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#32 意識低い系小学生の自主学習ノートのはなし

昭和生まれの私たちの時代にはなかった「自主学習ノート」という存在。昭和の子どもたちは自主性なんて1ミリも求められず、ただひたすら与えられた計算ドリルと漢字ドリルを機械的に大量にこなすことが「THE 宿題」だった。

今の小学生には「自主学習ノート」なる宿題があるらしい…という噂だけは耳にしていたけれど、その全容は全くわからず。

そして例に漏れず、娘たちが通う小学校にもその宿題があるらしい。ちなみに娘の小学校はこんなところ。


そして夏休み明け、小3長女に学校から新しいノートが配られた。表紙には自分の字で「自主学習ノート」と書いてある。ついに!!これが!!!!

1ページ目には先生からの「自主学習ノートの使い方」という説明プリントが貼ってある。自分で考えて、それについて学習すること。学習内容の例については(計算、苦手な漢字、日記、自分で物語を作る、作った料理のレシピと食べたお家の人の感想)などと書いてある。

長女が言うには「6年生になったら毎日、5年生は週に4回、4年生は週に2回自主学習ノートの提出があるんだって。3年生はその練習で、土日の宿題で自主学習ノートをするってさ!」とのこと。

宿題が自主学習ノートだけになるのか、現状配られているプリントに自主学習ノートがオンされるかたちになるのかはわからない。

高学年の子の「自主性」を育むのと、能力や習得レベル別の勉強(計算が苦手な子が計算をやったり漢字が苦手な子が漢字をしたり、逆に勉強ができる子はもっともっと深掘りしていったり)に時間を割くようにという意図があったりするのかなと思ったり。いつまでも「与えられたことをやってる」だけじゃダメだもんね。



とりあえず、最初の頃はお友達と一緒に休み時間に取り組んで、終わらせて帰ってきたりしていた。
人間とは不思議なもので、どんなノートであれ新しいノートの最初の3ページはすっごく大切にするし、すっごくきれいな字で書こうと思うもの。
例に漏れず長女も最初はとても丁寧に自主学習に取り組んだ。
「テストで間違った漢字を5回ずつ書く」「自分で作った物語」「送り仮名が間違いやすい漢字のまとめ」など。1回1ページで良いところを数ページにわたっていろいろなことを学習していた。

しかし彼女の性格的に「先生が提示した学習例」の範囲からまだ脱さない。範囲外のことをして、怒られるんじゃないか不安&褒められるのも恥ずかしい…ということを考えてしまうタイプなのである。まぁでも、慣れてきたら自分で考えたテーマを取り組んだりするかな〜と思っていた。


母的には、国語の授業で「へんとつくり」をやったのでいろいろな部首についてまとめたらどうかしら?と思ったり。都道府県の特徴をまとめたり、歴史人物について調べたり、、得意なテーマを伸ばしてほしいなと思っていた。

以前にTV番組の「クイズ・小学5年生より賢いの?」を見ていたら、番組に出ている5年生の子が「自主学習で歴代天皇を全て書き起こしたことがあって、それがだいたい○人だったから答えは△だと思う」みたいなことを言っていたので、最終的にはそんなレベルの自主学習をするようになってくれたらいいなと淡い期待を抱いていた。。



そして、自主学習ノート開始から1ヶ月半が経過した現在

宿題の自主学習ノートは「自主学習とは何をやってもいい」という認識になっている。。。

先週の自主学習ノートには”クマとりすの運動会”みたいな、幼稚園生が描きそうな絵を書いただけで終わった。歴代天皇どころか、文字すら書いていない。「これでいいの?先生なにも言わないの?」って聞いたら「うん。だって自主学習だもん。みんな、こんなかんじだよー!!!」ってさ。。


そう、忘れていた。彼女はあくまで「意識低い系の田舎の公立小学校」に通っているただの小学3年生だった!!!!「小学5年生より賢いの?」に出るような芸能事務所とSAPIXを掛け持つような23区の名門私立小の子どもと肩を並べるなんておこがましいにもほどがある。


クラスメイトのだれかが「絵を描いただけでも"自主学習"になる」と知ったら、それがすごい勢いでクラス全体に広まった。週末の宿題は算or国のプリントから「自主学習ノートのみ」になったため、ほどんどの子が週末の2日間まったく勉強せず、適当に絵を描いて宿題を完成させるようになった。


こうして都市部との学力格差は開いていくのだ。
クラスメイトがポケモンの絵を描いて宿題をクリアしている横で、歴代天皇も徳川15代将軍も都道府県も調べるわけがない。


いつまでも「与えられたこと」をやってるだけじゃ…って前言撤回。
ベースとして自分で考える力がない子たちは、与えないとやらない。

青学陸上部とか慶応高校の野球部みたいな、体育会系も令和っぽさがトレンドになってきているかもしれないけれど、昭和の熱血体育会系みたいな環境でしか伸びない子も少なからずとしている。縛り付けないとだらけてしまうのは人間として当たり前といえば当たり前だ、そこに少しの理性が働くかどうかという違いがその後の将来を大きく変えるというだけで。


結局は「自主学習ノート」とは、自分で考えて高みを目指せる子はさらに優秀になり、自分で考えることのできないバカな子はラクさを求めてさらにバカなっていくという社会の図式のようなノートだということがわかったのでした。。。

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