きっかけは文学部

農業をするなんてのは考えたこと無かった。

実家は田舎なので周りはみなさん兼業農家。昭和末期まで周辺は田んぼと採卵養鶏。家の裏も人の家の田んぼと養鶏。法律とか条例が変わったのか、1980年代までうちの町は兵庫県でも養鶏の盛んなエリアで、200戸にも満たないうちのムラで、10軒くらい採卵養鶏やってたが、令和にはゼロ。中学校区、いわゆる大字で3軒しかないと思う。農協にはかつて卵部会があったが、そんなものはなくなった。

大学に進学し、二回生となり研究室に入ると広島県立大学から助教授がやってきた。徳野貞雄助教授。今は退官されたが熊本大学名誉教授で農村社会学の先生で、「道の駅」を名付けたのは俺だと言ってた。

徳野先生はゼミで大学院までお世話になった。
でも、大学院まで農村社会学の先生についてるからといって農業するわけもなく、もちろん社会学の先生なので農業の技術なんかもあるわけなかった。

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