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どうする、ニッポン

2.2.4 ヨコ社会の勝利-冷戦終結

1945年2月に連合国として第二次世界大戦を共に戦ったアメリカとイギリスとソ連は、戦後処理構想についてクリミア半島のヤルタで会談しました。5月にドイツが、8月に日本が無条件降伏して戦争は終わりました。戦後、アメリカとソ連は資本主義と共産主義に分かれて世界を二分するようになりました。アメリカを盟主とする西側諸国は資本主義、自由主義、民主主義を掲げる陣営内で、北大西洋条約機構(NATO)を設立しました。ソ連を盟主とする東側諸国の陣営は共産主義、社会主義、全体主義を掲げNATOに対抗しワルシャワ条約機構を結成しました。両陣営が集団防衛を任務とする軍事同盟を結んで“東西冷戦”が始まりました。

1956年にハンガリーで共産党政権の権威と支配に反対する住民のデモや蜂起(ハンガリー動乱)が発生しましたがソ連軍に鎮圧されました。1968年にチェコスロバキアで始まった“プラハの春”と呼ばれた改革運動は、ワルシャワ条約機構軍に鎮圧されました。東側で改革を求める運動がたびたび発生するのは、権威による強権支配では自由を求める住民を満足させることができなかったからです。軍の介入を要請して武力で押さえつける弾圧しかなかったのです。軍事的に厳しい緊張の“東西冷戦”は、西側諸国と東側陣営の間に“鉄のカーテン”が降ろされているといわれました。カーテンの中で何が起きているかわからない状況を探るために、お互いにスパイ活動を盛んに行いました。当時のスパイ活動は『寒い国から帰ってきたスパイ』や『ロシアより愛をこめて』で知ることができます。

40数年続いた東西両陣営の冷戦は、ソ連経済の行き詰まりであっけなく終わりを迎えます。ソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフは1989年にマルタで、アメリカの大統領ブッシュ(父)と会談して、“冷戦終結”を宣言しました。“冷戦終結”で西側が標榜してきた資本主義、自由主義、民主主義が正しいという風潮が世界に流れました。西側の人たちは“冷戦終結”で資本主義、自由主義、民主主義が勝ったと思ったのです。実際“冷戦終結”で世界は大きく変わりました。ドイツではベルリンの壁の崩壊を招いて、1990年に東西ドイツが統合されました。1991年12月にソビエト連邦は崩壊しました。ソ連圏に属していた東欧諸国で強権的な支配者を追放する革命が連続的に起きました。政治体制の変化に伴って軍事同盟にも大きな変化がありました。ロシアを盟主としてソ連圏の国が結んでいたワルシャワ条約に基づく軍事機構は廃止されて解散しました。ソ連の影響が強かった国では内戦が始まりました。地域的な民族戦争があちらこちらで勃発しました。かつては東と西に分かれた二つの陣営がにらみ合っていたのですが、ソ連が崩壊してからテロや紛争が頻発するようになったのです。アラブ諸国でも強権支配に対して“アラブの春”と呼ばれる大規模な抗議運動が起きました。国によっては軍による鎮圧もありましたが、多くの国で混乱と内乱は今も続いています。

ソビエト連邦の崩壊後に独立した旧ソ連邦構成国とロシアは独立国家共同体(CIS)を結成しました。また、ロシアは周辺の6か国と集団安全保障条約(CSTO)という軍事同盟を結びました。CSTOに参加していない東欧の旧連邦構成諸国は、ロシアが国力を回復するにつれてロシアの脅威を感じ始めました。東欧の国々は利害が一致する軍事同盟のNATOに加盟するようになりました。このNATOの東方拡大が2022年のロシアによるウクライナ侵攻の原因の一つです。

21世紀を迎えると、資本主義や自由主義と民主主義という一部の人たちの文化に過ぎない考え方を押し付けられるのはたまらない、という人たちがあちこちで息を吹き返してきたのです。世界中で独裁的で強権的な指導者は減るどころか増える傾向にすらあります。民主主義が正か否かは簡単にはコメントできませんが、歴史上、独裁的な“力”による支配が長続きした例がないことははっきりと言えます。

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