私の令和枕草子(4) ある日、小さな花を見た
私からすれば「地の果てのような」遠くの公民館の仕事を引き受けてしまった。断ればよかったと悔やむことしきり。
交通費も必要経費も出ない。税金だけは「一時所得」つまり「不労所得」としてむしり取られる。給与ではないから、ものすごく高い税金なのだ。
国と県と市がハイエナのように、私の一回一万円の「不労所得」に群がって取ってゆく。私の取り分は千円札数枚。
税金払うために働いているようなものだ。来年から市の仕事は絶対やらない!
鬱々とした気分で家を出る。公民館共有の車で某公民館まで迎えに行くからそこで待つことになっている。
最寄りの駅の前が狭すぎて車止められないとか!
ホント、地の果てだよ。僻地手当欲しいぐらいだ。
迎えの車の中で若い(私から見れば)男性職員が綺麗な声で、
「先生、大学は枕草子専門ですか」
ホント、綺麗な声だった。
「いいえ、ドイツ文学でした」
「ドイツ文学!」
彼の目が輝いた。
「ぼくは、ケストナーの『二人のロッテ』が好きで、アニメもマンガも読みました」
「私、小学生の時、少女雑誌で読みました!」
「僕も少女雑誌で読みました。映画もアニメも『二人のロッテ』見ました。ドイツ語でも少し読みました。大学で第2外国語ドイツ語だったんです」
講座が終わると、最寄りの駅まで送ってくれた。
「11月に、ドイツのバイエルンに行くんです」
「公民館の研修か何か?」
「いえ、私的旅行です。バイオリンの演奏をするんです。バイエルンのあちこちで」
「素敵な旅ですね!」
「『二人のロッテ』の訳文で分からないところがあって、その部分だけでも原文で読みたいなあ、と思っています。バイエルンの本屋で手に入ったら買おうと思って」
私の心は大学時代にタイムスリップした。
文学を語る人とは卒業以来(半世紀!)出会っていない。
「ケストナーはいいですよね。『飛ぶ教室』は読みました?」
彼は楽しそうに語る。こんなに楽しそうに語る人と出会ったこと、あったっけ……。
その声は軽やかな翼となって私を過去に連れ戻す。
「ご縁があったら、バイエルンの話、ぜひ、お聞きしたいです」
私が言うと、彼は黙って微笑んだ。
田舎めいた駅に着いた。
車を降りると黄昏の空気はまだじりじりと暑い。だが、私の心の中にはさわやかな秋の風が吹き抜けていった。
もう二度とこの男性に会うことも、同じ仕事をすることもないだろう。
ほんのひとときの語らいだった。遠い昔、どこかへ置き去りにした小さな花を見つけたような気がした。
その花は葵かも。「逢う日」と昔の人は呼んでいたから。
「過ぎにし方恋しきもの 枯れたる葵」清少納言は過ぎた日をこう懐かしむ。(枕草子3巻本28段)
私の葵は枯れてはいなかった。
明日、本屋さんに行って『二人のロッテ』を捜そう!
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