見出し画像

13坪の本屋の奇跡  木村元彦

 ただ単に本を右から左に動かすのではない。確固とした書店の意志がそこにあった。それでいて、感じたのは、その敷居の低さだ。レジの奥には子ども向きの図鑑や参考書がところ狭しと並べられており、実際に常連さんらしい家族連れか、楽しそうに顔を出しては雑誌やコミックを物色している。ヘイト本が無いから、一発で気持ちが悪くなる煽情的な表紙や夕イトルに出遭わなくても済むし、次に読みたいと思ってチェックしていたノンフィクションはあつらえた様にそこにある。意識高い系特有の冷たい感じもしない。
 何だろう、この心地よさは? 落ち着いた谷町六丁目の雰囲気も相まって「本当にミナガワさんの言う通りだった」。

 以降、関西出張で時間ができると隆祥館書店の餡を見たくなり、顔を出すと、1500人にものぼるお客さんを覚えているという店主の二村知子氏が店の在り方について、説明を重ねてくれた。それらの言葉には、まさに蒙が啓かれた。物書きとしての生活を重ねていながら、何も自分は本の流通を知らなかったことを、そして今の日本で小売業か70年も続くことの大変さを思い知らされた。
「今まで俺は何も分かっていなかったんだな」
作品に惚れ込んだ書店が、どんなにこの本を売りたいと願って注文しても届かない現状が、日本の配本制度にはあるのだ。リアルな町の書店のことを考えず。たかがアマゾンのランキングを見て一喜一憂していた自分を恥じた。同時にこの書店のことを書けば、いろんなものが見えてくる、そんなふうに思い至った。僭越ながら座右の銘にしている「隠れたファインプレー」も「不可視にされている少数者の境遇」もあぶり出せるのではないか。

画像1

 知子が店を継承することが晴れて決まった。そこでの努力は、誰もが認めるものだった。実際、知子が事前に新刊を読み込んで、これを売りたいと決意したときにもたらす情熱と結果は、常軌を逸していた。2015年12月に刊行された坂本敏夫の『典獄と934人のメロス』(講談社)は元刑務官である坂本が、明治以降の刑務所の歴史を徹底的に調べ上げ、隠されていた事実をベースにしたノンフィクションノベルであるが、プルーフで読み込んだ知子は、これはお客さんに薦めるべき作品だと判断すると、即座に版元に発注、そして販売に注力した。

 坂本は27年に及ぶ刑務官人生の中で、永山則夫をはじめとする死刑囚を何人も担当し、多くの懲役とも接して来た。その結果、刑罰の目的は応報ではなく、教育による更生にあると確信する。退官後は自ら「NPO法人こうせい舎」を立ち上げて、罪を犯した人々の社会復帰を助けている。日々の活動として、人生再建のための情報紙と銘打った「こうせい通信新聞」を発刊し、受刑者専用求人の案内などを刑務所内に送付し続けている。

 そんな坂本か書いた『典獄と934人のメロス』は緻密な取材に基づいた史実の掘り起こしであり、人間の「信」に光を当てるものであった。関東大震災か1923(大正12)年に起きて。横浜刑務所の囚人たち934人が、監獄法によって24時間の限定で釈放される。解放後、囚大たちは、脱走して強盗、殺人の限りを尽くしたという流言もあるか。実態は違っていた。誰ひとりとして約束を破る者はおらず、全員か戻って来た事実があるのだ。原因は典獄(現在の刑務所長)椎名通蔵の血の通った人権教育にあった。大は信じられる。メロスになれるのだ。

 かつて極度の人間不信に陥った知子か、この本を薦めた。そこには自分自身も大きな相克を乗り越えようとする思いがあった。
 知子の薦めなら、という信頼関係がすでに多くの顧客とできていたこともあり、初版6000部のこの小説を実に、ひとりで500冊売り切りだ。
 坂本は、知子を隆祥館書店にはじめて訪ねたときのことを、こう回顧する。
「会って挨拶するときにいきなり『こんな本を書いて下さってありがとうございます』と言われたんです。こちらこそ、売ってもらっているのに。私は『典獄』を書くためにほぼ20年資料集めに奔走しました。大阪。神戸、長野、甲府。各刑務所施設の文書倉庫に全部行きました。それを二村さんは見抜かれたんですね」

 多くのノンフィクシ’ン作品に触れていた知子は取材ものに関する目利きでもあった。『典獄』は13坪の隆祥館書店だけで初版の約10分の1を売り切った。それでも膨大な宣伝費が投じられていたわけでもなく、全体的には重版という結果には結びつかなかった。しかし谷町六丁日界隈では読んだお客のほぼ全員が知子にも「ありがとう」と礼を捧げた本となった。

画像2

隆祥館書店創業者二村善明からメッセージ
「従来から書店は地域の文化の発信地の役割を果たすべきだと言われてきました。子供たちに読書を広め、その読書力に貢献し、遠くまでゆくことの出来ないお年寄りの読書の力添え、作家と読者への橋渡し、そしてその心の交流、出版をただ売れればいいという商業主義の餌食にすることなく、出版を文化として作家を支え、読者か出版を育てるこの仲介者か書店と考えております。手に取る『本』、出版物を未来あるモノにしたいというのが私たちの望みです」

隆祥館書店を引き継いだ二村知子の言葉
仕組みか改善されれば、昔ながらの小さな書店でもやっていけるはずです。新しい形のセレクトショップの本屋さんや、古本屋さんは、増えています。取次を使わずに。トランスビューなど直接出版社から仕入れる方法でされているケースが多いです。
けれども取次経由をメインにする小さな本屋はこのままでは続けられないところまで来ているのです。
当店も毎日が聞いです。
でも、やっぱり本が好きで、本には価値かあると信じています。「本」を通じて人と繋がれることを嬉しく思っています。小さな本屋の娘に生まれたことを残念に思ったことがありましたが、今は、置かれた場所で一生懸命にできることをしようと思っています。

ほんや1

ほんや2

ほんや5

ほんや7

ほんや8

ほんや3


画像8


Web Magazine 「草の葉」創刊号の目次
創刊の言葉
ホイットマンはこの地上が最初に生んだ地球人だった
少数派の輝く現在(いま)を  小宮山量平
やがて現れる日本の大きな物語
ブナをめぐる時 意志  星寛治
日本最大の編集者がここにいた
どこにでもいる少年岳のできあがり  山崎範子
13坪の本屋の奇跡
シェイクスピア・アンド・カンパニー書店 
サン・ミシュル広場の良いカフェ アーネスト・ヘミングウェイ
シェイクスピア書店  アーネスト・ヘミングウェイ
ジル・サンダーとは何者か
青年よ、飯舘村をめざせ
飯舘村に新しい村長が誕生した
われらの友は村長選立候補から撤退した
私たちは後世に何を残すべきか 上編  内村鑑三
私たちは後世に何を残すべきか 下編  内村鑑三
チャタレイ裁判の記録 記念碑的勝利の書は絶版にされた
チャタレイ裁判の記録 「チャタレイ夫人の恋人」
日本の英語教育を根底から転換させよう
草の葉メソッドに取り組むためのガイド
草の葉メソッドの入門編のテキスト
草の葉メソッドの初級編のテキスト
草の葉メソッドの中級編のテキスト
草の葉メソッドの上級編のテキスト



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?