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どうする、ニッポン

2.2.5 ヨコ社会の葛藤-文明の対話

ヨーロッパは中世の暗いイメージの時代から14~16世紀のルネサンス運動で明かりが見えてきました。18世紀後半のイギリスで始まった産業革命によって社会の近代化が始まり明るいイメージは定着します。産業革命以来、ヨーロッパの主要国は世界の最先端を歩み続けて、現在も先進国として振る舞い続けています。産業革命を経て国力を蓄えて強くなったヨーロッパの先進国は、アフリカやアジアの未知の地域を力で征服して植民地にしました。植民地の経営は宗主国が絶対の正で現地の文明や文化の多くは無視されました。各植民地の異なる文化にかかわらず、先進国の植民地経営は“力”によるものでした。

植民地行政の業務執行は本国と同等の手法で行いました。戦後に独立した国々は、社会の運営を植民地時代に行われていた手法を踏襲しました。国や地域によって違いはありますが、彼らの業務執行の基本は宗主国風です。これらの国や地域では、組織の参加者に属性の違いはありますが、多かれ少なかれ全員同等の資格で参加しています。参加者は組織内のポストに与えられた職務と権限の範囲を理解しており、対等の立場での組織参加を可能にしています。会議では各ポストの業務範囲内での対等の議論が許されていますし、実際に対等に議論しています。

ヨーロッパの国々はラテン文化の果実である古代ローマの統治手法を基本としていますが、世界の国や地域は、部族が違えば風俗習慣が違います。ヨーロッパの中にも産業革命を早く成し遂げた国と、後れて伝わった国があります。先に力を持った国は、後れてきた国の文化や考え方を理解せずに、彼らを対等には扱いませんでした。ヨーロッパの後れて出てきた国が、基本的に古代ローマのラテン文化の影響を受けていたにもかかわらず、先進国は自分たちを正として、後れて出てきた国の伝統、文化、考え方、意見を受け入れしようとはしませんでした。国によって発展の程度が違うのは、能力の違いではなくて文化の違いです。しかし、後れて出てきた国は総じて交渉力が弱く、自分たちの文化や考え方を説明し理解を得ることは上手ではありません。後れて出てきた国には話し合いで相手を説得する交渉力が十分にありませんでした。彼らが自分たちのアイデンティティーを証明する手段として、武力で訴えざるを得なかった面があったことは否定できないかもしれません。

20世紀は“力”(ハードパワー)の世紀で、文明・文化(ソフトパワー)が対等に評価されるには21世紀を待たなければなりませんでした。21世紀になっても、自分たちのアイデンティティーを訴えるため力に頼る国や地域は一向に減る気配を見せません。現に2022年2月24日にロシアはウクライナに侵攻しました。大国といわれる国も小国も、相手の違う文化の存在を互いに尊重し認め合う関係を築くことが求められているのです。

ヨーロッパの「ヨコ社会」が古代ギリシャ・ローマの文明・文化から発展したことは間違いありません。古代ローマのラテン語の単語が、今もヨーロッパの主要国の言葉の中に生きており、中等教育課程にラテン語クラスがあることが証明しています。西側の指導者がラテン文化を理解して身に付けることは、知識人として最低限必要とされる教養です。しかし、ヨーロッパにはラテン文化を共有していない国はたくさんあります。そうした国の指導者はラテン文化を知ってはいますが、教養として身に付けているわけではありません。彼らは、彼らの文化に基づいた教養を身に付けているからです。教養とは互いに違う文化があることを知って、立ち位置の違う人たちが共生する道を歩めるように対話ができる能力のことです。今、大国の指導者に最も求められていることです。

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