見出し画像

8月5日(金) 天気:晴れ時々曇り キミ達も何かでここに並ぼう

予定していた福井旅行が中止になった。この豪雨で交通網が全滅し、もはや行く手段がなくなってしまったのだ。この旅行を楽しみにここまで生き抜いてきたようなものだったから、無理だとわかった瞬間は脳が受け入れを拒否した。でも、新幹線やホテルのキャンセル手続きをひとつずつ済ませるにつれて、私の中の福井の文字も消えていくような気がした。

昼間iPhoneが半ば勝手に作動して、音楽の再生ボタンが押されてしまった。流れてきたのは、Dragon Ashの"Humanity"だった。

日毎に増してくしがらみの数 消えては浮かび終わり訪れず
キリキリ舞のこの生活 抜け出せずでも生きること止めず
逃げ出そうとするその一歩 踏み止まってふと考える
そしてまた歩き続ける 強くあることで自分の価値計る
周りには仲間がいる 共闘してくれるキミ達がいる
それでも傷を舐め合うのではなく 共に誇らしく笑い合いたい
Humanity/Dragon Ash

過ごしていく時間や場所・人が増えるほど、悩みのタネや苦しいこともどんどん増えていく。それが積もり積もってがんじがらめになってしまうこともある。それでも、落ち着いて周りを見ればそこにはちゃんと仲間がいる。
これまではその仲間の存在すらも見えなくなるほど日常に絶望していたこともあった。でも、こちらからは見えなくても仲間からは見えていたはずだ。それを無理やり引っ張り出すのではなく、「こっちもいいよ」と誘い出してくれる。
降谷建志はこの曲の中でこうも言っている。

「キミ達も何かでここに並ぼう」

上からではなく、あくまで同列だ。俺について来い、ではなく、一緒に並んで歩こうという誘いかけ。
この曲を一番聴いていたのは高校生のころだが、このフレーズを聴くたびに「私も何かを成し遂げて同じステージに行きたい」と思っていたものだ。

以前も書いた北風と太陽理論ではないが、上の立場から相手を動かそうとするのではなくあくまで同じ立ち位置から鼓舞することで、誰かの救いになることもある。高校生の自分は学校生活にうまく馴染めず、仲がいいと思っていた人が急に離れていくようなこともあり、毎日心にダンベルが乗っているような気持ちで過ごしていたこともあった。それでも、こういった歌詞や本などたくさんの言葉に励まされて、なんとか踏みとどまって今日まで命がつながってきた。

あのとき降谷建志を始めとしたたくさんの言葉に励ましてもらったように、私も誰かの励みになれるように今日も生きることをやめずにこうして言葉を綴っている。
いつか巡り巡って、誰かの救いになれたらと祈ることは烏滸がましいかもしれないが、それでも書かないよりはましだと信じて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?