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縁とは不思議なもの

私が中学3年のときだったか。思えば60年近くも前のことになる。我が家に下宿した女子高校生がいた。遠縁の人で高校進学のために父が引き受けたらしい。

ノブコちゃん。その名だけなぜかはっきり覚えていた。一緒に暮らしたのはわずか一年足らずだったのに。

ノブコちゃんと繋がったのは、不思議な縁というほかない。2年前に埼玉のとある駅前のレストランで会い、それから数回お喋りした。

愚痴を言いまくった。終活の話をした。何を話しても安心できたのは、はるか昔、生活を共にした記憶があるからだろう。

去年、彼女は気管支の病気になり、酸素ボンベを付けて生活する身になった。今年の11月に、子供が住んでいる神戸に引っ越すことにしたという。

もう会えないかも知れない。これが最後かも知れないと、私たちはあのレストランでランチした。

美しいデザートは食べるのがもったいなかった。

話しは尽きなかったが、2時間でウェイターに、それとなく「ラストオーダーです」と言われた。あ、もう席を立たなければ。そう思った時、私は不意に泣いてしまったのだ。

なぜ泣いたのか分からない。悲しいのでもない。つらいのでもない。涙がこぼれてきたのだ。

ほんとうに久しぶりの涙だった。

ノブコちゃんは私より2歳年上、おねえさんらしく涙をこらえているようだった。

「酸素ボンベ外すと苦しくて苦しくてもう死んだ方がいいと思ったりしたの。でも、ミチコちゃんが泣いてくれたのを見て、絶対、80歳までは生きようと思った。神戸に遊びに来て。今日のランチより素敵なの、奢るから」ノブコちゃんは言った。

「一年に一回が無理なら二年に一回でも、私、神戸に行く」

私たちは、駅前で別れた。

ノブコちゃんは言った。「今日はいい涙流したね。私、酸素ボンベにくじけないで生きるからね。これが今生の別れかも知れないなんてもう思わない。今度は神戸でランチしよう」

私は涙の目で電車に乗った。車窓を過ぎる田園風景が潤んで見えた。

これが今生の別れになるかも知れない。70過ぎたらそう思って当然だ。だが、もっと前向きに、これから自由に会って、自由にお喋りして、人生を楽しもう、これからが私の人生だ、と前向きに考えるのも人生だ。

今生の別れは明日かも知れない。10年後かも知れない。きっと来年会おうね、というのも生きるモチベーションになる。

すべては縁なのだ。縁というのは運命のことだと最近思う。

私は、神戸に行ってノブコちゃんとお喋りするのだ。神戸で素敵なデザートを奢ってもらうのだ!

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