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宅録について(bandcampリリース作解説)

自分は普段ギターの弾き語りを中心に活動をしているのだけど、それとは別に昔から宅録、多重録音が好きで、時間や体力に余裕のあるとき、音をMTRであったりDAWであったりで重ねていく作業をしてきた。

2000年代〜2010年代前半はまだ宅録という言葉が流行っていた時代で(今はひとりでDAWやらiPhoneのアプリやらで完結させるのも当たり前のことになって、若干死語になりつつあると感じる)、メジャーな録音、制作に対するアンチテーゼみたいな働きもしていたと思う。 

クラブミュージック系の方面の当時の制作環境とかは疎いから言及はしないのだけれど、ロック周辺に関して言えば、バンドが今よずっと沢山いて、そしてそれゆえ?、ひとりで音楽を完結させる人は、もちろんそれなりにいたものの、今ほどは多くはなかった。

2010年代後半くらいから宅録という言葉は徐々に概念として廃れていっているけど、今でも宅録という言葉に、誇りを持って使っている人も多数いるしそれは良いことなんじゃないかと思う。宅録って言葉の持つ独特のニュアンスは素敵だと思う。

話を自分の音楽のほうへ持っていくと、かくいう僕も宅録をするのが好きで、自分のdemoなども1人でよくMTRで作っていた。
最初に高校2年生のときにTASCAMのMTRで作った作品が「造り物の世界、熱の世界」(2010)。

(name your price)(CD-R版は廃盤)

これはいま聴くとコアなマニア向けというか聴きにくい内容ではある。

「録音のノイズや音割れはマスターに由来するものです。このアルバムは2010年、17歳の時に発表した作品です。当時は身近な人にのみ販売していました。この音楽は今の僕には再現できません。MTR、マイク、アコギ、リコーダー、カズー、Ibanezのエコーのエフェクターで作ったと記憶しています。」

「高校2年生の時に作った初作品。奇妙なフォークアルバムだと思う。当時愛聴していた音楽は、戸張大輔、たま、ゆらゆら帝国、US/UKの古いロック/フォーク/サイケ全般。謎のインストの後に、1st Album「舟はまた壊れる」に収録される「森」「夜」「雪」の原型、そしてラストの「無題その1」は人生初ライブの録音(@高円寺無力無善寺)。「森」「夜」も、歌詞がほとんどついていないので、謎の言語で歌っている。「pre坂口諒之介」的な趣でちょっとマニアックな内容かもしれないが、「17歳がこんな音楽を演奏していた」というのは面白い事実なのではないかと思う。  」

この作品についての忘れられない思い出。
当時高円寺の円盤(現・黒猫)に委託依頼で持っていったところ、店主の田口さんに「うちでは取り扱いできないけどモダーンミュージック(明大前にその当時あった、PSF Recordsの故・生悦住さんのお店)に持っていくといいかもしれない」と言われて断られた。
しかし今よりメンタルの弱かった自分はモダーンには持っていかず、断られたショックで高円寺駅のトイレで大泣きしていた記憶がある。17歳、弱かった。

ちなみにモダーンの存在は当時からゆらゆら帝国〜Tokyo Flashbackに遡って聴いていて、PSFリスナーだったので知ってはいた。もしこの作品をモダーンにも持っていっていたらまた今とは少し模様の違う人生が待っていたのかもしれない、とも思う。

・・思い出話を書きすぎた。
さて、その後数年経って、その5年の間に色々とわずかながらも音楽的には成長し。そして同じMTRで作ったのが「坂口諒之介」(2014)。

(¥400)(CD-R版は廃盤)

「このアルバムは21歳の時に発表した作品です。録音は全て自宅にて一人で行われました。」 

「坂口諒之介名義で一般に流通した初のアルバ厶。2014年5月にCD-Rで発表。現在廃盤。
一週間くらいで一気に集中して録音した。弾き語りのアレンジを基本に、曲によってはギターやコーラスを重ねている、シンプルな内容。当時の自分の考えていたこと、見えていた世界が、そのまま音楽のなかに閉じ込められている。この作品の内容も、雰囲気も、音像も、もう今の自分には再現することは出来ない。当時ディスクユニオンで委託販売の依頼にあたっての文章↓

「『最後に残るのは、哀しみか?』清らかな歌声、切ない響きのギター、もの哀しい言葉が織り成す繊細で儚い音世界。坂口諒之介、渾身の全七曲。」   」

基本はエレアコの弾き語りだけど、今聴くと精神的には限りなくシューゲイザー的だと思う。当時はシューゲイズにそこまで興味はなかったけれど。
サウンド面でもボーカルが遠かったりして。

これはギター用のリバーブペダルをそのままボーカルにかけている。使っていたMTRにエフェクト機能がついていなくて(今考えるとわりとひどいな)、それで編み出した苦肉の策だった。ギターもエレアコのライン録音。
それでこの変わった音になっている。
でもそんなことはどうでも良く。自分で聴くと、不思議な音楽だな、今より生きづらそうだな、と思う。あと知識が今と比べると全然ないので、そのぶん、逆に柔軟な発想ができている部分もあると思う。

そして時が経ち2019年〜2022年。
2016年にも自主制作作品のリリースがあるのだけど、それはまた別の機会に。

この時期は新譜をたくさん聴いていた。聴かなきゃいけないなと思い聴いていた。リスナーとしては楽しく、ミュージシャンとしてはしんどかった3年間。

それまではなんだかんだロックやフォークを聴くことが一番多かったのだけど、その頃にヒップホップ(当時の現行シーンではなく、少し前のものを聴いていた)に強く影響を受けて、そこからジャズ、ソウルやファンク、レゲエ、エクスペリメンタル、アンビエントやニューエイジなど、今まで手をあまり出していなかったものを熱心に聴くようになった。 

自分の弾き語りについて否定的だったのもこの時期。アコギの弾き語り、ましてや自分のような、三和音が中心で複雑な和音も和音進行もないような音楽なんて古臭いだけだ、みたいな気持ちだった。まぁそれがいかに短絡的で愚かで排他的で良くない思考だったかは、今となってはわかるけど、当時は視野が狭かった。

それでこの時にリリースしたのが、坂口透徹名義での「Instrumentals 2019-2022」。

(name your price)

「2019年から2022年にかけて、坂口がiPhoneやMPC1000などの機材で作り続けていた謎Instrumental集。2トラックに15曲詰め込みました。」 

「この当時はHip Hopやその周辺の音楽、Jazz全般、あとはエクスペリメンタルとかアヴァンギャルドなどと呼ばれる音楽を愛聴していたので、その影響が出ている(と思う)。発表当時話題にしてくれた人は少なかったが、刺さる人には深く刺さる内容のはずで、発表して一年経った今自分で聴いても、いい作品だと思う。思い入れのある曲はSIDE-Aラスト「Doomy-Bomb」とSIDE-Bの4曲目「逆襲」。  」

カッコいい作品だと思うのだけど、自分は感覚がズレてるらしく、また周りにこうした音楽を聴く人も少なかったので、話題にしてくれる人はごく一部だった。しかし話題にしてくださった方からは「フリージャズ的アヴァンギャルド」「インプロビゼーションがサイケ」「独自性がある」「毎年少しずつ作るものを深化させていっている」などの感想をいただいて。
とても嬉しかったな。

ちなみに、この時使っていたMPC1000は今はサクライくん(分水嶺/水いらず/chibastation/エンヤコーラーズ/PYGMALIONZ)の手元にあります。

この作品を作り始めた辺りからは、そのあたりの音の質感だとかリズムだとかミックスだとかを以前よりも意識して聴くようになったりもしたし、この時の経験は今の弾き語り方面での制作にも大いに活きていると思う。

今はまた作品を作ってます。今夜はレコーディングに向けての4人スタジオ。
楽しみだな。良い作品作るぞ。

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