海が見える部屋で過ごす時間
旅が楽しい理由を知っていますか? という話
うまれた町。
汽笛が朝の空気を小さく震わせた。
それが一番、海と自分を結び付けている記憶のような気がする。
自動車工場や製鉄所、製油所の並ぶ工場地帯が沿岸部にあった。海の街、というよりは、工場の街だ。
そこからいくらか離れた場所が、我が家だった。海の近くだった。近くとはいっても、3~4㎞ほど離れていたので、海のある町に住んでいるという感覚は強くは持たなかった。
だから、こうして今、石垣島で東シナ海を望むアパートの一室で過ごす、その時間は、なんだかとても得難い時間のように思えるのだ。
部屋から見える水平線を眺める毎日の中で
初めてこの部屋に来たのは、2月24日だったから、ちょうど4週間たった。
2/24や、それ以降の日は、そこまでありがたみを感じなかった。天気が悪い日が多く、海がきれいだと思えなかったからだ。天気が悪いと、海の青さがくすんでしまう。
ただ、それだけではなく、仕事がうまくいっていなかったのも、海がくすむ理由だっただろう。むしろ、遠くサンゴ礁に打ち付ける波が、なんだか私の不安を煽るようで、どちらかというと、憂鬱な気分だったかもしれない。
本当にあの頃は、石垣島滞在期間中で最も心が病んでいた時間だった。
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逆に、3月も半ばに差し掛かる少し前から、晴天が続くようになった。
この時の海は本当にきれいだった。空の薄青と海の青の境界が続く光景を、毎日のように眺めた。いつでもこの景色がみられるというのは、なんとも贅沢なものだ。
ただ続いていくだけではない時間
とはいえ、それにも終わりがある。3/26 が退去の予定で、以降は別の宿に移る。ずいぶんと先のことになるなと思っていたのに、その日が来れば、”光陰矢の如し”。たったの1か月だが、いろいろとあったものだ。
なんにだって終わりがあったな…。
小学校も6年で終わったし、前職も6年で辞めたし、コーヒーもいつかは飲み終わるし、学生時代には彼女と1か月で別れた。
終わりがないものなんて、無い。当たり前のことのようで、実際にそれを意識するのは終わるその瞬間だけのような気もする。
もっと、楽しんでおけばよかったのか。
だいたい、そんなことを、思ってしまうのも、よくある話だ。
終わりあってこそ、旅の楽しみ
「旅が楽しい理由を知っていますか?」
いつかそんな問いをぶつけられた。
わたしは別に、旅行好きというわけではなかったのだけど、真剣に考えてみたのだ。
「旅には、終わりがあるから、なんです。」
まだ自分は考えていたのに、相手は話を先に進めてしまった。
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だいたい、旅行にいってみたとき、帰ってきて思うのは、「疲れた」だ。だいたい時間の中にいろんなイベントを詰め込むし、移動するのも時間がかかる。だから、疲れるのだ。
でも、そのほうがいい。だから、楽しもうと思える。いろいろやってみた体験の方が、あとで振り返って、楽しかったといえる。
だから、次の旅に出ようと、思える。
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きょうは風があるせいか、少し波が高い。
終わりがあることの、尊さを。
この海が見える部屋から。
持って帰ろう。
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