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戦う教師  二宮尊徳

 新藤校長は、石という教師もまたこの学校の教育をゆがめている癌だとみなしていた。だからしばしば石の授業を参観しては、ああした方がいいのではないのか、こうした方がベターではないのかと婉曲に指摘する。他の教師たちには歯に衣着せずにずばりと直球を投げ込むのだが、石に対してはゆるいカーブを投げたような表現になるのは、この校長にとっても石はちょっと怖い存在であったからである。しかしそれでも不屈の校長は石に授業の改善を迫る。
 
 とにかくこの教師の授業は常軌を逸していた。授業では教科書をまったく使わない。すべて石が作成したプリントを使って行われる。評価の仕方も独特だった。テストで九十点取る生徒に二とつけたり、逆に四十点しか取れない生徒に四とつけたりする。そんな成績評価がいつもPTAで問題にされて、ときには教育委員会まで乗り出す騒ぎになったりした。そんなわけだから、ときには石を校長室に呼んで、さっぱり改めようとしない石の授業を、青筋を立てて攻撃することもあった。しかしそんなときも石は、「なるほど、そういう考え方もありますね、いいことを指摘していただいた、それは今後の検討課題ですね」と言ってさらりと受け流した。
 
 こうして踏み込んでくる校長をあっさりと追放する。自分の領域にはあなたなど一歩も入れないと。石は校長という存在をただ組織の捨て駒だと考えていたのだ。彼らは二、三年でまた別の学校に移動していく。そしてまた別の捨て駒がやってくる。こんな捨て駒の役割しかもたぬ人間と、本気になって格闘することは馬鹿げたことだと考えているのだった。
 
 尊徳銅像の撤去騒動は、本格的な闘争に発展していくのだが、石は何歩もの距離をおいて冷たく眺めているばかりだった。彼にはその騒動の正体がよく見えていたのだ。会議ではさかんに尊徳像について論議されるが、彼らが撤去したいのは尊徳像ではなく校長だったのである。教師たちに暴言を浴びせ、授業を改善せよと権力的に迫り、さらには組合活動を弾圧していくと彼らの目に映る校長こそ、彼らが追放したい悪のシンボルであったのだ。この騒動を鎮めようと校長はずいぶん早い段階から教師たちにこう告げていた。
 
「尊徳像を撤去するなどといった政治的思想的問題に、教師たちが立ち入るべきではない。撤去闘争などという教師の領域をはるかに超えた運動に取り組むことは、学校と子供たちを混乱させるばかりである」と。そしてなにやらこの騒動がいよいよ熱くなっていくにつれ、校長の発言も過激になって「この騒動にかかわった教師たちは厳しく処分される。戒告処分とか減給処分といったものではなく、停職、あるいは解雇といった最高レベルの処分になるかもしれない」と警告するまでになっていた。こうしてこの騒動は、石が見抜いたようにいよいよ権力闘争といった様相になっていった。
 
 職員会議は民主主義のルールできまっていく。すなわち多数決である。組合員が七割近い職員会議だから、組合員の主導で展開されていく銅像撤去の事案はいつだって圧倒的多数だった。会議の進行者が「それでは圧倒的多数で可決されました」と告げて議事を進行させていく。反対の挙手など求める必要がないのだ。そのとき石はどうしていたかというと腕を組んだままだった。
 
 その日の職員会議で、いよいよ闘争に踏み出していく具体的なプランが提示された。闘争を四つのステップを踏んで展開されていく。
一 尊徳像を撤去することの意味と意義を、一人一人の教師がよく学習して、それぞれの学年にあわせた教材を作る。
二 教師たちはそれぞれのクラスで、教育の本質にふれていく授業をする。
三 それぞれのクラスで父母会を開き、父母たちに尊徳像撤去の活動を理解してもらう。
四 全国の学校の教師たちによびかけて、当学校で「なぜ尊徳像を撤去しなければならぬのか」といったテーマのシンポジュームを開く。
 
 そしてそのとき「授業を組み立てるために──二宮尊徳像を撤去することの教育的意味と意義」と題された二十枚にも及ぶプリントが渡された。そこに刷られた文章を一読したとき、石の内部で地殻変動が起こった。翌日の職員会議がはじまるやいなや、石は立ち上がってこう発言した。「私は昨日までこの問題に関しては一言も発言しなかった。賛成か反対かの挙手を求められても、私はただ腕を組んでいるだけであった。それがこの問題に対する私の意見であり、私の取るべき態度であった。しかし昨日渡された文章に読んで、私の意見を変えた。私の取るべき態度も変えた。諸君が撤去闘争をはじめるなら、私は反撤去闘争をはじめる。諸君がこの闘争に徹底的に踏み込むならば、私もまた徹底的に尊徳の銅像を守り抜く。なぜ私がこのような戦いに立ち上がるかを、少し説明させていただきたい」
 
 その経歴から石という人物は、過激な行動に走る激情的タイプといった印象を与えるが、実際の彼は精神の調和のとれた温厚なる人物だった。どんな争いの場面が起こっても、感情をむき出しにして争うなどということもなかった。むしろそんな場面になると、彼の態度はより温和になって、怒る相手がかえって拍子抜けするほどだった。そのときも彼の口調は穏やかだったが、しかし口をついて出てくる言葉は、彼の精神の底に秘められた鉄の意志そのもので過激だった。



 

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