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歴史小説論争            自作『蒼き狼』について  井上靖

 もう六十年の前にことになる。1961年の雑誌「群像」の一月号に、大作家の道を歩きはじめた井上靖の記念碑的大作「蒼き狼」に、これまた大作家の道を粛々と歩いている大岡昇平が猛然とかみついたのだ。その攻撃は激しく、その長文を大岡は、
「ただそれを歴史小説にするためには、井上氏は『蒼き狼』の安易な心理的理由づけと切り張り細工をやめねばならぬ。何よりまず歴史を知らねばならぬ。史実を探るだけではなく、史観を持たねばならない。この意味で、井上氏の文学は重大な転機にさしかかっているのである」
 と締めくくっている。なにやら罵倒に近い大岡の怒りの根源はどこからくるのか。この攻撃に井上靖はどう受けて立ったのか。大作家たちの歴史小説論争は熱い。その全貌を伝える特集である。

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自作『蒼き狼』について  井上靖

 ヨーロッパから帰って一週間程になるが、何もする気がなくてぼんやりしていた。四ヵ月程の短期旅行だが、知らない国を十二力国程歩いたので、やはり自分の知らないうちに疲れが積み重っていたものと見える。十二月中はいっさい原稿用紙に向かわないで、留守中に届いた雑誌や創作集でも読もうと思っていたのであるが、たまたま「群像」編集部のN君が届けてくれた。「群像」新年号を開いて大岡昇平氏の『蒼き狼』は歴史小説か」を読んで、何か書かなければならぬような気持になった。

 大岡氏の文章は、いろいろな意味で私には興味深いものであった。氏が歴史小説というものをどのように考えているか、それを知ったことだけでも、今まで歴史小説を書いて来、これからも書いて行こうと思っている私には、自分の仕事を顧みる上にも非常にいい刺激になったと思う。

 ただ全文にわたって、氏があげつらう論拠として挙げたものに対しては、多少作者としては迷惑も感ずるし、氏の私の作品の決めつけ方に承服し難い点もあるので、そうしたことについて、氏の文章を読んで私が感じたり、考えたりしたことを、ありまま記しておくべきかと思う。

 氏がこの論評で言わんとしていることの根幹は、その「『蒼き狼』は歴史小説か」という題名も示しているように、この作品が歴史小説と言えるかどうか疑わしいものであるということであり、そのことを「実証する」という言い方で「実証」しているのである。『蒼き狼』が歴史小説であれ、氏が言うが如く家庭小説であれ、どう見られてもそれはそれで私としては構わないわけであるが、「原文に加えた次のような改竄は如何」というような言い方からも察しられる穏やかならぬ理由で、『蒼き狼』が歴史小説たるの資格を剥奪されたということになると、『蒼き狼』の作者としては、どうしても自作を護るために一言しないわけには行かなくなる。

 最初に断わっておくが、私は『蒼き狼』が会心の作だとも、勿論これが歴史小説の見本だとも思っていない。歴史小説として、あるいは更に広く文学作品として、『蒼き狼』が未熟な作品であるという批評には、事実それはその通りであろうと作者自身思うし、黙って引き退がる以外仕方ない。大岡氏の文章のそうした部分は、そのまま素直に受けとるにいささかも吝かでないつもりである。それからまた言うまでもないことだが、氏の文章の底を流れている私への忠告や好意は、私はあまさず読みとっているつもりである。

 先ず氏が結論としているところから、つまり、氏がこの論評で最も言いたいと思っているところから始めることにする。氏は成吉思汗があの大業を成し遂げたのは、「狼の原理に忠実であったためでなく、氏旅連合体を専制君主制にする軍事国家に編成替えしたことによって可能であった。遊牧と掠奪という手取り早い生活様式に変えたことである。度々の遠征はモンゴルの牝鹿を美しくすることでなく、君主の財産を増し、親衛隊を養うためである。云々」と記して、『蒼き狼』がこのような歴史的常識を無視して成吉思汗の生涯を「狼の原理」で割り切っているとしている。そして、かかる歴史的事件を達成した成吉思汗という人間は、当然利害に明るいレアリストでなければならぬ。必要なのは狼ではなく、冷静な認識者である。成吉思汗の軍隊はその攻撃精神のためでなく、狡猾と執拗のために恐れられたのであると述べている。

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 実際にその通りであるに違いない。併し、私の場合、『蒼き狼』という作品の中で書きたかったことは、氏のいわゆる「狼の原理」なるものに他ならぬ。この作品を脱稿した直後、私は「『蒼き狼』の周囲」と題して文藝春秋別冊第七十二号に次のような文章を載せている。

《私は初め蒙古民族の興隆の相を書きたい気持に支配されていたが、それを成吉思汗という一人の人物にしぼってしまったのは、蒙古民族の興隆が全く成吉思汗という一人の英雄にその総てを負うていることが判ったからである。成吉思汗が出現しなかったら、アジアの歴史は全く違ったものになっていた筈である。ナポレオンでさえ、余の人生は成吉思汗ほど充分偉大であったとは言えない」と言っている。蒙古高原に散在して、部落間の小闘争に明け暮れていた貧しい遊牧民族を、蒼き狼の裔たらしめたのは成吉思汗であり、成吉思汗の出現に依って初めて、蒙古民族は全く別の優秀な民族に生れ替ったのであった。

 私は成古思汗を書くにしても、一代のうちに欧アにまたがる大国を建設した英雄の英雄物語を書く気はなかった。また古今未曾有の残虐な侵略者としての成吉思汗の遠征史を書く気もなかった。成吉思汗の一代を書くとなると、すべてそうしたことにも触れなければならないが、併し、私が成吉思汗について一番書きたいと思ったことは、成吉思汗のあの底知れぬ程大きい征服欲が一体どこから来たかという秘密である。時代が全く違うので、ヒットラーが世界制覇の野望を持っていたというような場合とは、事情は全く違うのである。蒙古高原を取り巻く四囲の国々さえも、成吉思汗にとってはその大きさも、地形も、民族の性情も全く判らない国々であった。ましてその向こうにある国々に到っては、闇を手でさぐるようなものである。

 そうした状況にあって、大国金を制圧しただけで収まらず、西夏、回鶻と兵を進め、ついに回教国圏内にはいり、裹海沿岸から、ロシアにまで軍を派したのである。それも全く彼一人の意志から出ていることである。一人の人間が性格として持って生れて来た支配欲といったようなものでは片づきそうもない問題である。こうしたことは、勿論、私にも判らない、判らないから、その判らないところを書いて行くことで埋められるかも知れないと思ったのである。》

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 私は成吉思汗を史上に現れた他の幾多の侵略者たちと区別しているものは、彼が持ったどこまで行っても已むことない征服慾ではないかと思う。氏族連合体を専制君主制による軍事国家に編成替えしたことに成吉思汗の大業が負うているとするのは、どの歴史教科書にも記されていることであり、それはまさにその通りであるが、それだけの常識では成吉思汗を小説化することもできないし、私自身創作の筆を執る気にはならなかったと思う。
 氏は「蒼き狼の原理の発明」と、私には余り有難くない言い方をしておられるが、その言い方を借用すれば、蒼き狼の原理を発明したことで、私は初めて成吉思汗を書きたいと思ったし、書くことができるという気持を持ったのである。
 
『蒼き狼』に於て、この主題がよく活かされているかどうかということは別問題である。氏にそのような見方をさせたということに於て、この作品の主題は作品の中によく融け込んでいなかったに違いない。併し、こうした主題を設定するそのことに於て、作品が歴史小説たるの資格を失ってしまうという意味のことが氏の論評からは受け取れるのであるが。そうなると歴史そのものではなく、歴史上の人物や事件を取り扱う歴史小説の成立する地盤はどこにあるということになるのであろうか。『蒼き狼』に於て、私が書きたかったのは、歴史ではなく小説である。

 少し気負い立った言い方を許して戴くとすると、私はどの歴史書の説明でも説きえない成吉思汗という人間の持っているある面を、それを小説化することに於て解決したかったのである。小説家の歴史に対する対い方は、歴史学者の解釈だけでは説明で考ないところへはいって行き、表面に見えない歴史の一番奥底の流れのようなものに触れることではないか。『蒼き狼』で、私がそれを為し得たとは思わないが、少くともそれを意図したものだとは言えると思う。若しこうした場合このような態度が作品を歴史小説たらしめることを妨げるというのであれば、『蒼き狼』はまさしく歴史小説ではなくなることになる。

 大岡氏は史実だけを取り扱った史実小説しか歴史小説として認めてはいないものの如く受取れるが、史実だけを取り扱うにしても、なおそれが文学作品である以上、作者は史実と史実の間にはいって行かなければならぬ。

 私は氏の歴史小説というものに対する考え方を、ひどく窮屈なものに感ずる。氏の考え方からすれば、私が史実と史実の中に自分を入れて行ったところはすべて、氏から独断的な非歴史的なものとして指摘されることになる。私にはそうした作者の解釈が歴史的事実の間に介入して来ることが、歴史小説の成立をさまたげる根拠となるとは考えられない。歴史小説はそれが小説である限り、勿論史実小説に於てすら、多かれ少なかれ、そうした箇処を持っており、そうした箇処によって文学として支えられているのではないかと思うのである。

 大岡氏は、史観を持てと言われるが、史観というものがどういうものであるか。私にはよく判らない。氏のいわゆる歴史的常識なるもののことであるか、あるいは一部の学者が為しているようなある一つの見方で歴史の流れというものを見、それに統一と分析を与える底の歴史に対する対し方というのであろうか。若しそのいずれかであるとすれば、私はそれを参考にこそすれ、それに拠って小説を書こうというようなことは一度も考えなかったと言うほかはない。『敦煌』に於て、私はタングート族と漢民族との争闘を描いたが、それを青白塩の奪い合いだと見ている学者もあり、遊牧民族と農耕民族との相容れぬ生き方の衝突だと見ている学者もある。その他学者に依っていろいろな見方をされている。私はそのどれをも参考にしているが、そのどの一つにも拠ることはしなかった。

 それから氏は私が既に『敦煌』『蒼き狼』を書いてしまったので、もはや『楼蘭』『洪水』の線に引退がることはできないであろうと言われるが、これも私には納得のゆかぬことであった。大体、『洪水』は『敦煌』よりあとに書いた作品であるし、私の場合これらの作品は、一線に並んで、あとに引き返すとか、引き返せないとかいうような性質のものではない。『楼蘭』は歴史そのものを書きたかったので、あのように史実を並べた書き方をしたのであり、「敦煌」は歴史のブランクを、一人の小説家としての想像で埋めようと試みた作品であり、『蒼き狼』に於ては成吉思汗その人を、私の掴み方で掴みたかったのである。鴎外の「歴史そのまま」と「歴史離れ」の作用は、歴史小説を書いている作家の心の中にいつも交互に現れて来ることかと思う。

 そして、そうした作家の揺れの根本にあるものは、技術的な問題から来るものだと思う。歴史上の人物や事件を書いていて、登場人物の心理を書く時、心理を描けば描く程、見てきたような嘘式の浮き上がり方をするのは、だれでも歴史小説を書いている者が痛感していることに違いない。心理を強く抑制して書くか、いっさいの心理描写を排する以外、私の経験では、人物を歴史的時間と空間の中へ定着させることは難しいように思われる。併しそうした作品を書いていると、心の内部から突き上げて来るような烈しさで、作品の中へ自分かはいって行きたくなって来る。「歴史離れ」がしたくなって来るわけである。それでいて歴史離れすると、自分が書いている人物にあいそをつかす結果になることは火を見るより明らかなことである。

 私は今までいつもそうした、一つの間を揺れ動いて来ている。『楼蘭』は歴史そのままの作品であり、『敦煌』はある意味で、歴史離れの作品である。『蒼き狼』はそれらの中間にある作品であるが、その主題の性質上、登場人物の心理をある程度書かねばならず、それをある程度書きながら、何とかして人物を作品の中へ定着させようという試みを持った作品であった。大岡氏に依って「安易な心理的理由づけ」と断じられたことは、私には痛いことであったが、これはこれでやはりそうかという気持があって、氏の批評にさからう気持にはなれなかった。

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 次に氏が「実証する」という言い方で指摘した細部の問題について、私の考えを述べたい。氏は私が『蒼き狼』の典拠となっているご『元朝秘史』の記述を自分の都合のいいように書き変えているとして、幾つかの箇処を指摘している。ここで読者のために『元朝秘史』なるものをちょっと説明しておくが、この書物はモンゴルの祖先の伝説と、成吉思汗の事蹟、それに太宗オゴタイの行実を附加したものである。この書のウイグル語の原本の出来たのは太宗の時であり、漢訳の『元朝秘史』ができたのは元朝崩壊後のことである。原典の作者は不明であるが、文筆のたつウイグル人あたりが勅命を受けて書いたものであろうとされており、登場人物たちの性格、行動から考えても、また韻をふんである原典の文章から推しても、ある特殊な史書ではあるが、それ以上に文学書であり、叙事詩であるとされていることは周知のことである。成吉思汗や成吉思汗以前のモンゴル民族のことを知る上には、この書物が貴重な資料であり、これを無視することはできないか、併し、ここではっきりしておきたいことは、重要な資料ではあるが、決して史実ではないということである。つまりここに書かれてあることは正確な歴史的記述ではない。

 古来モンゴルあるいは成吉思汗の研究家は、この書を無視することはできないが、これをそのまま歴史的記述として取り扱うこともなければ、事実取扱ってもいないのである。『元朝秘史』のほかに、『蒙古源流』とか『アルタン・トプチ』とか、同じような文献が二冊程ある。蒙古学者はこれらの書物を材料にして、その中から歴史的事実の欠片と造り話をより分ける仕事に従事しているわけである。大岡昇平氏は戦時中読まれたものとしてドーソンの『蒙古史』を挙げておられるが、ドーソンの場合は『蒙占源流』を資料として選んでおり、『元朝秘史』の方は読んでいない。

 作家の私の、これらの資料に対する態度も、歴史家のそれと同じでなければならない。成年期までの成吉思汗の言動については『元朝秘史』と前記二冊の本しか触れていず、他にいかなる記述もないので、結局これに拠る以外仕方ないが、ここに書かれてあることを史的事実として考えてはいない。ある部分は『古事記」、『日本書紀』のような神話であり、ある部分は『平家物語』『源平盛衰記』のような説話である。私が資料としての『元朝秘史』をどのように考えているか、ここでもまた、「別冊文春七十二号」の小文の一部を写させて戴く。

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《成吉思汗の伝記、あるいは創作で、一応眼を通したものは、幸田露伴の戯曲、尾崎士郎『成吉思汗』、ラルフ・フォックス『成吉思汗』、柳田泉「壮年のテムジン」、ブラブディン『成吉思汗』、ハロルドニフム『ジンギスカン』、ブ’リオン『汗の話』。                                                                                これらの書物でも、壮年時代までの成吉思汁は、いずれも『元朝秘史』の成吉思汗に拠っている。私も亦これに拠る以上仕方がなかった。併し、はっきり言うと、この時期の成吉思汗はどのように書いても、『元朝秘史』に及ばない。『元朝秘史』がある以上、これに加えて書くべき何ものもないといった感じである。併し、伝記を書く以上、この期の成吉思汗を書かないわけには行かない。

 恐らく多くの成吉思汗の作者が感じたであろうように私も亦この期の成吉思汗を、絶えず『元朝秘史』に圧されながら小説化しにた。『元朝秘史』と並んで蒙古文学の双璧と称せられているものに『蒙古源流』という古書がある。これは蒙古の古代説話が多く保存されている書物で、成吉思汗の裔であって、史家であり、宗教家であり、武人であり、モンゴルの一聚落の王であるサナッダ・チェチェンの書いたものである。モンゴル肇国の当初から十七世紀中葉までの民族の歴史を、美しい想像で綴ったもので、原著名は『汗らの根源の実の史綱』、乾隆帝の命で、漢訳されて『蒙古源流』となったものである。

 それからもう一つ『アルタン・トプチ』というのがある。やはり蒙古の古い伝承や説話や信仰物語が保存されているという意味で、『元朝秘史』『蒙占源流』と共に並び称せられるものである。
 『蒙古源流』は江実氏の訳があり、『アルタン・トプチ』は小林高四郎氏の訳がある。両方とも、史実は混乱しており、『元朝秘史』の記述と重なったり、倒錯したりしているところが多いが、ただ蒙古民族の持っていたもので、現代人が絶えずそれに触れていない限り、すぐ離れて行ってしまいそうなもやもやしたものが、この二つの書物にはいっぱい詰まっている。そうした意味で、私は『元朝秘史』と共に、この二つを座右に置いた。

 成吉思汗が蒙古高原の諸聚落を統一し、その主権者となり、全国を席巻するまではいいが、そのあと中央アジアへの侵略となると、西方被侵略国側の記録以外に、モンゴル侵略軍に 関する記述はない。私はそうした記述をもとにして書いた名著として有名なドーソン『蒙古史』やウラジミルツォフの『蒙古社会制度史』、それから私の『蒼き狼』の終りの方になって眼を通すことのできた同じ著者の『成吉思汗伝』などに依って、モンゴル軍の動静を知り、そこから成吉思汗その人の行動を推定して行く以外什方なかった。》

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 少しく長文の抜き書きであったが、「蒼き狼」を脱稿した直後の文章であり、これを書いた目的が違うので多少言い足りないところはあるが、新たに書くと妙に弁辞がましくなりそうなので、これを再録したわけである。

 大岡氏は『元朝秘史』というものに対して、何か思い違いがあったのではないかと思う。氏は成吉思汗が鉄木真時代、異母弟ベクテル(氏はベルグタイと書いてあるが書き違い)を殺したのを怒る母親ホエルンの言葉にある「風雪により頭口を害う狼の如くにとあるのを、作者が狼が余りさっそうとしていないので「山犬」と書き替えているとしている。なるほど原文は「赤那」であるが、それを那珂博士は「狼」と訳している。私の作品では「山犬」となっている。私自身、恐らく狼と書くより「山犬」と書いた方が、混乱を防ぎ得るという考えから「山犬」と書いたのに違いない。

 私は『元朝秘史』の中で、母ホエルンが怒る怒り方の表現が、いかにも大きい怒りを思わせるみごとなものなので、これを私の表現として借りたのである。このように『元朝秘史』の中の文章を借りたところは二ヵ所ある。もう一つは氏が挙げている戦闘場面である。『元朝秘史』の中のこの二ヵ所の文章を借りて自分流に生かそうとは思ったが、それをいささかも忠実に写そうとも思わなかったし、写さねばならぬいささかの理由もないと思う。「狼」を「山犬」と書き変えたことが、氏の指摘によって何となく重大作為のように受取られかねないので、一応このことに触れておく次第である。

 同様に、『元朝秘史』では、ナイマンの合戦の場面の説明に狠が出て来るが、それを、狼がさっそうとしていないから採用していないとする。これも私としては理解に苦しむ指摘である。『元朝秘史』に書かれていることを採用していないと言えば、六百頁に余る書物の中で、その大部分を採用していないのである。もともと私にとって、『蒼き狼』という全く別種の象徴された狼だけが作品の主題に関係あるものとして必要なのであって、蒼くない狼について『元朝秘史』にどのように記述があろうと、たいして関心のないことである。

 大岡氏はまた、ナイマンとの戦闘の場面で、原典では成吉思汗が「あ丶四頭の狗が行く」と言っているのに、私が作品の中で「四頭の狼が行く」と言わせてあると指摘している。併し、これも『元朝秘史』という書物の性格からして、問題にならぬことだと思う。私はもう一度書き直したとしても、やはり狗とは書かないで狼と書くに違いないと思う。『元朝秘史』の戦闘場面の描写を、しかもその中の会話の部分を忠実に守らねばなぬという理由はない。次の走り回っている馬が狼になっているという指摘に対しても同じように言う他はない。『平家物語』の中に、清盛がだれかと話す場面があって、そこで清盛がいい月だと言っているとする。その場合、後世の小説家がそうした場面を書く時、いつも清盛にいい月だと言わせねばならぬのであろうか。ああいい風だと言わせてもいっこうに差し支えないし、そんなことは全然取り上げなくても少しも構わない。

 氏は「現代的動機のために、歴史を勝手に改変していいかというと、そうは行かない」と言っておられる。勿論である。私は『蒼き狼』の中でいかなる動機のためにも歴史は改変していない。氏は成吉思汗が狼を理想とし、部下に狼になれとけしかけた痕跡は絶無であると言う。勿論そうしたものが史実の中にあろう筈はない。史実にないと言えば、忽蘭のことも、その子ガウランのことも、チンペ、チラウンのことも、なべて『蒼き狼』の登場人物の行動は史実にはその痕跡すらないのである。たまたま『元朝秘史』にその名を出しているので、その記述を拠りどころとして、その性格も、年齢も勝手に決めて、自由に作品の中に生かしているのである。

 厳密な意味で成年期までの成吉思汗についての史的記述は、宋史の何カ所かに出て来る何行かのもの以外はないのであるから、史実だけで成吉思汗の伝記を綴ることは不可能である。
 氏は私の書いた成吉思汗を否定し、冷静な認識者として、利害に明るいレアリストとして成吉思汗を想定しておられるが、併し、『長春真人西遊記』とか耶律楚材との交渉などから窺える成吉思汗は、氏の成吉思汗とはかなり大きく違ったものではないかと思う。長生の秘宝を求めて已まぬ凡庸であると共に、常に何ものか自分の支柱になる絶対を求めていた人物であり、思いやりの深いよく気のつく人物であり、畤と場合に依っては感情のままにどのようにでも動く危険な熱情家でもある。

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 何も私は氏の成吉思汗に文句をつけるつもりはない。ただ氏が史実の有無をきびしく詮索する言い方をされているので、若しそのような方法に依って成吉思汗の性格の根拠となるべきものをさがさなければならぬとすれば、『長春真人西遊記』などを措いてはないと言いたいだけである。

 大岡氏が歴史小説をどのように考えておられても、私はそれを否定する気持はない。氏の考え方をそのまま受取るか、受取らぬかは別にして、一応氏の立場に立って、その上で歴史小説というものや、自分の作品を考えるべきだと思っている。歴史小説の名を冠し得る作品がいかなるものでなければならぬかということは、まだ誰に依っても決められてはなく、作家各自がそれぞれの考え方でそれを考えているに過ぎないからである。

 大岡氏は鴎外の言う「歴史そのまま」より、もっときびしい規定を歴史小説に与えている。それはそれで一種爽快でさえあり、大岡氏らしいきびしさだと思う。私は氏の考え方を向うへ押しやる必要もないし、押しやらねばならぬ理由はいささかもないのである。氏に依る歴史小説の審査に於て、私の作品が失格したとしても、作者としては少しも不快には思わないのである。

 それにも拘らず、日頃敬愛して已まない氏に対して、あるいは失礼にわたるような言辞を弄したかも知れぬ文章を綴ったのは、冒頭に断っておいたように、これを綴らないと、当然作品に対して責任を持たねばならぬ作者として、自分の作品を護ることができなかったからである。自作『蒼き狼』の貧しさを棚に上げて、私は自作を護ることのみに急であったかも知れぬ。この点深く大岡氏にお詫びする。

特集 歴史小説論争
『蒼き狼』は歴史小説か  大岡昇平
『蒼き狼』は叙事詩か   大岡昇平
自作「蒼き狼」について  井上靖
成吉思汗の秘密        大岡昇平
歴史小説と史実      井上靖
『蒼き狼』の同時代評   曽根博義
『蒼き狼』論争一     曽根博義
『蒼き狼』論争二     曽根博義
花過ぎ 井上靖覚え書   白神喜美子 

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