大谷 佐智「描くことは生きること」
1.曼荼羅とは
古代インドに起源をもち、その種類は数百にのぼるとされる「曼荼羅」。
近年この「曼荼羅」は、ペンで描いたり塗ったり、糸で表したりと、誰もが気軽に取り組むことができるアートツールとしてさまざまな場面で目にするようになっている。
大阪府在住の大谷佐智(おおたに・さち)さんも、数年前から曼荼羅をペンで描く「線描曼荼羅」に取り組んできた。
「絵を描くことは昔から苦手だった」という大谷さんは、どういう経緯でこの絵を描くようになったのだろうか――――。
2.海外への視点
1978年に2人姉弟の長女として生まれた大谷さんは、両親が共働きだったため、小さい頃は祖父母の家に預けられていた。
「隣近所にいた同い年くらいの女の子3人と毎日遊んでいました。『早く帰ってきなさい』と言われるまで、ずって外で遊んでいるような活発な子どもでしたね」
中学校にあがると、ソフトテニス部へ入部し、3年間汗を流した。
顧問の先生が熱心だったこともあり、朝練や休日なども練習に励んでいたようだ。卒業後は、私立の進学校へ入学した。
「楽しいことが好きなのに、みんな勉強しているから一番嫌な時期でした。ラグビーやバレーボールなど限られた部活だったので、打ち込むこともなくて、ただ日々の宿題をこなしていく感じでした。成績もめちゃ悪かったんです」
浪人生活を経て、高校卒業後は大阪府和泉市にある桃山学院大学経営学部へ進学。
小学校の頃に少し習っていたため、1〜2年生のときは少林寺拳法部へと入部した。
「毎日の練習はハードで、多くの時間を費やしていたんです。続けていくうちに、『これだけで大学生活を終えてしまうのはちょっとな』と思うようになりました」
やがてアルバイトをしながらお金をためて、大学2年生の夏季休暇の際には初めてサンフランシスコへ海外旅行に出かけた。
なんと初の海外が一人旅で、1ヶ月間と言うから驚きだ。
「とにかく違う世界を見たかったんです。語学学校に行ったり寮生活を楽しんだりしていました。言葉は通じないんですけど、現地の人に助けてもらうことも多くて、それが楽しかったんです。自分の周りにはこれまでいなかった人たちばかりで、それから頻繁に海外へは出かけるようになりましたね」
昔から「楽しいことが好きだった」という大谷さんにとっては、息苦しい環境での息抜きの場が海外という場所だったのかも知れない。
以後もアメリカやニュージランド、そしてオーストラリアにイタリアなど海外諸国を訪問してきた。
ときには、バックパッカーやホームスティをしながら旅をしたこともあった。
30代頃までは頻繁に海外旅行を楽しんでいたが、そのどれもが型にはまったツアーではなく、分からないなりに自分で計画を組み立て、現地の人との偶然の出会いや交流を楽しみながらの旅だったようだ。
3.病の発覚
大学を卒業したあとは、情報システムを扱う会社に入職した。
営業事務として9年ほど働いていたが、「もっと違うこともしてみたい」と退職。
以前から心理学に興味をいだいていたという大谷さんは、ハローワークの斡旋で半年間、学校へ通いカウンセリングの資格を取得した。
「大好きな祖母が病気になって、高校生のときから一緒に暮らすようになったんです。祖母は難病でいつも『つらい、つらい』と言ってたんですけど、わたしは見ているだけで何もしてあげれなくて。そのときから人のこころを癒す手段に興味を持ち始めていたんです」
その後は、派遣社員などの事務仕事を繰り返し、1年ほど前から現在の職場で働いている。
そんな大谷さんに転機が訪れたのは、2015年のこと。
乳頭から分泌物が出たことに気づき、自分で調べていくうちに他の症状も当てはまっていたため、病院を受診。
検査の結果、同年10月に乳癌が発覚した。
1ヶ月後には全身麻酔で乳部全摘と再建手術を行ったが、手術は10時間にも及んだようだ。
「手術が終わって麻酔が無くなっていくときが、一番しんどかったんです。もう死ぬかと思いました。気分も落ち込んで、体力的にもきつくて、『手術せんかったから良かったかも』と後悔したほどでした。手術したら終わりじゃなくて、いろいろな治療や検査があったりしますから」
4.自分がやりたいこと
手術を経て、「自分がやりたいことをやったほうが良いな」と感じた大谷さんは、自然と曼荼羅に惹かれるようになった。
調べていくうちに「曼荼羅アート」の存在を知り、短期間の講座に通い始めたというわけだ。
彼女にとっては、ペンだけで描ける手軽さも魅力的だったのだろう。
これまで100枚ほどの絵を描いてきたが、小さい絵で1時間、大作になると6〜7時間を費やすこともあるようだ。
「描いていると、自分と繋がっているようで、すごく集中できるんです。描いているとき、自分でも気づけていなかった自分の本質を感じる気がするんです。以前、人に教えることもしてみたんですが、やっぱり自分の好きなように描くほうが楽しいみたいで」
左右対称な形に描くこと以外、描き方にルールはない。
できあがった形や線の太さなどに個性が反映されるのが、曼荼羅アートの魅力のようだ。
5.描くことは生きること
古来、インドで発明された曼荼羅は、ほんらい宇宙と自分自身が本質的には同じであることを体得するための道具だった。
そして、曼荼羅の中に「死」が大きく描かれることはない。
つまり、生きるための術として曼荼羅は機能していたわけだ。
そう考えると、乳癌という「死」の淵を経験した大谷さんが、曼荼羅と出合ったのは必然に感じられるし、描くことを通じて生きる希望を見出していったのも、僕には納得ができる。
ひとはどんな境地に置かれても、決して表現することをやめようとはしない。
近年、大谷さんは描くことを休んでいるというから、描き続けたことで、心身ともに回復し落ち着いた暮らしをすることができているのだろう。
「いままでは、周りの目を気にしたり他人の顔色を伺ったりと、どうでも良いことで悩んでいたんです。自分の人生を生きていなかった気がします。いまはそんなことはなくて、早くまた旅行に行きたいですね」
大谷さんの半生を振り返ってみると、色々な規制や束縛から自由でいることを常に求めてきた。
そうした考えは、誰もが求めることだが、残念ながら僕らは社会で生活していく以上、あらゆる規範やルールから逃れていくことはできない。
ときには、それが手枷足枷となり、彼女を縛り付けてしまうかも知れない。
でも、きっと大丈夫だろう。
紙とペンさえあれば、彼女はどこまでも描くことができるのだから。
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