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「大きな信念を持って生きたい女性」にとって、日本は物凄く生きづらい。~心が両性具有のような私~

おはようございます。東(あずま)ゆうです。エネルギーが大きすぎる等とよく言われる私が感じる生きづらさについて書いてみます。


朝ドラを見て違和感があった

私は高校生の頃からテレビを全く見ませんし家にもありません。イランに行って、TVが情報統制ツールだと認識したこともあって距離を置いています。
最近「虎に翼」という朝ドラが放送されていると知り内容を聞いて、思わずドン引き。
え・・・今さらそんなテーマで放送がされるなんて・・日本の女性活躍推進って想像以上に遅れてるの?と物凄く衝撃を受けました。

「男に生まれればよかったのにね」と言われる自分と、「女でありたい自分」の生きづらさ

社会を変える人物になれ!と育った私

社会を変える人物になれと育った私は、ハングリー精神を持て!だとか志を持て!と言われ続けてきたので、それが「普通」だと思っていました。で、阪大時代や会社員時代に痛感しました。・・私が思ってきた「普通」は皆の普通じゃない。
特に阪大のようなそこそこの大学に入っている女性陣はキャリア志向かと思っていたのに・・。
もちろんキャリア志向の方もいましたけど、「学歴=自分のステータス」と思っているような人も多くて、早く結婚して働きたくないと言っている女性が普通にゴロゴロしていました。
専業主婦を馬鹿にするつもりは微塵もありません。人の生き方は色々ですし幸せの形も色々あっていいかと思います。
でも、なんだか自分にはその生き方に違和感がありました。

志村ふくみの「白のままでは生きられない」を読んで

大好きな本が「白のままでは生きられない」です。50代におすすめの本ですけど、20代の頃にはまって何度も読みました。志村さんは自分の情熱のために家族と離れた・・と本で書いていらっしゃって。
読めば大切にしていたことも伝わるから、私は当時その志村さんの行動を「時代が生んだ、日本における女の普通の幸せ観」が理由なのだと思いました。
自分の母が、大好きな仕事を当時の結婚観を理由に泣く泣く諦め、男性である父がその苦しみを全く理解できていないことも知っていたから。
男には分かりえない苦しみが私には手に取るように感じられて、そして、
「昔は違ったかもしれないけど、今は大丈夫なはず。自分は大好きな人とキャリアも家庭も両立させたい」とずっとずっと思っていました。

日本社会はそう甘くはなかった「俺についてこい」がどうしても言えない私。

今日まで自分の中のもやもやがずっと分からずに苦しんでいました。
いつも自分は素敵なパートナーに恵まれるのですが、「キャリアと結婚」を考えるときに決まって大きな壁にぶちあたって泣く泣くお別れしていました。私が信念を持って生きようとする姿を、相手は理解し尊重してくれようとし、どこか自分のキャリアを曲げてくれようとしてるなと感じていました。
その姿をみるたび、物凄く罪悪感を覚えてしまい苦しい自分がいました。
(社会を変えられる、と思う人に恵まれます)
会社員生活でも、男性陣は奥さんが仕事を辞めて自分についてくることを当たり前のように話すし、「女性が男性についていく」価値観で育った男性陣も多いなあと感じることが多く。(つまり悪気がない)
そのたびに、志を持つ自分が悪いんだ悪いんだと自分を責めていました。
志とか信念といったものは、大きくなればなるほど自分1人で支えるのが非常に困難になります。
物凄く苦しい。そして、周囲からはよかれと思って「結婚はまだなの?」と言われ続ける。会社で男性を紹介されたこともあります。でもイメージできない自分がいて、自分が欠陥品のように感じていました。

自分らしさと世間の「普通」との葛藤

私のパートナーシップ観はずっとぐらぐら揺れていました。インナーチャイルドの問題もあってか、寂しい気持ちも強かったから。パートナーは側にいてほしいけれどお互い自由でもいたいという相反する気持ちが常にあります。
また、20代の頃から色んな方に「あなたを理解できる日本人の男はほぼいない」とか「外国人がいいわよ!」とか散々言われてきて。
自分はパートナーは日本人が良いという気持ちが譲れず。都度生きづらさを感じていました。
祖父母に結婚はまだかと言われる時もあった。これも苦しかった。
自分が持つ信念が大き過ぎて、○○歳で家を買うとか子供を作るとかそういった家族計画が全く立てられない。世間でいう普通の幸せをあげられない。
でもパートナーはほしい。この感覚を分かってくれる人がまず日常にはいない。別に家事を誰かに支えてほしいなんて思ってもいない。皆の「普通」に憧れる自分もいるけど馴染めない。
ずっと自分らしさが分からず生きづらさを感じていました。

日本で「女に生まれてよかった」と思える日がくるように

私の人生は本当に失敗経験だらけで。常にチャレンジして転んで擦り傷だらけで進んでいるようなものです。つい最近までパートナーシップ観もはっきり把握できておらず大迷惑をかけてしまいました。
正解は永遠に分からないと思う今は、
「自分も自分が生涯を共にしたいと思う人にも、思いっきり1人の人としての人生を楽しんでほしい。国籍だけはこだわるけど、相手の性別も年齢も関係ない。お互いが自分の人生を楽しんでいてそれを応援しあえる関係だったら嬉しいな。」と思っています。
「まず自分で自分を幸せにしてあげる。その上で周りの幸せを考える」これを模索したい。
1ヶ月前に、大泣きしながら北野天満宮で「普通」を手放しました。
一生独りかもしれない。この生き方を可哀想だと思われたり言われたりする日が来るかもしれない。たぶんこれからも葛藤するはず。理解者もいない。
それでも自分が思う自分らしさを信じて進んでみようと思います。
ゆう



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