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靴屋

 店の前で一人の男が行ったり来たりしている。男はこの店にやってきたのだ。それなのに入るか入るまいかとなにやら必死に戦っているのだ。しかしとうとう男は扉を押して店の中に入ってきた。そこで杉浦篤史は夢から覚めた。無意識の世界がつくりだす夢。しかしその夢はときに現実を予兆することがある。

 その男は夢で見た通り、彼の店にほぼ三年の周期であらわれるのだ。前回その男がやってきてからもう三年の月日が流れていた。その周期にしたがえばその男は間もなく彼の店に現れる。その日、篤史がみた夢は、まさにその夢が現実となって迫っていることを意識の世界に伝えたのだ。その男に渡すものを用意しておかねばならない。

 時計をみるとまだ五時前だった。もう一眠りしようとしたが、もう眠りに落ちなかった。布団から抜け出すと厨房に入り、湯を沸かして珈琲を入れると、郵便受けに差し込まれた朝刊をとり、店舗に置いてある椅子に座って熱いコーヒーをすすりながら新聞に目を落とした。

 篤史がこの商店街に靴の修理屋を開業させたのは九年前のことだった。通常ならば商店街通りに店舗を構えるには大きな資金がいるが、こつこつと貯めてきたわずかな資金で彼が商店街の一角に店が持てたのは、この商店街が衰退一途のさびれた通りであることの証明のようなものだった。もっとも店舗といっても、モルタルづくりの家屋の一階部分が二つに仕切られ、その片方の十二畳ほどのスペースを修理工房にしてのスタートだった。

 かつてはこの通りの両側には商店がならび立ち、そこそこに活気あふれる時代もあったが、篤史がその通りに開業してからもどんどん店がたたまれていく。そのたたまれた店舗のあとに新しい商店が入るのだが、しかしその店も一年ももたずに潰れていった。そんななか修理屋はその経営を軌道に乗せ、モルタル家屋の隣室は車庫になっていたのだがその部分も賃借し、仕切られた壁を打ち壊して店舗を二倍に広げたのだ。その店舗の袖看板には、

誠実に心をこめて
靴の修理屋

  と刻まれてあり、そして赤くペイトンされた扉には「お客様からお預かりする大事な靴・ブーツを、良質な資材を使って誠実に修理させていただきます。お客様が大事になさっている靴がさらに五年、十年とご愛用されるために、靴職人として妥協しない仕事をします。ビバルディが流れる店内で気軽にご相談下さい」と書かれたプレートが貼り付けてあった。

 篤史の修理屋としての腕は確かだった。そして持ち込まれる靴を看板通り誠実に時間と技をかけて修繕をほどこす。安売りの履き捨てる靴さえも彼の手にかかれば新しい命が吹き込まれる。もっともそういった靴は彼のところに持ち込まれない。というのもその修理代はかなり高額だから、それならば新しく買い求めたほうがいいということになる。したがって修理屋の客は、その靴に愛着があり、高額な修理代を投じたって履き続けたいという人々だった。小さな修理屋がこの商店街で生存しているのは、この地域の人々に靴のホームドクターとして利用する固定客をつかんでいるからだった。

 この修理屋はまた紳士靴を作っていた。彼が店舗を大きく広げたのもそのためだった。店舗の奥は靴製作の工房になっていて、そこに紳士靴を製作する道具、三台のミシン、皮を切断したり、削ったり、磨いたりするフィニッシャーという靴修理職人には欠かせない機械、圧着機、ストレッチャーなど店内を埋めつくばかりに並んでいた。

 それらの機具が語っているように、靴づくりには何十という複雑な工程があるが、篤史は修理仕事の合間をぬってその作業に取り組んだ。一ミリの妥協も許さず、裁断し、縫い合わせ、貼りつけ、組み立て、まるで芸術作品を生み出すかのように一足一足を作り上げていく。その一足に注ぎ込んだ時間や労力や高品質の材料、そして高度な技を駆使してつくられた紳士靴は、ちょっと値のはる額がつけられて棚にならべてある。その靴もまたよく売れていく。「あんたの作る靴は一生もんだからな、ちっとも高くないよ、靴にがたがきたら修理してくれる、メンテナンスが完全だ、長い目でみればこれは安い買い物なんだよ」とたたえられて。

 彼がこの商店街に店舗を構え、商店主たちでつくる組合に入会したとき、自己を語ることの苦手な彼は「何もわからないので、よろしくお願いします」と挨拶した。頭を深く下げそれだけの挨拶で、商店街会館で行われた入会のセレモニーといったものを切り抜けようとした。ところが参列した商店主たちからさかんに質問が飛んできた。商店街の人々はこの新しい仲間が信頼できる人間かどうかを探りだそうとしているのだ。

「あんた、どこで修業してきたの?」
「修業ですか?」
「靴づくりのさ」
「ああ、それは外国で」
「外国、外国のどこ?」
「イタリアです」
「えっ、イタリアか、イタリア仕込みか」
「ええ、まあ、一応」
「そこで、何年間ぐらい修業してきたんだ?」
「十年です」
「おい、みんな聞いたかよ、イタリアだってよ、イタリアで十年間修業してきたんだってよ、すげえ人だぞ、この人は」
 商店街の人々に新しい仲間として認知された瞬間だった。イタリアで十年も修業をしてきたという経歴が。

 それから九年の月日が流れた。篤史は商店街の人々から寄せられた信頼を裏切ることはなかった。寡黙な男で組合の会議などでもほとんど発言しない。どんなに議論が沸騰しても黙したままだった。彼はその紛糾する議論に自分の意見をもっていたが、それでも自ら発言することはなかった。彼はただ黙って組合員の話を聞いている。そしてその紛糾する話が彼の意見とは異なっていても、それで決まったならその仕事を黙々とこなしていく。

 商店街の仕事はいろいろとある。毎月、八日、十八日、二十八日と八の付く日には、商店街あげてのバーゲンセールスがある。そのためのチラシや割引チケットを作って配布したり、当日は看板を立てたり垂れ幕を張ったりする。夏祭りや秋祭りには神輿や山車を出さなければならない。商店街主催の盆踊りだってある。大きな行事が一年中あるのだ。篤史はそんな仕事の一つ一つを黙々と取り組んだ。作業現場に誰よりも早くやって来る。そしてその場から最後に去るのも篤史だった。後片付けをしてその場をきれいに清掃するのだ。

 そんな彼にやがて縁談が持ち込まれるのだ。商店街に医院を構える歯医者の夫人からで、もうその縁談相手の女性と会うセッティングまでしていた。そしてこの商店街のボス的存在である野田家具店の野田夫妻から二件も。二人の子供夫婦と一族経営する野田家具店はこの商店街でもっとも大きな店舗で、この店舗を経営する野田夫妻からはまるで彼らの親族にされたかのよう篤史を愛されていた。だから彼らが持ち込む縁談は真剣で、とりわけ二件目などはその話を結実させようと熱く迫ってきた。しかし篤史はその三件ともまったく心を動かさかった。即刻その場で断るのだ。それはまったく取りつく島がないといった反応だった。

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