ねずみ時計

ねずみ時計【第18回坊っちゃん文学賞応募作品】


 私は定職を捨てた。
大学を卒業してから八年も同じ職場に勤めていた。小さな貿易会社の事務として入社した私は、年月を重ねるたびに社会の一員として「出来上がって」いく同期をよそに、八年経っても野暮ったく会社の隅でぱちぱちと電卓を叩くしがないサラリーマンとして日々を過ごしていた。三十にもなれば同じ歳の者はみな家庭を築き、いわゆる出世と呼ばれる役職の付与とそれに値する給与の上昇に満足し、毎月末には「今日はもう帰って酒盛りだ」と言わんばかりに機嫌よく定時ぴったり帰宅していく。私を除いて。

要領が悪い私ではあるが、何か一つのことをじっくり考えることだけは好きだった。仕事のことだけではない。家の中にある小説を手に取り物語のなかの主人公たちの行く末について妄想したり、家の近くにあるしょっちゅうテナントが変わる空き地に次は何ができるのかを予想したり、公園に出かけベンチに座り、穏やかに時を過ごす家族連れを見ながら自身の在り方を考えてみたり――。
 そのどれもが私の人生を劇的に変えるものではなかったが、考え事をすることで人間として生まれ授けられた「言葉」と「知能」が生きているような気がして、実際に何か成功したとは言えない人生でもそこそこ楽しくやれていた。私と同じ年の人間が、会社の同期が、いくら私からすれば想像もつかないほど人生経験を積んでいると分かっていても、私はそれでよかったのだ。何もドラマチックなことが起きない人生でも。
 だが、今の私はそれが出来なくなっていた。

人より不出来な人間だとは自覚していた。
私は要領が悪く頭の回転が遅いことに気づいていた。その要領の悪さが仇をなし、会社という組織においてマイナスの力ばかり発揮させていた。うまくできない、ということは事実以上に当人にストレスを課す。仕事ができないからと言って、それを看過するほど精神が強いわけでもなく、改善の兆しがないくせに人に迷惑をかけているという事実に頭を悩ませることになった。自由な妄想を広げることが出来ずに、毎日自己嫌悪にまみれて、それに頭を支配されていた。考えることが出来なくなると、人は枯れてゆく。会社と自宅の往復に彩りがなくなり、ついに起き上がることが出来ず、勤める気力さえなくなってしまった。そこからは早かった。会社側も私の状況を踏まえて休みを与え、それでも勤務できないとわかると退職勧告を出した。私はそれに抗うことはせずに、会社に入社して初めてとんとん拍子に事が進み、会社を退職した。
 何もなくなってしまった。会社を辞めたからと言って、自己嫌悪から解放されることはなかった。一日のほとんどを布団で過ごし、外に出ることといえば腹が減って徒歩一分のコンビニに行くことくらいだった。
いつしか私は、物事を考えるということが出来なくなった。

ある日、家の水道が止まった。風呂に入ろうとして気づき焦って水回りを確認するも、異常はなかった。外にある水道管がおかしいのかと、コンビニの用事以外で初めて外に出てみると、工事業者とみられる人間たちがアパートの前に集まっていた。聞くと何らかの要因で水道が止まってしまったという。憂鬱だ。水が出なければトイレにも行けないし、今から入ろうとしていた風呂にだって勿論入れない。いつ水道が復旧するかはさておき、無性に風呂に入りたかった私は近くの銭湯に向かうことにした。銭湯まで徒歩十分、とぼとぼ歩いていると見慣れない店に気が付いた。テナントが次々に代わるあの空き地に、今度は古びた雑貨店が出来ていた。次に何ができるか考えることが出来たのはずいぶん昔だが、それでも予想だにしないテナントに少しびっくりした。雑貨店と言っても新しくできたような小綺麗さは全くなく、駄菓子屋のように昔からそこに在ったかのように古ぼけた風貌を成していた。
 店のドア横にはガラスで囲まれたショーケースにいくつかの品が並んでいた。どれも買い手がつくのすらもわからない、ガラクタばかりのように見えた。ふと、自分の目線上に置かれた置時計が目に入る。チープで昭和の香りが残る何とも言えないパステルな色使いをされていた。丸みを帯びた時計の右上には小さいねずみのキャラクターがちょこんと座っている。

 「ねずみ時計といいます」
 急に声をかけられ、心臓が大きく跳ねる。思わず横を見ると、私の半分くらいしか背丈のない小さな老婆がそこにいた。
「この時計を起動させた人は、周りの何倍もの速さで人生が進んでゆくのです」
 私は思わず後悔した。胡散臭い理由を付けてぼったくる怪しい店だったのではないだろうか。老婆は私の思いをよそに勝手に喋る。
 「誰しも人生の中にはつらい瞬間があるのです。時が解決すると分かっていても、そのひどさに耐えることが出来ない人もいます。この時計を起動させればたちまちその瞬間、つらい時間は過ぎ去り傷を癒してくれるものなのです」
 「――それはつまり、悩んでいる時間を飛ばしてなかったことにするということなのですか」思わず聞いた。今まさに路頭に迷い人生を食いつぶしている私にとって、少し興味を引く話だった。

 「なかったことにするのではありません。その人にとって、つらい時間を超えた先に望む状況まで、この時計が連れて行ってくれるのですよ」
 私が思うのもなんだが、要領を得ない答えだった。受け入れがたい話だが、何を考えているかわからないしわだらけの顔にある二つの目は、嘘をついている目ではなかった。
 「四百円です」
老婆が言う。驚愕した。その話にしては安すぎる。
 やはりガラクタではないか。ありもしない話を付けていわくつきのものを集めている物好きなコレクターに売っているのだろう。なのに、私はその時計から目を離せないでいた。それだけ救いを私は欲していたのか。老婆に流されるまま、私は店内に入り財布から四百円を取り出した。ショーケースからねずみ時計を出し、単三電池ひとつと一緒に紙袋に入れてくれた。確かに時計はまだ動いていなかった。
 「起動させるときに、考えるのです。自分がこの先どうなっていたいのかを」

 銭湯から自宅に帰ってきた私は、道中購入したねずみ時計とにらめっこをしていた。勢いで買ってしまったはいいが、やはり騙されていたのではないか。あの店はいわゆる呪いの人形とか、その類のコレクターショップだったのではないか。私が知らないだけでその界隈では有名な店だったりして。
 しかし、ねずみ時計とは変なネーミングだ。ねずみはその体躯の小ささからか心拍数が早くほかの哺乳類よりとても短命だ。そのことから着想を得て小話をくっつけたのだろうか。何とも安っぽい置時計を見ながら買ってきた発泡酒を一気に煽る。

しかし、人生の停滞から打破したいという心の隅にある思いを私は見逃せなかった。もし、本当に悩んでいる期間を飛ばして望む状況に連れて行ってくれるのなら? どうせこれを購入してもしなくとも、今の私では元の妄想好きの青年に戻ることはできまい。ならば四百円の出費など、どこぞの宗教にはまるよりもよっぽど小さい負担なのではないか。
 なにより、ねずみ時計について話す老婆の異様な真剣さが、私の心をつかんで離さない。私は考え事が出来なくなってから初めて、この時計の、自分の将来のことについて改めて考えようとした。心臓がばくばくと高鳴った。この電池を入れたら、本当に。しばらくして意を決し、単三電池を入れて時計の針を時間に合わせる。

――何も起きなかった。はあ、とため息をつく。やはり騙された。ただのガラクタ売りじゃねえか、と正常に動く時計をみて悪態をつく。もうやめだ。酒も入っているし今日は寝てしまおう。


目を覚ます。しんとした空気が鼻を刺す。異様に冷たい空気に違和感があり、布団から飛び起きる。周りはいつもと変わらない自室のままだ。しかしなんだかすわりが悪く、窓を開ける。
なにもない。真っ白というわけではないが、あたりに人や近くにある工場もなくなって、一面更地になっているのだ。まるでこの部屋だけが取り残されているような。土っぽい更地に、たまのそよ風が吹く。地平線まで見渡せるような一面の更地に、私は取り残された。私とこの部屋以外が遥かに時が経ち、文明が滅びてしまったとでもいうような。

そうか。私は人生の栄転を望んでいたのではなかったのだ。私は人生を動かすことに疲れ、人との関わりや生活のための金稼ぎなどから解放されたかったのだ。
社会が成されていないのだから、私の人生に介入してくるものはひとつもない。私の思考を邪魔するものは、もうない。考え事を出来なくなってしまったのは、私という人間が社会においてどう生きるのかという将来への不安があったからなのだ。誰かと比較し、社会になじめずそれでも資本主義のこの世界でどうやって生きていけばいいのかと。

しかし、これでよかったのだろうか。私が考え事を出来ていたのは、すべてその社会から生まれた土地、店、もの、そして人間たちがいたからではないのだろうか。私は私以外断絶された世界を、本当に望んでいたのか。
それとも、ねずみ時計を起動したとき、考えるということが出来なくなった私だったからこそ、このような状況しか望めなかったというのか。あの時、私の頭は思考ができないほど体を動かすことしかできない状態だったから、その中での望む状況が「これ」しか作れなかったのか。ねずみ時計の、当時の私の思惑どおり、当時よりはっきり思考をすることが出来る。出来てはいるのだが。

老婆の言葉を思い出す。
「起動させるときに、考えるのです。自分がこの先どうなっていたいのかを」
いま、だからこそ考えてしまう。これで本当に良かったのだろうか――。

皮肉のように、カチ、カチ、ねずみ時計だけが鳴いている。

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