見出し画像

ほんとうは怖~い源氏物語(2)

皆さん、そもそも巻名の「桐壷」って何?とは思いませんでしたか。

これは帝の名前ではありません!(ほとんどの研究書では便宜上「桐壷帝」と記していますが)

宮中には多くのキサキたちにお部屋が与えられt、部屋には名前がつけられていました。自分の狭い部屋を想像しないで。御殿ですよ!

ところで、なぜ学者たちは「妃、后」ではなくキサキと書くのか、それは別のテーマなのでここでは省きますが、中宮、女御、更衣などいろいろな呼び名がキサキの位に応じて与えられていました。

更衣というのは、元々「衣服を着替える」という意味で、帝の装束のお世話をする女性という意味ですが、キサキの中ではランクの低い「帝のオンナ」です。帝にメッチャ溺愛された「帝の装束係」の女性、つまり更衣さんがこの巻のヒロイン。

帝に溺愛された更衣さんは、キサキたちの中では下の身分なので、宮中の東北の端っこの「桐壷」と呼ばれる部屋に住まわされました。で、「桐壷に住んでいる更衣さん」というわけです。

桐壷とは、第1巻のヒロインの住んでいた「部屋の名前」なんですよ~

桐壷は和名で、当時は中国由来の名前「淑景舎」(しげいさ)と呼ばれていました。なぜ紫式部はあまり使われなかった和名を使ったのでしょう。

実は、道長にいじめ殺された定子中宮(当時は中宮が最高位のキサキ)の妹原子は、時の東宮のキサキでした。淑景舎に暮らし、淑景舎の女御と呼ばれていましたが……ある夏、突然死!

何が何でも自分の娘たちを天皇やら東宮やらのキサキにしたい道長の手による毒殺と……うわさが。当時の読み手が「淑景舎」という文字を目にしただけで、毒殺されたとうわさの原子を連想する。

これは露骨過ぎる……ちょっと婉曲にしよう……

で、紫式部はあまり使われなかった和名の桐壷と言う名を使った!刺激を避けるために。

でも、当時の読み手は、突然死した原子を当然思い出す。そして、予想通り、桐壷の更衣は不自然な死をとげたのです。しかも、原子と同じ夏の終わりに……

更衣の母親ははっきり言います。

「よこさまなるやうにて」(横死、不自然な死)と。そしてはっきりと「みかどの寵愛をお恨みします」と。

この言葉、明治時代だったら不敬罪で死刑、というほどすごいセリフなんです。母の恨み、母のつらさ、入内(じゅだい・ミカドの妻になること)させた我が娘への罪の意識、後悔、を延々と訴える!

紫式部は、この物語は「母と娘の悲劇」がテーマだと高々と掲げたのです。

更衣の死は毒殺によるとの学説は多くあります。また、この場面が仁明天皇の女御(キサキ・中宮に次ぐ地位。中宮がいない場合は最高位)の死の場面と酷似しているとの指摘もあります。

とにかく……実際に同時代に毒殺されたとうわさの女性が住んでいた御殿を、ヒロイン登場の場に使うなど、すご過ぎ……。

しかも毒を盛ったのは道長の指図ではないかと、当時の官僚はうすうす思っていた……が、口が裂けても言えない。言わなかった……!

セレブ官僚(高位高官の貴族)たちは、「そんな事件?記憶にございません」で押し通して来たのに……

それなのに、一女房がタブーの事件を平然と冒頭に使った!

空前のヒット作にならないはずがない。一条天皇まで身を乗り出した。

とにかく当時は不審死はすべて怨霊のせいにすればよかったから、誰もそれ以上詮索しない。ついでに言うと、このころは疫病が大流行。都の人口の半分近くが死んだらしい~

冒頭の「桐壷」で紫式部は「これから怖~い物語が始まりますよ。このヒロインは死にますよ~」と宣言したのです。

「桐壷」巻は当時の読み手には心臓麻痺を起すほどショッキングな『週刊文春』特大見開きページだった!

第1巻「桐壷」の衝撃の幕開けの時代背景。これを知って読むのとまったく知らないのでは、源氏物語の世界が違って見えるのです!

こんな調子では本文に入る前に一年かかりますね、オホホ……。紫式部の声が聞えました~ではまた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?