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『草の葉』の詩想  2  酒本雅之

 
今や「ぼく自身」は「幻想」の導くままに、時空を超えて自在に動き、あらゆる個別に平等に愛をそそぐ「デモクラシー」の化身となる。だが、それにしても、彼が具現する「デモクラシー」は、いささか風変わりだ。何よりもまずその平等主義が徹底している。人種、性別、貧富など、人間社会を多様化するさまざまな区別を平等と捉えることは言うまでもないが、それだけでなく、人間社会に対して正の価値を持つものと負の価値を持つものをともに平等とすることで、いっきに世界全体を包含してしまう。
 
たとえばおのれの「歌」を「均等に用意された食事」と規定したあとで、「ぼく自身」はその食卓に、誰ひとり排除せず、すべての客を招きいれる、「正義の人と肩を並べて悪人だって食べていい、/……お囲い者、……泥棒……/性病患者が招かれる」(一九節)。あるいは彼が「地球上のあらゆる住人」に挨拶を送る万人のリストに、「地球上の海賊、盗賊、裏切者、殺人者、奴隷商人」(「こんにちは世界君」一〇節)が加えられる。殺す者と殺される者、無実と罪深さが、まったく無差別に等式化されてしまうこの「デモクラシー」という場には、どこか無道徳主義の趣がある。道徳によって不道徳を排除するのではなく、「ぼく自身」が欲しいのはただひたすらに全体なのだ、「全体を、……全体をこそ、/ぼくは悪の詩も作るし、悪の社会を賛美もする、/……それに本当は悪なんてない」(「ポーマノクからの旅立ち」七節)。
 
存在するというただその一点においてすべての個別に愛着すれば、「いのちの愛撫者」の軌跡がおのずから全体となることは言うまでもない。とすれば全体を求める「ぼく自身」のひたむきな情熱は、個別に宿るいのちにそそぐ愛の証だと言えないこともない。ただ全体への志向は、その全体をエマソンのように切望するにせよ、ポウのように忌避するにせよ、いわゆる 「アメリカ・ルネッサンス」の作家たちに共通のものだ。近代国家をめざして刻々と目まぐるしく変貌しつづけていた当時のアメリカ社会の活力を、彼らはそれぞれの視座から形象化した。ホイットマンとてむろんその例外ではないが、彼が負の価値さえ排除せず、ひたすら全体を求めたそのいちずさには、もしかしたらもっと切実な事情も働いていたのかもしれない。

 D・S・レノルズは近著「ウォルド・ホイットマンのアメリカ」(一九九五年)で、一八四〇年から四一年にかけての冬に、ホイットマンがロングアイランドの漁村サウスホールドで小学校教師をしていた折、生徒だった少年たちとの関係に男色の疑いをかけられ、タールと羽毛まみれの姿で追放されたのではないかと、新しい資料で推測している。もしもこの惨めな体験が事実なら、彼の内向に精神的外傷が残らぬはずはないし、屈辱感と自己嫌悪の激しさも想像できる(「ブルックリンの渡しを渡る」六節参照)。以上のことを念頭において次の詩行を読み直せば、詩人の肉声が聞きとれるかもしれない、「嘲りや辱めが忘れられたらなあ、/流れ落ちる涙や棍棒と鉄槌のあの打撃が忘れられたら、/ぼく自身の受難と血に染まる戴冠が超然と眺められたらなあ」(「ぽく自身の歌」三八節)。
 
さらに家族の問題もある。ホイットマンは八人兄弟(男六人、女二人)の次男だが、「ぼく自身」の詩想とは裏腹に、すこやかな生涯を送った者は少なかった。兄のジェスは梅毒のために精神病院で死に、三男アンドルーは深酒に溺れ、彼の死後その妻は売春婦となり、ホイットマンが愛した妹ハンナは不幸な結婚のため神経衰弱となり、末弟エディーは精神薄弱者だった。
 
家庭のこういう惨憺たる状況にもしもホイットマン自身の屈辱的な体験を重ねるなら、正の価値と負の価値を平等と捉え、「それに本当は悪なんてない」(前出)と言いきる彼の言説が、実はおのれの悲惨な現実を捉え直し、性的傾向も含めて、新しい意味づけを与えようとする自己蘇生的な動機をも宿していたのではないかと考えられる。現に、右の一句にはこんな一行がつづく、「たといあっても悪だって、君やぼくやこの国にとって大切なものだ、ほかのどんなものにも負けないくらい」。

こういう視点から読み直せば、「ぼくはありのままに存在する、それで充分」(「ぼく自身の歌」二〇節)という周知の一行も、ただ元気盛んな自己肯定というだけでなく、負の価値を担った自己を「ほかのどんなものにも負けない」存在として、「ありのままに」肯定しようとしていることになる。そしてそれが可能であるのは、繰り返して言えば、いのちあるすべての存在が奇跡であり、それら無数の奇跡たちに充満するこの世界全体と自分が親密な関係にあるという「認識」のお陰だ。
 
ところが五〇年代後半のどこかでこの「認識」がどうやら衰弱し始める。端的な例が「手鏡」(一八六〇年)だ。わずか十二行の短い詩だが、詩人はもはやかつてのように、わが姿に見とれたり、ありのままの自分に満ち足りるのではなく、それどころか鏡のなかのわが姿を、意地わるく、容赦なく、凝視し、断罪する。彼の変化に彼自身が気づいていることは、結びの一行、「こんな結末がかくも早く──しかもあれだけの発端から」で疑う余地はない。あるいは「おお、このわたし、このいのちよ」(一八六五~六六年)でも、「無為で空虚な」世界のありようについて、いくたびも心に浮かぶ疑問、「このわたし、このいのち」に「いったいどんな取柄があろう」という疑問が投げかけられる。
 
背後の事情は定かでないが、『草の葉』第三版(一八六〇年)で新たに加えられた二つの詩群「アダムの子どもたち」と「カラマス」でも、かつてなかった新しい発想が登場する。たとえば後者の口頭の詩に、「きょうこそは男同士の愛着の歌、ただそれだけを歌いぬこうと思いさだめて、/……僚友の必要を賛えようとも思うのだ」とある。初版のペルソナ「ぼく自身」は、すべてのものが「どれもいい」と放言し、「一つとして見落とさず、/すべてを……吸収してしまう」と、まことに貪婪だった。ところが「カラマス」の「ぼく」は何やら思いつめていて、「男同士の愛着」しか歌うまいと「思いさだめて」いる。目のまえの任意のものを「奇跡」と感じてゆったりと見とれるだけの余裕は彼にはなく、むしろ「必要」に迫られている。
 
かつて「デモクラシー」は目のまえにあり、見ること、聞くこと、味わうこと、あるいは「愛撫」することさえできる、いわば事実としての認識だった。「安らぎ」とひとつづきのこうした「認識」を、森有正氏は「自然そのものが裸で感覚の中に入って来るよろこび」(『木々は光を浴びて』)と表現し、あるいは『バビロンの流れのほとりにて』では、「どんな厖大精緻な神学も、一介の田舎娘の素朴な祈りにかなわない」と、ホイットマンかと見紛うばかりの一句を書きこむに先だって、認識の二つのタイプを次のように区別している、「哲学そのものが無意味というのではない。根本は、哲学が反省だということ……、何かについての説明だということである。世界とものとを前にした精神の直接の運動ではない」。
 
森氏のこういう言い方を借りるなら、第三版における『草の葉』の詩想の変化は、どんな片隅へも動いて、すべての個別を平等に「愛撫」する「精神の直接の運動」から、愛に「ついての」述懐への変化だと言えるかもしれない。世界とのあいだに親密な関係を保証していた認識が揺らげば、かつては経験として与えられていたことが「反省」の対象に変わるのは当然のことだ。そう言えば、「ぼくらがたぶらかせているかもしれず、/ことによると信頼と希望は所詮ただの思いこみで」(「見かけに関する恐ろしい懐疑について」と歌いだされる詩など、初版の世界には無縁だった。


 
 
 
 

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