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美術館よ、コンクールに落選した作品を展示する落選美術展はどうだい?

あんり2


 一八六三年、美術界にある一つの事件が起こった。パリでのことである。その年に行われた国家がスポーサーとなった公募展に五千点もの作品の応募があった。三千点近くがばっさりと落とされるが、このとき落とされた画家たちから激しい抗議の声が上がり、ちょっとした社会的騒動になってしまった。そこで落とされた作品を同時に展示するというなんとも奇妙な展覧会が開催されるのだ。するといままで展覧会などに足を運んだことのない人々まで会場につめかけ、なんと展覧会の初日に七千人もの人々が落選展を訪れたというのだ。そして絵の前に立ってさかんに論じあった。

 吉田秀和さんはこのあたりのことをこう記している。「フランスの社会で、公衆が大挙おしかけてきて、美術作品を見て、自分たちの意見を自由に述べあうようになったのは、どうやら、このころかららしい。美術が、それまでの貴族や通人たちの限られた階層の関心事だった在り方から大きく変わってきたのである」そして「このころフランスには、芸術をめぐって、世論というものが形成されつつあったのだろうか」

 この落選作家のなかにモネがいた。その落選した作品とは、いまでは数十億もの値がつくあの名高き「草上の昼食」だった。落選したのはモネだけでない。ホイスラーも、セザンヌも、シスレーも、ルノアールも、ピサロも、マネも、今日名を残している大画家たちがばたばたと落選している。何度挑戦しても落選する。彼らはやがて憤然として立ち上がるのだ。公募展とは針の穴を通るようなものだ。その小さな針の穴をするりと通っていくのは、権威に迎合した、見栄えのいい、八方美人の、あたりさわりのない、そこそこに小さくまとまった器用な作品ばかりである。大きな魂をもった、新時代を切り拓く、パワフルな、生命力あふれる絵がどうしてそんな小さな穴をくぐり抜けられようか。彼らは公募展を蹴飛ばして、新しい道を切り拓くための活動に取り組んでいく。

 長く果てしない道だ。いや、道そのものがないのだから、彼らの前に広がる荒野を独力で切り開いていく以外にない。何度も落選するセザンヌは公募展に早々に見切りをつけて、個展を開くことで新しい活路を切り開こうとした。しかし満を持して展示した彼の絵はことごとく嘲笑され罵倒される。それはひどいものだった。

 例えばこうである。「とにかくセザンヌの絵の前は、急いで通り過ぎるべきだ。もし立ち止まって彼の絵を見ようものなら、おなかの子に呪いをかけられ、赤ちゃんは誕生前に黄疸にかかってしまうだろう」と。何という悪罵。繊細な神経をもつ芸術家たちにとって耐えられないばかりの嘲笑と悪罵である。作品が攻撃されただけではなく、彼の存在さえも否定された。打ち砕かれたセザンヌは、パリを捨てて郷里プロヴァンスに帰る。敗北したわけでも、逃走したわけでもない。その地でさらなる闘志をかきたて、黙々と彼が歩く道を切り開いていった。芸術家とは道なき道を歩く人であり、その作品によって道を切り開いていく人のことなのだ。

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