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芥川龍之介『鼻』と整形ブームに通じる教訓 

芥川龍之介の『鼻』をまた読んで、最近自分がよく感じる感覚とつながる部分があったのでまとめてみる。


1.鼻のあらすじ

とある偉くて高齢のお坊さんがいた。そのお坊さんの鼻は細長いソーセージのようなものだった。僧侶になってからずっとこの鼻で苦しんできた。

色んな手を使ってこの苦しみから逃れようともした。でもその手段は見つからずいたところに、弟子が医者から長い鼻を短くする方法を学んできた。

それを試すと見事に鼻は短くなり、とても喜んだ。しかし少し経つと意外なことに気づく。周りの者が鼻が長かった時とは違う様子で自分の事を笑っているのだ。

そのうち機嫌がどんどん悪くなり、鼻を短くしたのを後悔し始める。しかしある日起きるとまた鼻が長くなって元に戻っていた。晴れ晴れした気持ちになって物語はこう締めくくられる。

――こうなれば、もう誰も哂わらうものはないにちがいない。
内供(鼻の長い僧侶)は心の中でこう自分に囁ささやいた。長い鼻をあけ方の秋風にぶらつかせながら。

短い話でサクッと読めるので興味ある人は青空文庫とかで無料で全編読んでみてください。この終わりは前向きなハッピーエンドにも見えますし、結局また笑われるループになる皮肉めいた終わり方にも見えますよね。

2.この物語のポイント

上ではかなりざっくりまとめましたが、全文読むとわかる重要なポイントは、鼻そのものではなく、鼻を気にしてると思われたくないという自尊心の方を僧侶は問題視してること。いつも鼻の事ばかり気にしては不快に思っている。しかし傷つきたくないのでそれを悟られないようにしている。

鼻つまみ者なんて言葉もあるけど、自分がどう思われるか、自分の内面にしか思考が及ばない人って、嫌われる傾向にあるじゃないですか。さらにそれが年齢が上になったり、立場が上になるとさらに始末に悪い。

この僧侶はイライラしすぎて、誰でも意地悪く叱しかりつけて、ついには弟子から「法慳貪の罪を受けられるぞ」(僧侶なのに仏様から罰を受けるぞ)とまで陰口を叩かれるほど嫌われるようになります。

話の途中で傍観者の利己主義、つまりコンプレックスに対する周りの人の心理についても言及しているのだけど、僕はやっぱり僧侶の内面の方の問題が大きいんじゃないかと感じてしまう。

3.鼻と整形ブーム

読んでいて、現代につながるなと思ったのが、昨今の整形ブームだ。誤解しないでもらいたいので先に言うと、僕は整形で本当に幸せになったり、トラウマから脱却できたり、納得したうえで自分のためになるのであれば、否定する権利もないしやっていいと思う。

昔から容姿について悪口を言われそれがトラウマになっていたり、容姿は親から受け継ぐものなのでその関係がうまくいってなくてそこから解放される意味だったり、もちろん怪我や病気でやむを得ず整形することもあるだろう。いろんなケースがあるので整形すべてに対して言っているわけではないとご了承ください。

かなり個人的な感想としてぶっちゃけて言うと、整い過ぎてあまりにまっすぐな鼻筋、小顔にとらわれ過ぎて削りすぎてものすごい細いアゴ、極端に大きな二重まぶた、どでかい涙袋・・・とかパッと見てすごい違和感がある。これは僕が男性で美醜にずっと晒される女性側の事を何もわかってないと言われればそうなのかもしれないけど美容業界の金儲けの為も絡まって、最近は行き過ぎてるとかなり強烈に感じる。そもそも人は加齢には抗えないし、どんな美男美女も醜くなっていく。

そのうえでこの物語とつながる問いというのは、顔や容姿を変えること=あなた自身の悩みの解決に本当になるのか?ということ

4.価値観を変える事=自分が変わること

鼻が短くなるという望みが叶ったのに周りの人は笑ってる、イライラして周りにさらに疎まれる→また鼻が長く戻って晴れ晴れした気持ちになると物語は終わるけど、あなたはこの僧侶が幸せになると思いますか?それともまた自分の鼻ばかり気にして同じ苦しみのループになると思いますか?

やっぱり変わるべきは内面であり、外面ばっかり気にして変えたって結局意味はないってことなのかなぁって感じる。自分を受け入れられず、見た目ばかりにこだわっていても同じ苦しみが続くだけ。

じゃあどうすりゃいいのかと言えば、これは僕なりの考えになっちゃうけど自分の醜さも受け入れて、それとは別の価値観に重きを置く。趣味を突き詰めるとか、創作する、本や映画を見る、新しい文化に触れる、全く違うコミュニティの人と関わってみるとかなんでもいい。自分が得意な事や、できそうなことから世界を広げるとか。

言い方悪くなるけど、たまになんでこんな太っていてブサイクなのにこんな立派なパートナーいるんだろ?みたいなカップルいたりする。一見不釣り合いだけど、その二人にしか見えない魅力や価値がパートナーは持っているんだろう。

結構世界は広くて、あなたが嫌いな容姿も好きだって言ってくれる人はいるかもしれないんですよね。確かに美醜や容姿ばっかり気にする浅はかな人が多数派ですけど、ちゃんと内面とか自分でも知らないところに魅力を見出す人っていると思う。

そもそも美とか容姿とか比べるものではないんですよ。あっちの方が上、下とか美しさとか競うコンテストとかあるけど、ナンセンスというか、人の価値を順位で決める事すら間違ってる。

逆を言えば派手で容姿だけ整っててかなり考え方偏ってる人もすごく多いんですよ。美女だけど思考が単一で話がとてつもなくつまらない人だっています。

だから容姿とか体型とかに縛られていつまでもイライラしてたり、この僧侶のようになってしまうので、それを認めて、違う価値観を育てる。周りの人や環境はどんどん変わっていくし、周りばかり気にしているといつまでも僧侶のように振り回されることになってしまう。






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