遥かなる多摩へ・noteの繋いだ縁
電車が長い長い地下トンネルを出るとそこは東京だった。
私にとっては未知の地。
多摩地区北部の東大和市の公民館で三回講座を開くことになったのだ。
大体、どの公民館も交通の便の悪い辺鄙な地にある。何処も行き帰りが大変だ。時間もかかる、交通費もかかる。最寄りの駅からタクシーに乗ったりしたら、その日のギャラは消えてなくなる。
今まで十分に社会奉仕した。
もう公民館とはさよなら……。
と、すべての公民館を断っていた。
20年以上やっている二つの館を除いて……。
なのに、はるばると多摩地区までやって来たのには、noteが関わっている。
ある日、電話が。
「東大和市の蔵敷公民館の館長ですが」
東大和市……どこにあるのだろう……。
「東京です。多摩湖に近い所です」
なんで、そんな遠い、私とは縁のない地の公民館から電話が?……。
「noteで先生の源氏の記事、読みまして」
館長ーnoteー私
の繋がりの詳しい経過は省くが、顔見知りでもなく同じ市内の公民館でもないのに、私の文を読んで私の講演会を開きたいと思ってくれた人がいた。
東京の多摩地区に……。
心が揺れた。
しかし、その公民館へ行く道は半端じゃなく大変だ。一番行きやすい行路をとっても、新小平駅からのバスが1時間に1本、そのバスで35分!
「残念ですけど無理です」
「今、バスの時間調べます」
館長さんは電話口でバスの時間を全部調べ、バスの時間に合わせて講座を開くから、と熱心さが電話口から伝わってくる。
まさに「半端じゃないお誘い!」
こんなに私の講座を求められることなんて、もう一生ないだろう。
この方は私のnoteを読んでくださっている……。
これも縁というもの。
引き受けよう!
12月1日。
明るい陽射しのなか、オレンジ色の電車が武蔵野の街々を走る。
長い長いトンネルを抜けると……
そこは東京だった。
ロータリーの藤棚が可愛い新小平駅からバスに。
1時間に1本というレアなバス。遅れることはないだろうと思ったが、15分近く遅れて来た。
待っている間、本当にバスは来るのだろうかと心細かった~
青梅街道を北へ、そして西へ。
数えきれないほどの停留所を過ぎ、芋窪停留所へ。
下りると館長さんが待っていてくれた。
バスがかなり遅れたので、ずいぶん長くバス停に立っていらっしゃったのだろう。
公民館の前には大きな欅の樹がすっくと空に向かってそびえていた。
後でインターネットで調べたら、『蔵敷』というのは『谷や崖の多い所』という意味だったが谷も崖も見当たらず、整備された住宅街だった。
『紫式部はどんな女性?』ってタイトルでよかったかな。一抹の後悔。もっと良いタイトルがあったかも……。
「授業に来られない方のために、オンラインで、今、各ご家庭のパソコンと繋いでいます」
館長さんは機械の前で大奮闘。
「どうしていいか分かりません~」
と突然大きな雑音混じりの声がどこからか降ってきた!
「よくわかりませんー」
またも天井からドバーンと大きな声!
「ミュートを押してください」
館長さんが指示。
またも機械の辺りから何やら大音響!
私は机上のモニターに写る自分の顔が一番の関心事。
右側に傾くと、あれ?画面では左に傾いている。でも、画面の私の右手側に傾いているから、鏡とは違うんだ……。
あれ?どっち向いて話せばいいの?
「マイクを離さないように。椅子から動かないように」と言われたような気がするが、忘れてしまった……。
オンラインってこうやって生徒さんの家と繋ぐんだ。
私にとって初めての体験。
公民館に来られない方たちのためにここまで計画した蔵敷公民館のスタッフの方たち、エライ……。
授業中、オンラインの器具から、突然、男性の声が降ってきた。
「多分、家族の方が傍で何か喋ったのでしょう」と後で館長さんが。
公民館も私も初めてのオンラインの経験。小さな失敗はあったが、なんとか、切りぬける。
こんな貴重な体験を経験できたのもnoteのもたらした御縁。
温かく迎えてくれたスタッフの方。
毎回バス停まで私の荷物を持って送ってくれた館長さん。
ときどき、大きな雑音が降ってくるオンラインとの併行講座を笑って受け入れてくださった受講生のみなさん、
ありがとう!
三日目、
受講生と多少雑談も交わすことができ、
思い出を胸に一時間に一本のバスに乗って岐路に着きました。
今年最後の、私にとっては大仕事でした!
交通事情、天候など、外に出ると何が起こるかわかりません。三回の務めを果たせてほっとしました~
蔵敷公民館と私の奇跡の縁をつないでくれたnoteに
ありがとう~
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