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紫式部のまなざし

北浦和図書館から古典講座の依頼があった。図書館からの依頼は初めてだった。図書館は足しげく通った場所だ。心惹かれて引き受けた。

上記タイトルはその時の講座のタイトル。すっと浮かんだまま決めた。枕草子や源氏物語の講座は数多くやってきたが、紫式部その人に焦点を当てたのは初めて。我ながら無謀な挑戦と思ったが、すべてはなりゆき、なりゆきとは運命、と自分に言い聞かせる。

千年前に実在した紫式部こと藤原香子が千年前の世界から私を呼んだのだ。わたしのことを少し語ってみて。間違っていても怒らないから……。見ぬ世の友・紫式部は私を「語り部」として選んだのだ、そう思うとなんか楽しい。

いろいろな資料を読み直した。その中の『日本文学を哲学する』(赤羽龍夫・南窓社)に強い印象を受けた。1995年初版の本。哲学者の視点で見るとこうなるのかと新鮮な驚きを新たにした。

このところ長らく出番のなかった『源氏物語・平安朝日本語復元による試み』(金田一春彦監修・朗読関弘子)のテープを出だしの部分だけ使うことにした。

当日、担当の若い女性と打ち合わせ。テープを何回も試し、頭部分をジャストのところに出してくれ、ボリュームも会場の広さなど考慮して調整してくれた。最近はカセットテープを使うことがないので、古いものを探して引っ張り出してくれたとか。めんどうがらず、あれこれ私が使いやすいように気遣ってくれた。

出版されている本をコピーすることは法で禁じられているので、二回目の授業では、彼女は、使う部分を行書体でパソコンで打ってくれた。これなら受講生に配布できる。

トップ写真がそれ。

平安時代の書き方に少しでも近くするために、句読点もルビも打たなかった。行替えもしないほうが平安らしいが、それでは受講生が読みにくいので行替えはいくつか実施。「面倒だから、やめましょうか。聞かせるだけでいいのですから」と言ったが、彼女は「いえ、絶対にあったほうがいいから」と積極的に労力提供してくれた。

立派な演壇があり、演壇に上がったら、アガッテしまった!でも、遠い千年前の世界から紫式部がふっと現れ、私の横にたってささやいてくれた。

「そうなの。私、ネクラな文学少女だった。ほんとうは宮中勤めなんて嫌だったけど、時の権力者道長殿に逆らうことなんて、できなかったのよ……私が道長の妾だったって?それはね……」

私は紫式部のまなざしを感じながら語った。


会場写真


この講座を引き受けたことで私自身、ほんの少し紫式部に近づけたような気がする。スタッフの皆さん、ありがとう。

最後に赤羽龍夫氏の文を紹介したい。

紫式部は生活者としてあくまでも現実の中で生きながら、自らの否定の姿を見つめ、時代の否定のなかを生きていった。地球の存在すら危うくする大きな否定に出会っている現代、そしてそれが人類全体の運命となり隠棲すべき場所などどこにもなくなってしまっているこの時、もうこれまでのように『源氏物語』を単に楽しむのではなく、紫式部の生き方をこそ見直すべき時が来ている。(『日本文学を哲学する』赤羽龍夫・南窓社)

核戦争の危機すら感じさせる今、私たちはこの言葉とどう向かいあうべきなのだろう。

そんなことを思いながら帰路に着いた。



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