12年に1度の打席
連続投稿。
くすです。
精神論的な話が多いかなと思うので、
高校球児、またその保護者の方々に届いて欲しいまた、野球をやろうか悩んでる子供、その保護者に読んで欲しい経験談を書こうと思います。
僕は、今年まで現役の高校球児でした。
そんな僕は、今年の春の県大会で野球人生12年で1番緊張した打席を迎えました。
その頃僕は、3年生にしてまだ控え。
レギュラーなんて遠く及ばない選手でした。
遠征には監督から3年だから行くか行かないか自分で決めろと言われる選手でした。
そのときは、もちろん悔しかったです。
でも本当のことを言うと、悔しいけど自分が何をすればいいか分からなくなっていました。
しかし、自ら志願して連れて行ってもらった遠征で千葉県の強豪相手には誰にも負けずに声を出しあるか分からないと言われたチャンスをいただき。ヒットを打ちました。
しかし、他の選手は長打を放ち、相手を抑え。
僕にプレースタイルの似た選手は強豪相手にホームランまで打ちました。
後輩に奪われていた2枚目のキャッチャーの座を
なんとか取り返し、今度は選ばれて神奈川の強豪のもとへ遠征に行きました。
またまた、誰にも負けずに声を出しました。
結果はというと、面白いくらいにバットに当たらず、2試合目のスタメンで4三振。
自分の中ではお先真っ暗、周りの選手ももうこの巨体には諦めたと感じ取りました。
しかし、僕の味方は選手だけではなかったです。
ベンチの裏に行くと、たくさんの保護者の方に声をかけて頂きました。
「今日もいい声だったね。」
「くすの言葉は感動するね。」
「打席に立つと何か起こる気がするよ」
決して結果を出せなくても、やるべき事をやれば必ず見てくれてる人がいる。
こう思った僕は、この春は代打の1打席にかけようと心に誓いました。
迎えた春の県大会。背番号は12。
初戦は秋の県大会で負けた学校でした。
キャッチャーは正捕手含めて2人だけ。
使われづらい、立ち位置でした。
ですが、僕の気持ちを悟った後輩に言われました。
「くすさん。バット降っててください。防具は僕が着けておきます。」
この後輩の行動には、本当に感動しました。
そいつは、今1個したで正捕手になりました。
(頑張れ!)
試合は、8回裏3-3の同点。
先頭は、千葉の遠征でホームランを打った選手でした。
そこに、代打を告げられます。
土曜日の球場は、春大会にも関わらず多くの観客で賑わい。スタンドからはメンバーを外れた選手そして、たくさんの保護者からの大歓声が上がりました。
気持ちを落ち着かせた僕には、その音は僅かな音量でした。
チームメイトの打席をベンチから見続けた僕の狙いは、外のスライダー。
このボールにカウントを取られすぎだと思っていました。
そして迎えた初球は、スライダーでした。
そのボールを僕は空振りました。
結果としてはバットを短く握り、外のストレートをライトフライでした。
この一打席にかけてきた自分としては、負けたくない試合の終盤、同点での先頭打者。
これ以上ない打席で、結果を残せませんでした。
しかしこの打席の後、今までにない感覚を感じました。
それは、なぜあんなに集中できてたんだ思うくらいの後から襲ってくる緊張でした。
ベンチから打席に向かうとき乾いていたユニフォームは、1打席終えただけでびちょびちょでした。
今までにない、観客の数、声援の量、集中力、緊張感。あの打席は忘れません。
この打席を一生に一度でも経験できたことは、その後の僕を本当に強くしたと思います。
前述にある通り、この頃は僕は控え選手でした。
しかし、この打席後夏までの3ヶ月で高校初含む4本のホームランを打ち。3ヶ月で夏の4番を掴みました。最後の夏にも4番として逆転満塁ホームランを打ちました。
この打席も印象的ですが、やはりあの打席には勝てません。
そりゃそうです。あの打席は僕の野球人生で12年で初めての打席だったからです。
野球をやろうか悩んでいる少年少女。
お母さん。お父さん。
確かに野球は、危険なスポーツだとやってた身からも思います。
常にケガとは隣り合わせです。
ですが、
これ程、多くの観客の中で、大勢の中からただ1人の選手にプレッシャーがかかる。こんなスポーツありません。
そして、野球には正解がありません。
やればやるだけ強くなり、知れば知るほど上手くなるスポーツです。
野球を通して、様々な人、性格、言葉を学べます
今日ダメだ選手も、明日は輝くかもしれないスポーツなんです。
みんな、野球しようぜ。
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