ダウン症のユーキくんと僕 (4)
「ありがとう」
相手に感謝の気持ちを伝えるのに、とてもストレートで明快な言葉だ。
お母さんといっしょに、ときには拍手をしたり声を上げたりと、大げさなほど、僕らはユーキくんに「ありがとう」の気持ちを伝え続けた。
ユーキくんの表情も、少しずつ柔らかくなってきているのが分かった。
いっぽうで、昼夜逆転生活の要因になっていたiPadを使う時間を制限させてもらった僕は、ユーキくんに対して「代替品」を準備する必要があった。
「駄目なこと」を提示するときは、必ず「やってもいいこと」を提示しなければならない。
僕らだって、禁止だらけの世界では息が詰まってしまうだろう。
そこで、考えた。
まず、ユーキくんがよく観ていたDVDをお母さんに借りてきてもらう。
好きな時間にYouTubeで大好きな映像を観ることが出来なくなっているユーキくんは、きっとDVDを手にとってリビングで観ようとするだろう。
でも、ユーキくんがいつも見ているリビングのテレビは、なぜか毎回エラー表示が出て、DVDだけは観ることが出来ない。
この不幸中の幸いとも言えるテレビの故障を利用して、「だったら、車でDVDを観よう」とドライブへユーキくんを連れ出す作戦だ。
もちろん、決して強制はしない。
お母さんが借りてきてくれたのは、大好きな「志村けんのバカ殿様」や「ポケットモンスター」などのDVDが数枚、それに「よく聴いていたから」と「ゴールデンボンバー」のCDだった。
ユーキくんは、すぐにDVDを広げた机に近づいてきた。
でも、準備したDVDには目もくれず、手にとったのは「ゴールデンボンバー」のCD1枚だった。
好きなものを揃えたのに、どうしてDVDじゃなくてCDなんだろう。
しばらく考えて、答えは出た。
レンタルビデオ店で借りた際、DVDはパッケージを抜かれるけれど、CDはケースに入ったまま渡される。
つまり、よく聴いていたCDの「パッケージ」に、ユーキくんは反応したのだ。
突然2階へ上ったユーキくんは、そのまま部屋からCDラジカセを持って降りてきた。
あぁ、結局部屋の中で聴かれてしまうんだ。
作戦は大失敗。
でも、
まだ神様はいた。
なんと、そのCDラジカセには電源コードがなく、聴くことが出来なかったのだ。
その様子を見て瞬時に閃いた。
僕はユーキくんが手にしていたCDをいったん預かり、お母さんに指示を出した。
「お母さんの車の窓を開けて、CDを大きな音で流してみて下さい」
玄関から外へ出て、お母さんは急いで車の窓を全開にして、大音量でCDを流し続けた。
僕は、玄関に停車しているお母さんの車が見えるようリビングの窓を開け、ユーキくんにこう伝えた。
「ほら、こっちに来てみて。CDの音が車から聞こえてくるよ」
相変わらず、声かけに対しては手をひらひらさせてNOの意思表示を示していたユーキくんだったが、何度か声をかけていると僕の傍にやってきて窓に耳を澄ませた。
たぶん、僕の言っていることを信じることが出来ず、自分で確かめようとしたんだろう。
隣の犬の鳴き声とともに、ゴールデンボンバーの歌声が、かすかに聴こえてくる。
「ほらね、いっしょに車の中で聴こうよ」
僕の一言で、ユーキくんはリビングをショートカットし、小走りに玄関へ向かった。
なんと自分から靴を履いて、玄関を開けて、そして助手席に乗り込んだのだ。
僕は、両手で大きな丸印をつくってお母さんに告げた。
助手席に座ったユーキくんは、ドライブ中、ずっと外を見て、ときおり穏やかな顔を浮かべていた。
僕は、後部座席からその様子をそっと見守った。
退行症状を示してから、初めて自分から外に出ることが出来た瞬間だ。
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