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「ホハレ峠」を読了

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炭焼きで生計を立てていた時代の話といえば、現在、多くの人は、鬼滅の刃を思い出すだろう、明治から現代につづく、大正生まれのひとりの女性のお話である。

ダム建設は、沖縄の基地開発や原発にも通じる利権的な問題なので、復習したかった。

ダムといえば、映画「ダムネーション」において、アメリカのダムを壊す社会運動は、アーティストの活動から始まる。先進国ではすでに、現存するダムは、資本主義社会の利権的なものだと裁判でも判決され、世論として否定する方向で、自然を少しでも元に戻す流れになっている。しかし、日本は未だにダムを建設しており、国民の意見ガン無視の状態だ。近年だと、熊本の川辺川ダム建設の反対運動のニュースが記憶に新しい。

↓環境問題などに関心がある方は是非。

破壊すべきダムがあるかぎり “ダムバスター”は挑戦し続ける
アメリカ全土につくられた7万5千基のダム。それらの多くは、川を変貌させ、魚を絶滅させ、それにもかかわらず期待される発電・灌漑・洪水防止のいずれにおいても低い価値しか提供していない。むしろダムの維持には高い経済的コストもかかっている。そんな負の面ばかりのダムを「撤去」する選択が、アメリカでは現実になってきた。だが「ダム撤去」が当たり前に語られるようになるまでには、「クレイジー」と言われながも川の自由を求め続けてきた人びとの挑戦があった。彼らのエネルギーにより「爆破」が起こるドキュメンタリー。


昭和一桁の頃、岐阜の山奥で1ヶ月のお給金5円で働いていた女学生時代。電気がない自給自足の生活。日々の四季折々の食生活の描写や農作業、絹を織るため蚕は扱っても、それは現金収入なだけで身に付けられず、自分たちの着るものを作るために、麻の葉を剥ぎ、川で洗って湯がいて繊維にして紡ぐ、そんな農村の風景が目に浮かぶ。
しかし、時代が変わり、現金が必要な社会になり、親に言われるがまま街に出るまで。結婚で嫁いだ先の、夢を見て渡った北海道の昭和初期にかけての農地開拓者の移民の話が続いていく(マンガ好きな方はゴールデンカムイを連想するだろう)

村から出て、豊かな暮らしを求めたけど、最後に彼女が選択した地は、故郷の生まれた村だった。その個人の願いも、長くは続かず、ダム建設のための立退命令。

周りが都市部に引っ越す中、「電気なんか無くても豊かじゃ」と言い切り、ダムが作られる最後の最後まで、電気などのライフラインがない暮らしで粘って生活し続けるものの、最後は築100年以上の思い入れのある家を取り潰し、思い出が沢山残っている、そんな故郷をダムに沈めるしか出来なかった。旦那さんとの記憶が詰まる家に、日本酒を撒いて清めて偲ぶページでは、目頭が熱くなった。

引っ越した先の生活の中での悔しさは、「農家のわしが、なぜ、特価品のネギを買わねばならない、そんな生活になったんだ」という言葉に詰められている。

国策や資本主義社会に振りまわれるのは、現代の我々にも通じている。そんな中、何を求め、何を得るか、まだ選択できる余地はある。おいらは、都市部からドロップアウトし、自分の時間を何より大切にして、片田舎で悠々自適な生活を送っている。足りないぐらいがちょうど良い。きっと、正解はそれぞれにある。

バイク乗りの著者が、24歳からフィールドワークして集めた30年間の記録は、読んでいて長い旅をした気持ちになる本だった。ボッカ頼母子(たのもし)の話も出て来るので、民俗学を好む方にオススメ。おいらの好みどんぴしゃの本だった。

余談だが、藍染用の藍の栽培をしていて、そろそろ種が取れる。それについてもマンガで描きたいな。藍って食べられるんですよ。文化や歴史の紡ぎ方について、自分なりのやり方で残していきたいなと、あらためて思う。

岐阜には地元にUターンした友人が、新たにスペースを設けたそうなので、何かのタイミングで行ってみたい。結論:岐阜へ行きたくなる本!



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