時間は?

最近だとダイニングバーで気になる人が隣に座ってくれて寄っかかってくれてた時間があったけど、あれは幸せとは違うし。

Kちゃんはただただ面白いだけだな、現在進行形で。

11歳年下の子と食べたご飯は美味しかった、ちょっと幸せかもしれない。ごはんが美味しかったから?

幸せが誰かとの時間軸でしか満たされそうにないのはそれが望むものだから?


子供の頃の記憶だけど、家の近所にすかいらーくがあった。記憶違いでなければファミコンのマザーやってる時に夜中に親父がすかいらーく行くぞってなって。俺と姉と母と親父と当時うちで働いてたバイトのお兄さん達も来た気がした。

あれは幸せな時間だったってなぜか思ってる。でもあとからただそう思ってるだけかもしれない。

幸せになろうと考えた時に何をどうやっても俺が欲しいもの、幸せだなって思うものって実はこの世のどこにもないんじゃないかなって考えてしまってる。

今1人で立ってるのが怖いだけなのかもしれないし、よく分からないな。

何か埋まらないものを抱えてる、ってのが死ぬまで解決しそうにないって予感がしてる。

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