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ある官僚が、明日、打ち砕かれる

──局長は、霞が関から青森県と熊本県に出向して、その地で教育を改革を行っているが、その改革は成功したんですか。
 それもまた思いもよらぬ質問だった。この議員の質疑の方向がまた見えなくなった。慎重に答弁しなければならない。三十歩の距離を、弘前市長の名前を記憶の底から引きずりだそうとしながら歩いたが、ついに思い出せずに答弁席に立った。
──青森県では弘前市長、熊本県では柳沢隆史知事の指導のもと、いくつかの施策に取り組みましたが、それらの施策が成功したかどうかは、広く国民の視点、あるいは歴史的な視点から判断すべきことだと思っております。
──あなたは青森県と熊本県で、自分の母体である文科省に敵対するような教育政策を行ったが、そこで思わぬトラブルに見舞われる。あなたにとってそのトラブルは不幸なことだったが、しかしそのトラブルに見舞われたことが、結果的には文科省の潮目を大きく変えることになった。つまりあなたが青森県と熊本県で行った教育改革が文科省の潮流になっていつた。その潮流から第一次の学習指導要領改正が六十年に、第二次の改定が六十八年に、そして今回、その教育改革の総仕上げというか、いわば教育改革の決定版が今般の学習指導要領改定ではないんですか。

──さきほどもお尋ねいただきましたが、国家の政策は一個人一官僚の手によってなされるものではありません。一つの政策が策定されるまでには官僚組織のなかだけの論議ではなく、広く社会の多様多彩な人々も加わっていただいて、いくたびもの検討討議のなかで築き上げられていくものです。
──そういう官僚的答弁を聞いているんではないんですよ、寺田局長、ちよっと質問を変えますが、あなたはアメリカの生活が長いですね、何歳から何歳までアメリカで暮らしていたんですか。
──私は東京で生まれましたが、その直後に私の一家はボストンに転居になり、十二歳までボストンで生活していました。
──人間の人格は幼児期につくられるというが、局長は十二歳までアメリカ生活だった。幼稚園も小学校もアメリカだった。圧倒的にアメリカの文化、アメリカの思想、アメリカの教育のなかで成長していったわけですね。だから今般の学習指導要領にはアメリカの思想が、アメリカ的教育がどんどんぶち込まれている。局長はそのことを直接に言わないが、しかし青森県や熊本県ではあなたはさかん各所で講演していて、そのことを何度も話していますすね。つまり日本の教育はこれまで「教え込む」教育であった。しかしこれからの時代は「教え込まない」教育に変革すべきだと。局長におたずねしますが、この「教え込む」教育と「教え込まない」教育の違いをちょっと説明して下さい。

 こいつは驚いた。こんな質問が投じられらるなど思いもよらぬことだった。この場での官僚の役割はボルト一個に徹することだった。答弁席に立たされたとき、その答弁は数十秒で終わらせ一分を越えてはならい。「教え込む」教育と「教え込まない教育」のちがいを一分以内で説明できるわけがない。いったいどんなことを話せばいいのかとちょっとしどろもどらになったが、しかし腹をくくって日本の学校の授業とアメリカの学校の授業の差異から話しはじめたら、もういいと打ち切られた。

──要するに、こういうことでしょう。今般の教育改革の目的はワンウェイ方式の教育、教師が一方的に生徒に知識を伝達させていく授業ではなくツウウェイ方式の教育に。これはね、つまり「教え込まない」教育とは子供たちの自主性を尊重せよということですよね。自主性、独立心、子供の尊厳、自発性、個性の成長、どれも美しい言葉をならべて飾り立ていくが、しかしこの言葉を裏返せば、いつでも自分、いつでも自分が大切、いつでも自分だけを主張する、他者よりも自分、社会より自分、国よりも自分が大切だということです。そういう教育が行われている。

 その結果どうなったか、子供たちはテロリストになって、相次いで恐るべき事件を引き起こしていった。この一連のテロは、まさに日本の教育が生み出した結果ではないんですか。総理、私の持ち時間も少なくなりましたから、最後に総理にお尋ねしますが、日本の教育はね、「教え込む」という教育だったんですよ。そうでしょう、子供たちに人間としての生き方や、社会の仕組みや、日の丸を掲げることや、君が代を斉唱することの意味と意義を教え、日本人としての尊厳を子供たち教え込んでいく。それが日本の教育だったんですよ。

 道徳、礼儀、相手を尊敬する、親を大切にする、人間の徳を育てていく、命を大切にする、他者の命を大切にする。日本の教育の根底にあるのは「道」を教えることにあったんですよね。茶道、柔道、剣道、華道、武士道、俳句道、歌道と、さまざまな「道」がある。「道」とはなにか。それは厳しい心の掟、人間として生きるためのルールを教えることがその根底にあった。まず子供たち学校で学ばなければならぬことは、日本人が日本人たらしめている「道」を教えることだ。そのことが急速に失われている。だからあのような無謀なテロ行為に走る若者が次々に生まれていく。こんな状況を総理はどう考えているのか、そのことを最後に総理にうかがって、私の質問を終わります。

 その日の帰途、いつものように後部座席のライトを点灯させ、ファイルされているコピーにざあっと目を通す。そして最後に手にしたのが、毎朝新聞に掲載されている連載記事だった。


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