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チャタレイ裁判が始まった 伊藤整

チャタレイ裁判の記録

 裁判官たちが席についてからも、まだ四五人残っていた写真班の人たちは、検事席や私たちの方に向って写真をとり、また傍聴席の写真もとった。廷丁がもうやめるようにと言っても、まだとっているものがあった。相馬裁判長は、席について書類をめくっていたが、最後の写真班が去ってから、次のように言い出した。
 相馬──小山久二郎。立って下さい。伊藤整、立って下さい。やはり名前は小山キュウジロウ……」
 小山──ヒサジロウです。
 相馬──年は満で幾つになりますか?
 小山──四十五歳です。
 相馬──生れた年月はいつですか?
 小山──明治三十八年五月七日でございます。
 相馬──職業は何ですか?
 小山──出版業です。
 それに続いて住居と本籍地とをたずねた。それがすむと私である。
 相馬──伊藤整は名前は何と読みますか?
 伊藤──ヒトシと読むのが本当ですけれども、筆名はセイと読んでおります。
 相馬──年は満でいくつですか?
 伊藤──満でよく存じませんが、確か四十六歳ではないかと思います。
 相馬──生まれた年月日は?
伊藤──明治三十八年一月二十五日です。
 相馬──職業は?
 伊藤──著述でございます。しかし東京工業大学の専任講師ですから官吏でもあります。
 そして私が住所と原籍地とを答えると、これで被告人の人定尋問というものか終ったことになるらしく、いよいよ、確認されたこの二人に対する裁判が開始される。それは次のような形となる。
 相馬──それでは両名に対するワイセツ文書販売事件について、これから検察官の起訴状の朗読があるから、被告人らは弁譏人の席の前に腰かけて聞いて下さい。それでは、検察官の起訴状の朗読を願います。

 中込検事が立って、起訴状を読み出した。私の所に去年の九月送られて来たものであり、その後、検察庁でも発表したらしく、方々の新聞、雑誌に掲載されて、それが、原作の内容を間違えていることや、段落が分らなくて、意味がとらえ所ないと批評されたものである。今日はその起訴状を書きなおして出すだろうか、それとも訂正を附け加えるだろうか、と私たちは前から問題にしていたが、読むのを聞くと、前と同様であった。

 起訴状を読み終って検察官が顔を少し紅潮させて席につくと、裁判長か私たちの方に向って話し出した。この人は、法廷の習慣や制度のゆるす限り私たちに対して鄭重に接しようという風が見え、その面長な持病持ちのようなやつれ気味の顔は、生来のものであろうか、「どうもこの世の中というものは」というような憂わしい表情がいつも漂っているのであった。
相馬──それでは被告らどうぞ立って下さい。
 最初に念のために注意しておきます。被告らはこの法廷では初めから終りまで黙っておることも出来るし、また裁判官、検察官、弁護人の各質問に対しても答弁を断ることができます。また述べたければ任意に述べてもよろしいですが、被告らがここで述べたことは、被告の利益になると不利益となるとに拘らず、証拠となるのでその点誤解のないように注意しておきます。今検事が朗読された起訴状の公訴事実について何か初めに述べておきたいことかあったら聞きましょう。

 この言葉は私には強く響いた。それはあたかも、ここは戦場であって、そこで受けた傷は抽象的なものでなく現実に血か流れること、また同様他人に与えた傷もそこから血が流れるものである、と宣言されたようなものであった。座談会や講演会でなく、間違いはみな取りかえしがたい傷となって本人をいためる場所であることを、私は公式に言われたのである。

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チャタレイ裁判の記録
序文  記念碑的勝利の書は絶版にされた
一章  起訴状こそ猥褻文書
二章  起訴状
三章  論告求刑
四章  裁判がはじまった
四章  神近市子証言
五章  吉田健一証言
六章  高校三年生曽根証言
七章  福田恒存最終弁論
八章  伊藤整最終陳述
九章  小山久次郎最終陳述   
十章  判決
十一章  判決のあとの伊藤整
猥褻文書として指弾された英文並びに伊藤整訳と羽矢訳
Chapter2
Chapter5
Chapter10
Chapter12
Chapter14
Chapter15

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