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「頑張ること」をやめるのではなく、「頑張ること」の定義を変えていく。(燃え尽きかける中で気付いたこと)

こんにちは。東(あずま)ゆうです。
人生最大級の「燃え尽きかけ」をぎりぎりのところで乗り越えたので、備忘録です。


医学部編入試験には魔物がいる

昨日オンライン塾の先生(現役医学生)と話していて、ほっとした。それは、先生が「人生で一番辛かったことは編入試験だ」と言っていたこと。
入学後の勉強よりずっとしんどかったと言われて、物凄くほっとした。
正直頭はパンパンに限界で、後頭部が重だるく「頭が拒否する感覚」になる。
気を抜くとふらっともっていかれそうになる波が何度もくる。
これはたぶん一生で今しか経験できない貴重なものだと思う。

危うく燃え尽きかけていた私

実は何度か波はあったけれど、昨日ついにお昼ご飯も夜ご飯も食べられず、
早朝から涙が止まらない状態になって気付いた。やばい。
一度バーンアウトしたことがあるけれど、今回は比にならない。
ここで止まらないと、長期間立ち上がれなくなるのが分かる。
こんな時心理学を学んでいて本当によかったと思う。
一線を越える手前で、ぎりぎり踏みとどまれた。
心を集中治療するイメージをもってみると発見が多かった。

私が経験した、燃え尽きかけのサイン


①いつも気にならないことでイライラする。
②自分が普段セーブしていることができない。
(私の場合、周りに感情的に怒りをぶつける)
③1人の時間が無性に欲しくなる。
④「なんでわかってくれないんだ」という気持ちがぶわっと湧く
⑤ぷつんと心が切れていく。気力がなくなっていく。

①から始まり、徐々に②~③のフェーズに行き、④が重め。⑤になるともうボーダーラインにいると感じた。越えると危ないラインだと思う。
こういう時は、一度立ち止まる。
「自分の心が出しているSOS」を
受け取って止まることが大事かなと思う。

心の距離が近い人との関係での気付き

心の距離が近い大切な人との関係において、自分の状態は気付きやすいかもしれない。
例えば、私は大切な人には喜んでほしいなあと思うので、今こうしてほしいかな?と気持ちを汲んだり、行動することが多い。
通常時は、自分の心の余裕があるからバランスがとれてしんどくないし楽しい。
でも、こんな人生がかかっているような「自分」に比重をかけたい時は、非常時なので余裕がなくなりできなくなる。
⇒最初は頑張る⇒相手に申し訳ないと思いつつ1人時間がほしくなる⇒「No」というのが普段から苦手⇒ストレスをためる⇒怒りが湧いてくるが、相手を責めたくないので、怒る代わりに泣く。(自分なりの愛情表現)

素直に「ごめんね、今だけいつものスイッチオフさせて」と言えたらいいけど、がっかりされると悲しいし、なんなら自分もしたいことだと悲しくてNoが言えなくなる不器用な自分を見つけた。
でも、これまでと違って我慢状態を表現できるようになった自分も発見。嬉しかった。

自分の状態は、完璧に把握することはできない。誰かに100%分かってもらうことも難しい。だからこそ、言葉や言葉以外の色んな表現で伝えたり、分かり合う楽しみがあるのだと改めて思った。

湖の底をぼーっと眺めるように自分の心の声を聞く時間をつくる

ただ自分の感情や思考を自由にのびのびとさせてあげる。
そんな時間を作ってあげる。
こういった1人時間って、物凄く大切だと思う。
私は今回「集中治療レベル(自分比)」までいってしまったけれど、
普段からメンテナンスタイムを実はとっていて、この習慣は治療時間を短縮してくれた。

湖の底をぼーっと眺めるようにしていると、
ある日ポンッと心の底から自分を苦しめているテーマがでてくる。
そいつに「長年付き合ってきたけど、もう無理です嫌です。」と負けを認めて手放す。
それはとても苦しい作業だけど、終えると見える景色が変わってくる。

「頑張る=しんどい」方程式はもう嫌だ。

「限界=気合いで乗り越えるもの」という方程式から長年抜け出せなかった。
おかしいだろその方程式って頭では分かっているけれど、
長年それが当たり前だと信じ込んでいる心が、間違いを否定することを拒否する葛藤なんかがあった。
で、ある日1本の電話で大泣きして気付いた。
現状と矛盾しているようだけれど、「頑張る=しんどいだけ」っていう図式が大嫌いで、もうやめたいとハッキリ思った。
思えばずっとこの図式はやめたくて。私が期待をかけられるのが嫌いな理由もここにある。
会社員時代にも何度か「期待」に潰されそうになった。都度「助けて」と勇気は出したけれど「お前ならできるから頑張れ」とか「そんなもんだよ」で片づけられたから、そんなもんかと諦めていたような気がする。
で、1人で頑張っていたら「無理をするな」と言われて板挟みになる。
この意味のない図式が大嫌いだったのを思い出した。

自分を苦しめる「方程式」をなぜ手放せないのか?

これは非常にシンプルだ。
実は自分を苦しめ、問題を作っていた存在でもあるけれど、大嫌いな図式である「気合と根性」が自分の背中をたくさん押してくれた部分もあったから。大事な長年の相棒のようなものだから。
だから、「捨てる」とか思わなくていい。ただ、1番にしないだけ。
「長い間ありがとう。」と言って大切に心の宝箱にいれたうえで「今自分が大切にしたい考えにより目を向けてあげる」
これが、私が思う手放し方である。

「頑張る=ワクワク」が好き。をつくる

「頑張る」という言葉は、web辞書だと「忍耐して、努力しとおす。」と書いているけれど、
私は言葉の定義なんて、都度時代に合わせて書き換えてしまえばいいのでは?なんて割と思っている。

自分はこれが好き!という素直な心をもっている人たちが私に投げてくれる色んな形の「頑張れ」が私は大好き!!!
今朝は「Nothing to lose ! Go for it! 」と言葉をもらった。TOEICの時は、「死ぬ気でやれ」等。
言葉の裏にある、信頼や優しさからくる厳しさ等が分かるから。
もらうと凄く心があたたかくなる。

私の原動力は、大好きな皆のために頑張りたいだったりする。
何も皆でいばらの道を歩きたいんじゃない。
団体戦が好きなので、皆で泣いて笑って毒吐いて(笑)
最後は楽しく進んでいけたらいいな。

東ゆう

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