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ダウン症のユーキくんと僕 (3)

現在の姿から想像できないくらい、小さい頃のユーキくんはとても活発な子どもだった。

学校やスーパーで姿が見えなくなったり、自転車に乗っていなくなったりすることも頻繁にあったそうだ。

ドライブが大好きなユーキくんは、両親の車に乗るときは、いつも助手席に座っていた。窓から外の景色を眺めたり好きな曲を聴いたりと、長時間のドライブが何より好きだったという。

そんな話をお母さんから聞いているうちに、

「車に乗ってドライブをすれば、きっと楽しんでくれるんじゃないか」

僕はそんな考えを抱くようになった。


ユーキくんは、あるときからほとんど言葉を発することがなくなった。

コミュニケーションの多くは、右手を使ったジェスチャーで、「OK」のときは親指を立て、「NO」のときは手をひらひらと振る仕草をする。

「お母さんの車で、ドライブに行こう」

僕やお母さんが声をかけても、手をひらひらさせて「NO」の仕草をする。

「もしかしたら、僕らの言葉が理解できていないんじゃないか」

今度は車が見えるようにカーテンを開けたり車の鍵を見せたりして、再び声をかけてみた。

やはり、手をひらひらさせたままだ。

そういうやり取りが何度か続いたあと、ユーキくんはトイレに入っていった。

トイレは玄関の近くにあったから、僕はユーキくんがトイレから出るのを待ち構えて、うしろから体をぐいっと押してユーキくんを玄関に誘導した。

「ほら、ドライブに行こうね」

靴を履くのも嫌がっていたから、もう靴下のまま、お母さんの車まで連れ出してみた。

すると、助手席のドアを自分で開け、ユーキくんは車に乗り込んだ。

「このまま、ドライブに行きましょう」

僕はお母さんにそう声をかけて、昔よく行っていたというコースでドライブに出かけた。

ユーキくんはずっと外を見つめていた。

途中で、馴染みの自動販売機やTSUTAYAに立ち寄ってもらったけれど、車から降りようとはしなかった。

後部座席から肩にそっと手を置くと、小刻みな震えが僕にも伝わってきた。

家に戻ったユーキくんは、テレビを点けたまま、しばらく呆然と立ち尽くしていた。

「外に出てみれば、何かきっかけが掴めるんじゃないか」

そんな僕の傲慢で強引な支援は、簡単に否定されてしまった。


何かを踏み出すには、勇気が必要だ。

誰がどんな声かけをしても「NO」の意思表示を示すユーキくんにとって、もしかしたら一歩を後押しすることは、何かのきっかけにつながるのかも知れない。

でも、それは彼自身の意志でなければならなかったのだ。


後日、僕はある女性に電話を掛けた。

彼女は、娘がダウン症でユーキくんと同じような退行症状を発症し、10数年も時間がかかったが、回復してきたという経験を持っている。

ダウン症の退行症状については、「こうしたら防げる」などの一般的な予防法はネットなどでも目にしていたが、いざ発現したあと、どんな支援をすればよいか具体的な資料をほとんど目にすることができなかった。

僕がこの文章を書いているのも、同じような問題に悩む人たちの一助になればという思いで綴っている。


彼女から話を伺って、僕は2つのことを学んだ。

まず、人間関係を再構築する必要があるということ。

家族と本人の関係性が崩れていまのような状態になっているから、家族と本人の関係を再構築するのではなく、第三者と本人の新しい関係性を気づくこと。確かにユーキくんのなかで、お父さんは怖い存在、お母さんは自分の言うことを聞いてくれる存在という上下関係ができているように感じた。

だから、僕のような人間があいだに入ることは正解だったのだ。事実、彼女もヘルパーなどを使って、人間関係の再構築を行っていったようだ。

そして、もうひとつがひとりの大人として接すること。

障害のある人と接する際に、ときどき小さな子どものように扱ってしまうことがある。そうではなく、ひとりの大人として対応することが大切なのだ。

そして、「笑顔になってくれて、ありがとう」「食器を運んでくれて、ありがとう」と本人の些細な行動にも感謝をすること。

当たり前のことができていなかった。

ユーキくんに感謝をすることで、彼自身が、この世界で存在している意味を感じ取ってくれるかも知れない。そんな期待を抱いた。


まだ、ユーキくんの周りには深い霧が立ち込めている。

果たして、これからどんな支援ができるのだろうか。

そして、僕はユーキくんの歩く道程を切り開くことができるのだろうか。



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