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仏像ものがたり (1)

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        
阿修羅の乙女


仏師は画帳を手に川の辺りをさ迷っていた。
阿修羅像を彫れ、との王命を賜ったが、どのようなお顔にしたものか。
この三か月、考えあぐねたが、思い浮かばない。

お釈迦様のお生まれになる前の天竺では、闘争の神と恐れられ、
お釈迦様の教えが広まった後では
仏法を護る神とあがめられるようになったという。

それにしてもどういうお顔であられたか……。

ふと川に目をやる。
上半身裸の乙女が桜の舞い散る中、たくさんの布を洗っていた。
洗濯物を両手で振り回しているその細い腕は水車のようだった。

仏師は思わず近づいた。
少女は仏師を睨んだ。
怒りと悲しみに満ちたまなざしだった。

「いずこの国から来たのか」
「みちのく」
少女は仏師を睨んだまま応える。

ああ、このお顔、阿修羅様だ……。
仏師の心は雷に打たれた。

租税として徴用された最下級の采女だろう。山のような衣装を洗わされるのだから。

それにしてもなんと美しいお顔……。

乙女はまた洗濯物を振り回し、水を切る。
仏師には目もくれない。
仏師はひたすら筆を動かす。

それは春の終わるころまで続いた。

仏師は少女に恋をした。
粗画ができあがった。明日、この画を見せよう。
お礼に翡翠の首飾りを添えて。

しかし、その日…
洗濯をしていたのは別の少女だった。
仏師は毎日川に通い続けた。
夏も秋も冬も……。

乙女と初めて会った桜の季節が訪れた。
乙女は現れなかった。

別の仕事に回されたか。
逃亡したのか。
何か失態があって、追放されたのか。
それとも病で命果て……。

仏師はひたすら彫った。
画帳を見つめ、
あの悲し気な、何か言いたげな、怒りを秘めたお顔、
少年のような薄いお胸、
衣や布を振り回している細いお腕、
画帳を見ながら思い出すあの姿……。

ひたすら彫った。

出来上がった像のお胸に
翡翠の首飾りをかけてさしあげた。

あの子は阿修羅様になったのだ……。
自分の手の届かないところに行ったのだ。

仏師は像の前にひれ伏した。
仏師はそのまま命果てた。
生涯の仕事を成し遂げ、幸せだった。

                     終わり

作者記。写仏に興味をもち、写生を始めたのですが、違う方向に行ってしま
    いました。ずっと昔、何かの本で、「阿修羅像のモデルは采女では
    ないか」と書いてあったのが、脳裏に蘇ったのです。
    結局、写仏とはいえない作品になってしまいました。

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