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[一語一会 #26] オスグッド

正式名称(?)は,オスグッド・シュラッター病というらしい.

スポーツをあまりしていなかった私は,ソフトボールをやっていた後輩が,このオスグッドであるということを聞いて,初めてこの病気のことを知った.高校生の時である.もちろん最初はなんやそれという感じである.
どうやら,成長期や,高頻度でスポーツに取り組んで,膝を使っていると,大腿四頭筋とふくらはぎの骨の結合部分で剥離が生じるために痛みが出るというようなものらしい.

そのことを当時は,全く状況が分からなかったこともあり,「ひざが人よりも少し出っ張っていて」,ということを聞いた私は早とちりして,それやったらスカートは膝下なん?みたいな,割と突っ込んだことを聞いてしまった(会話の相手は女性である).その人が寛容だったからよかったわけだが,ひょっとすると人によってはセクハラと感じてしまうかもしれないところだ.

ただもちろん突き出していると言ってもそれほどのものではなく,少し軟骨があるくらいのことだったのだと思う.私も足のくるぶしより下の方の骨に普通はない(らしいとその当時聞いた)軟骨があって人より少し出ている部分があるが,それが言うほど目立たないのと,同じことだ(と最初に気付くべきだった).

私の場合は,小学生高学年のときにサッカーをやっていたのだけれど,それを中学になって辞めたのは,走ったり繰り返しボールを蹴ったりするとその足の軟骨の周辺で痛みがでるということも,一つの理由だった.
もちろん,習い事としてやっていたわけではなくて技術も大したことなかったし,本気度も高くなかった,というように別の理由もあったから,私の場合は,別にその判断によって精神的・気分的にどうということはなかったのだ.

しかし,やっているスポーツが好きで,続けたいと思っているのに,身体のなんらかの問題で続けることが困難になる例がしばしばあるのを見ていると心が痛むところである(何より,その人自身が悲しみを感じるだろう).

とは言うものの,私自身そうやって打ち込むことができたものはあまりなかったから,本当にそういう人たちがどう感じるのかということは正直わからない.

スポーツも音楽関連もその他も,したいと言ったらさせてもらえるくらいの経済的余裕はあったはずなのに,思いは向かなかった.こころというものはむずかしい.唯一といっていいくらい,打ち込めたといってもいいかもしれないものは,学校のいわば「お勉強」と言われるようなことだ.

そんなことだから,やりたいことも明確に決め切れず,「お勉強」という揶揄にも表れているように今現在私は学びに対してうがった態度である状態で,時間をどのように使うべきか迷い困っているところなのだ.

そんなこんなで,不謹慎かもしれないが,オスグッドとかそういう障壁はあるけれど,どうにかしてそれを乗り越えて,もしくはできる範囲で最大限に,自分の好きなこと,やりたいことをやろうと奮闘する,というような人生を送ってみたいものだなと思ってしまうのだ.

まずは,斜に構える(≒私にとってのオスグッドかもしれない)のをやめてみよう.自分事なのだから.

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