『紫式部日記』を読み解く③
処世術について:
『紫式部日記』には女房としての処世術があちこちに書かれています。それらを読むと、『日記』は道長に命じられた公文書である部分と、私的な手紙の部分が入り混じったという説はもっともだと思うのです。
私的な部分は一人娘賢子に書き送った「女房心得」だったのでしょう。清少納言を舌鋒鋭く非難した有名な段は、娘に「清少納言みたいに目立った言動をすると、ろくな目には遭わない。おとなしく、めだたなく、バカのふりをしていなさい」という忠告だったのではないでしょうか。それが、千年も残るなんて、本人は夢にも思わなかったでしょうね……。
『日記』58段には、「宮中勤めの世渡り極意」が書かれています。紫式部は娘が安穏に世渡りをするよう心から願っていた親バカ、心配性。今でもどこにでもいる母親。そんな彼女が、大胆不敵な『源氏物語』を書いたのですから、そのギャップが超魅力的、超 面白い~。
「勤め人」の世渡りテクニックは千年前も今も変わらないと思います。(このテクニックを男性貴族の場合「大和魂」といいい、軍国主義時代に造語された「大和魂」とは全く違います!)
様良う、すべて人はおいらかに、少し心おきてのどかに、おちゐぬるを元としてこそ、ゆゑもよしもをかしく、うしろやすけれ、(以下原文はすべて角川ソフィア・紫式部日記)
「すべて女房たるものは様が良くて(全体の雰囲気が感じ良くて)、気立てが(心おきて)のどかで、落ち着いているのを基本になさい。それでこそ、教養とか風情とかもチャーミングで、安心して見ていられるのです。(以下、現代語は長谷川訳)
もしは、色めかしくあだあだしけれど、本性の人がらくせなく、かたはらのため、見えにくきさませずだになりぬれば、にくうは侍るまじ。
「あるいは、一見、色っぽく軽薄に思えても、性格の元となる人柄が癖がなくて、傍らにいる人が見ていられないようなことさえしなければ、人から毛嫌いされることはないでしょうよ」
この辺りを読むと、娘賢子を教え諭している心情がひしひしと感じられ、とても公文書とは思えません。同時に、「わかるわかる」と頷いてしまうのです。人に嫌われないように努力することは大切。忖度、ゴマすりとは違う、高度なテクニック。紫式部はそれが分かっていたのでしょう。
わたし自身、長く社会で働き、いろいろな人たちを見て来ました。自分自身、多くの失敗をしました。今では、この教えは、まさに正解だと思います。その人の意見が正しいとか間違っているとかではなく、相手を好きになるのは、付き合いが長く続くのは、その人が穏やかな性格の場合だと実感します。古典語の「おいらか」。味わい深い言葉だと最近分かりました。
われまさりていはむと、いみじき言の葉を言ひ告げ、向ひゐてけしき悪し、まもり交わすとも、さはあらずもて隠し、うはべはなだらかなるとのけじめぞ、心のほどは、見え侍るかし。
「口で言い勝とうと、ひどい言葉を投げつけ、顔を突き合わせて険悪に睨み合っているより、(まもり交わす)そうではなく、そんな気持ちは隠し秘め、うわべだけでも穏便につくろうのとでは、その人の心の品性が現われるのですよ。(娘よ、心にとどめ置きなさい)」
たしかに口論で勝っても何も生まれない。静かにうなずいて相手を立てている方が、後々、巧く行きます。娘の賢子は見事な女房生涯を送り、母親よりずっと出世、後冷泉天皇の乳母となります。歌人としては母親よりずっと高く評価されています。
母親の名声の重荷をものともせず、自らの道を切り開き、大出世したキャリア・ウーマン。すごいなあ……。
紫式部の遺した最大の傑作は娘賢子だったのかも知れないと思うのです。
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