Kuta:配属ガチャで外したが、実力行使でやりたいことをやってきた

もうすぐ年金受け取りが始まるじじぃ。 ソフト設計志望で入った会社でまさかのハード設計部…

Kuta:配属ガチャで外したが、実力行使でやりたいことをやってきた

もうすぐ年金受け取りが始まるじじぃ。 ソフト設計志望で入った会社でまさかのハード設計部に配属。 が、与えられた環境で黙々と設計する部隊で、自分でプログラム作って改善を推し進め、半分くらいはソフト設計やってた。 そこらへんの思い出をポチポチと書いていきたい。

最近の記事

特性評価業務

静電破壊評価みたいな実験室で行うのもあるが、多くはLSIテスタを用いた評価、特性測定である ACテスト テストパターンを用いたダイナミックテスト まずはシミュレーション通りにパターンがパスすること そして入力レベル(VIH/VIL)が規定内であること そしてタイミングマージンがあること DCテスト VOH/VOL、リーク等 出力ピンの状態をVOH測るならHighにしないといけないので、テストパターンがパスしていることが前提である またこの時のテストパターンは、ACパタ

    • SAITEKI

      H立のゲートアレイの設計で(たぶん)特色があるのは、SAITEKIという工程 ネットリストを読み込んで、セル配置をする前に行う セル配置の負荷を減らすためかなんでか分からないが、一旦TTLイメージのブロックに置き換える作業、SAITEKIが入る はっきり覚えていないが、一つのブロックはRS付きのFF1個分、NANDなら8個?ラッチなら4個とかになっていた ANDとNAND、ORとNOR等をあまり混ぜちゃうと、使用率の低いブロックが増えて、ゲート数的には入っているのに、エラ

      • 最初はパンチカードで論理入力

        会社の事務所から、H立の大きい建屋に連れていかれ、ここで君たちは2年くらい実習だと言われる 工場なので、頑丈な建物 エレベータは貨物用なので、めちゃゆっくり動く 基本人だけ乗ったら怒られる トイレはどこも入り口が3つ並んでいて、2つが女性、1つが男性用 トランジスタガールと言われた、ワイヤボンディングを人手でやってた時代の名残だそうだ 「あの頃はもてたよ」と年寄りが言うのが鉄板 最初に与えられた仕事、というか教育用題材だったと思うが、論理図面をネットリスト(NF:Net F

        • 配属ガチャ なんでハード設計!?

          入社し、1か月ちょいの新人集合教育。 この間多くの友人、北海道から鹿児島まで出身者、ができた。 5月になり、配属決定。 名前を呼ばれ、部長の人に引率されていく。 「あなたはROM設計課」と言われた。 なんそれ?ROM設計課って。 イメージ的にはソフト設計臭さが全然ない。 十数人いた同期の配属課が発表になった後、部長の人が「何か質問ある?」とおっしゃったので、勇気を振り絞って「私はソフト設計がしたいと入社したのですが、なんでROM設計課なのですか?」と聞いた。 「ゲートアレ

          就職先はソフト設計会社だと思っていた

          4回生の7月ごろ、主任教授と就職・進学の面談 成績表を見て、教授は「あちゃー」と一言 すんません、成績ボロボロです それでも院に行きたいと言ったが、「無理」の一言、撃沈 課長級になった時、学生の面談をやったけど、21世紀だとほぼみんな院卒なイメージ 新人もほぼ100%院卒 だけど、昭和は限られたもの(選ばれしもの)だけが進学する感じだった 1~2割くらいだったと思う まあ学校にもよるだろうけど そして院をあきらめて、就職先の選定 いくつか候補をもらう 成績いい人は、

          ゲートアレイの設計とは

          当時は3µm Al(配線)2層 CMOSプロセス Al2層を多層配線と呼んでいた 他の製品は、Al1層+Poly Siで配線してたみたい Al1層目と2層目の層間膜がつぶれやすく、信頼性向上が大変だった模様 今14層とか言っているのからしたら、信じられませんな ツールは全てM/F(メインフレーム:大型コンピュータ)上で動く ネットリストを入力 論理シミュレーション レイアウト GDS払い出し えっ実負荷SIMは? あの頃電源電圧5Vで、配線容量によるディレイなんて、セル

          情報処理技術者試験

          3回生の秋に第2種を受けた。 一発合格。 4回生の秋に第1種を受けた。 これも一発合格。 合格証書が来たのが、社会人になってすぐの4月中頃。 寮で人事の人たちが来て懇親会みたいのがあったので、そこで証書を見せたが「すごいね」で終わった。手当とかはなかった。 特種は25歳にならないと受けられないので、なると同時に受けたが全然だった。3回くらい受けたがだめで、どこがダメかも分からないので、あきらめた。

          TMS9900との出会い

          4回生になり、研究室に入った。 電気工学科で唯一情報工学をやる研究室だった。 教授一人に私含めた学生二人。 助教授、講師、助手そして院生もいない三人だけの研究室だった。 ほかの研究室は、10人以上の大所帯が多かったので、なんとも変わったところだったのだろう。普通が分からなかったので、そういうもんだと思ってた。 もう一人の同期は、ミニコンピュータを用いた文字認識をやることになった。Fortranを使ってたと思う。カーリングのストーンのようなサイズ/形状のハードディスクを使っ

          ド定番 PC-8001購入

          Wikiによると発売が1979年、終売が1983年と完璧に私の大学生活と被っている。 いつ購入したのかはっきり覚えていないのだが、春休み中だったような感じなので、たぶん1回生の終わりの3月終わりから4月初めに買ったのだろう。モニタ込みで20万円ちょい超えだったように思う。 で何をやったかというとゲームである。 I/O に載っていた機械語を、同じ学科の仲間と分担して入力、誰かがマージして完成させ、それを仲間全員でシェアする、というのをほぼ毎月やっていた。 Wikiによれば、ギ

          初マイコンピュータPC-1211 BASICとの出会い

          宇宙世紀0079(ダブルオーセブンティナイン)大学に入学した。 工学部電気工学科。 情報工学科なんてのは影も形もなく、電子工学科もなかった。 選択肢は、電気工学科のみ。 いつ買ったのか、どうして買ったのか覚えていないのだが、買いました。 ポケットコンピュータ PC-1211。 机の引き出しの奥から、引っ張り出してきた。 さすがに液晶はだめになっているようだ。電池入れたら動く? まっこれを使ってBASICを覚え、プログラミングにはまっていったのは間違いない。 Wikiには

          プログラミングとの出会い TK-80

          通っていた高校は、秋ごろに長居競技場で1500m走を全生徒で行う、という行事があった。 高三のとき、この行事の帰り、友人と日本橋に行った。 そこで出会ったのが TK-80 である。 と言っても私はその友人が、音を出すプログラムを打ちこみ、実際に音(というかなんかの曲)を出すのを見ていただけ。ふーん、という感じだった。 そのときはそれで終わり。