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山形の農民詩人、星寛治さん、逝く

 全国に先駆けて有機農業を実践し、詩を創作して「農民詩人」と呼ばれた山形県高畠町元和田の星寛治(ほしかんじ)さんが7日夜、心不全のため町内の病院で死去した。88歳だった。
 高畠町で農家の長男として生まれた。米沢興譲館高校を卒業後、農家を継いだ。当初は農薬と化学肥料で収量を増やしたが、農薬を散布すると頭が痛くなり、田から生き物が消えるのを目の当たりにするなど疑問を感じていく。
 1973年、若手農家らと「高畠町有機農業研究会」を設立。耕し、収穫し、おいしいものを消費者と分かち合う喜びを詩にも刻んだ。90年に有機農業の農家らで「たかはた共生塾」を作った。大学生ら若者を対象にした農業体験など交流事業や人材育成を進めた。詩集など著書を数多く出版した。(朝日新聞)

星 寛治 (ほし かんじ)
一九三五年山形県高畠町生まれ。農民・詩人。
五四年就農。農民文学誌「地下水」同人。
七三年高畠町有機農業研究会を創設し、農法改革と生産者消費者提携を推進。七五年町教育委員に就任、八三年より九九年まで委員長を務める。
併せて山形県総合開発審議会など各種委員を歴任。
東京農大客員教授。
主な著書に詩集『滅びない土』エッセイ『農からの発想』『農業新時代』『有機農業の力』『かがやけ、野のいのち』など。

まほろば農学校開校のスピーチ2


   農業の豊かさ再考   星寛治

 みなさん、こんにちは。暑いなか遠いところまでお運び頂きまして、誠にありがとうございます。まほろばの里、高畠町の印象はいかがだったでしょうか。これから十分に、健康に気をつけられ、充実した一週間を過ごして頂きたいと心から願っております。

 さて、本日は、塾長と一緒に最初の講座ということで、若干基本的な事を申し上げようと思います。農の豊かさというものを、改めて考えてみようと思うのです。という感じで、レジュメを準備させて頂きました。かなりはしょった話しになるかと思いますけど、そのレジュメの後に添付しました資料、去年の日本村落研究学会に提示しましたレポート、あるいは一ケ月に一回のペースで、一年間ほど「河北新報」の論壇に書いたもののコピーをそえておりますので、舌足らずの所をお読み取り頂ければと思います。

 今年の夏は、冷夏との予想がありました。しかし、今のところは、必ずしもそういう感じではなくて、極めて順調に作物も生育しておりますので、ここの特産の葡萄とか、お米なんかについても、8月の天候が極端に悪くなければ豊作が期待できるのではないかと思っています。七月三日の夜だと思いますが、菊池良一さんから「うちの田んぼの周りに蛍が大発生したので見にきてくれませんか」という電話を頂いたので、さっそく夕方、お邪魔しました。数年前から、上和田有機米のふるさと、映画「おもひでぽろぽろ」の舞台になったところでありますが、その山間地帯の農村部に螢がぽつぽつとふえ始めまして、とくに稲子川とか砂川の水系の田んぼや用水路に、年をおってふえて来ていたのです。三年ほど前、足立陽子さんが夜、車で走っていて、大きな木全体と周りの木に、クリスマスツリーの様にものすごい数の蛍が点滅していたというのに出会い、呆然と眺めていたという事がありました。それはほとんど語り草のようになって、今でも多くの人々に感動を与えていたのです。

 必ずしもそこまでの場面ではなくても、上和田有機米の村ぐるみの活動が実った、この地域の環境レベルがだいぶ向上してきた、その到達点として蛍がたくさん見られる様になってきていたのです。特にカワニナという蛍の餌になる水生生物、巻き貝の一種なのですが、それが住めるような条件になってきたことから、年々螢がふえてきたということですね。ただそれは、今までは上和田とか北和田という地域に限定されておったんですが、菊池さんが住んでいる下和田にも大発生したということでありますから、これは大事件だと思って駆けつけたんです。

 さっそく菊池さんの息子さん、この人は立教大学のドイツ文学を出て、こちらに移住された新まほろば人なのですが、その方の案内で車で行きました。近い所だったので、なぜ車で行くのか最初わからなかったのですが、無農薬の田圃の脇の農道に車を止めて、ライトを消し、スモールランプだけ点滅させたんです。すると、その車の周りに、辺り一面飛び交ってる蛍が、だんだんと吸い寄せられるように集まってくるんですね。あの、ポカポカポカと点滅するリズムが、蛍の光のりズムと合っているのか、あるいは自分たちの大親分がここにいると錯覚するのか、物凄い数の蛍が次々と集まってきて、しばらくしたら車一面に螢がとまって、イルミネーションのような豆電球で飾ったようになったんですよ。

 もちろん、足元の草むらとか、一面に乱舞しているわけですから、何十匹とか何百匹という単位ではなく、何千匹とか何万匹とかの数の螢が、足立陽子さんの田んぼの方までも群れ飛んでいるんです。その蛍を手に捕ってみますと、私たちの住んでいる上和田の螢よりもやや小さめで、明らかにヘイケボタルだなと判るんです。清流に生息しているカワニナを食べて繁殖している、少し大きめの、しかもピューツとかなり早いスピードで飛び交うのがゲンジボタルだそうです。ですから、同じ高畠町の二井宿の小学校の近くの大滝川あたりで飛び交ってるのは、ゲンジボタルです。

 去年から、高安というところで、ほたるの里作りをアピールして、多くの人々が蛍を見に行ったそうなんです。町でも二十万円ほど地域振興のために援助していて、その成果が実際に現れたということでしょうか。そこも空中散布をやってない非常に良い環境ですから、目立って蛍がふえてきたわけです。アニメの映画監督、高畑勲さんが映画「おもひでぽろぽろ」の取材にこられたときとか、あるいは映画が爆発的な人気を呼んで「おもひでぽろぽろ」現象が全国の若いOLを中心に拡がったときには、残念ながら蛍はまだ戻ってきておりませんでしたが、そのブームがやや下火になった頃、上和田有機米の村おこしの実践がはじまってから四、五年たった頃だったのですが、ぼつぽつと蛍は現れて、いま申し上げたところまでふえてきたということなんですね。

 ついこの間、沖縄から二人のお客さんがまいりました。小山重郎さんとおっしゃって、元農林水産省の技官をやっておられた理学博士で、隣の米沢市の出身で私より二つ位年上の方です。奥さんと一緒においでになりました。戦時中、空襲を避けて和田小学校に疎開してきて、保科さんというお医者さんをやっていた方の所から学校に通っていたそうです。その古い家がそのまま残っておったので案内しました。でも、小山さんご夫妻が高畠においでになった目的は、そういうセンチメンタルジャーニーではなく、専門の水稲、稲の昆虫、水田に生息している昆虫を詳しく調ベたいということでやってこられたのです。私が「かがやけ野のいのち」という中学生向けの本を、筑摩書房から出したときの編集者と一緒に小山さんはいらっしゃったのですが、二年ほど前に小山さんもまた筑摩書房から「甦れ、がにーの島」という本を出されております。

小山さんは、沖縄に赴任していたとき、「ミカンコバエ」というみかん栽培に非常に厄介な害虫を、生態的な方法によってほとんど絶滅させた人で、そのことによって安心してみかん栽培ができるようになったという沖縄県民にとっては、恩人みたいな人なんですね。東北出身の人ですが、定年退官後には、いちばん大きな仕事をされた沖縄に定住を決意して、現在その地に住んでおられます。専門家ですから、昆虫採集の目の細かい網を二つ持って来られました。まずタニシが、十何年前から目立って出て来ている私の田圃で採集してもらいました。その次に、有機農業に切り替えて二十年くらい経つ田圃で、しかも三年前から鯉を放して除草している田圃の昆虫も採集してもらい、さらには隣接している家の田圃も比較するために採っていかれました。最後に、二十五年前、一番最初に無農薬栽培に切り替えた田圃の昆虫も採集されました。

 実は、この二十五年経った田圃が、今年は惨憺たる状態でして、それはイネミズゾウムシという害虫がこの田圃で大繁殖してしまった。このイネミズゾウムシという昆虫は、外国から飼料穀物に混じって日本に侵入して、いまや山形県全域の水田地帯に爆発的に拡がってしまった害虫です。それとドロオイムシの被害、そのダブルパンチを受けてしまったのです。イネミズゾウムシは実に厄介な害虫でして、最初は、田植えした直後のはっぱを食い荒らし、その後、稲の根っこに卵を産みまして、その卵がふ化して幼虫になると根っこの部分をどんどん食い荒らす。稲の根っこは新しい根を生やすんですが、それを片っ端から食うもんですから、稲の成長がストップしてしまう。この二十五年たった私にとって記念碑的な田圃では、真っ白な状態で、今もって緑を回復できないでいる。そんな状態でも、なんとか二俵くらい取れるのではないかと思っているのですが、しかしそれでも大変な痛手です。

 昭和五十一年、有機栽培に切り替えて三年目で、見事冷害を乗り越えた伝説の田圃なのです。イネミズゾウムシが侵入するまでは、ほとんどコンスタントに十俵くらい取れておった田圃です。二十五年目にしてたいへん分厚い壁にぶつかってしまったということです。周りに上和田有機米の田んぼもありますが、除草剤一回使ったり、あるいは苗代の段階で、苗箱に予防のための薬剤をセットする方法で本田に田植えするので、案外すくすく育っています。ところが私の田圃は、虫にとっての安全地帯というか真空地帯であり、もともと昆虫の密度が多いところなのですが、このイネミズゾウムシは、私の田圃で爆発的に拡がってしまったということなのです。

 ところが小山重郎さんが昆虫を採集して驚いたんですね。他の田圃と比べるとき、この二十五年の、いわば元祖有機栽培みたいなところの田圃に生息する生物の圧倒的な豊かさ。こんなにも昆虫の種類と密度がちがうのかと、われわれ素人の目でも驚くほど小さな生物が生息していたのです。クモとか害虫を食べる益虫も実に多く採集されました。しかしながらイネミズノウムシは、つぶしてもつぶしてもつぶれない頑丈な虫でして、かなり強い農薬でないと退治できないものですから、天敵とのバランスが崩れてしまい、今のような状態になってしまったということです。これを来年以降どうやって克服していくか、頭痛の種なんであります。

 そこに(民俗資料館の玄関前)ネットを張ってる田圃がありますが、大西聡さんの田圃です。アイガモを放してます。河原さんも三、四年前からアイガモを放していまして、除草を手伝ってもらってるんですが、そのアイガモはイネミズゾウムシやドロオイムシも捕って食べるということですね。河原さん、いかかでしょうか、実際食べているものですか? あ、そうですか、そういうかたちでアイガモを放せば、なんとか復活することができるのかなと思ったりもしています。

 いま申し上げた例は、私たち日本人の抱いている原風景といいますか、農村景観が持っている底深い命の源泉みたいなものだったと思うんです。螢にしても、赤とんぼにしても、あるいは今盛んに果樹園で大合唱していますセミにしても、私たちが子どもだった頃、どこの農村に行ってもそういうものに出会うことができたんですね。ところが近代農業が広がって三十数年経つのですが、その間にほとんど沈黙の世界に変わってしまった。しかしこれではいけないと目覚めた人たちが、原点に返る道を踏み出し、ちょうど四半世紀経った今日、まだ部分的ではありますが、蛍が乱舞するところまで回復できたということです。小山さんは今度の調査の結果をまとめた上で、誰でも分かり易い本を出したいと言ってますので期待してるところです。

 今は二十世紀末のまさに混沌とした暗がりの中に生きておりまして、世紀末とはこういうものだったのかと改めて実感するような、先が見えない言わば「カオス」の中にほうり込まれているような感じです。しかし、一言でいえば、最も暗い部分「生命」そのものが危険にさらされている、そのことに他ならないですね。その暗がりの中に、いろいろな形で明かりが灯り始めてまいりました。最初は有機の里の螢ほどの小さな点滅でしかなかったのですが、最近になってその明かりが提灯くらいの大きさと明るさに成長したのではないかなと思っています。

 浜田広介の童話の中に「たぬきのちょうちん」という作品があるんですけど、若い人に提灯と言ってもほとんどわからないと思いますが、電気が普及しなかった時代には大変大事な照明の手段だったんですね。しかし、それは昼間の様に明るいというのではなくて、ぼんやりとした足元を照らすことができるくらいの明るさでありましたし、それで十分だったんです。今、途方もない暗がりの中に地球上いたるところに提灯の明かりが灯り始めて来て、それを私たちは新しい世紀に始まるであろう文明の予感として受け止めようとしてるんですね。

 ですから二十一世紀を、ばら色の世紀でもないかわりに絶望の世紀でもない、暗がりの中からほのかに明かりが見え始めた時代、それを本当に明るく爽やかな風が吹くような世界をどのようにして我々の力で作り上げて行くかというのが、大変大きなテーマであろうと思います。その提灯の明かりは具体的に言いますと、いろんな分野で、いろんな世界で、誰に頼まれた訳ではなくて、そこに住んでる人々が自らの判断で、自らの力で展開している市民運動、あるいは平和とか民主主義を何よりも強く求めていく運動とか、ボランティア活動とか、あるいは私どもの有機農業運動とかに見出すことができます。それぞれの条件の中で、自立した仲間たちが住み良い町づくりをやろう、村づくりをやろうという、地域づくりの運動とか、いずれも経済行為とは縁もゆかりも無い非営利住民活動と言われる、そういう運動なんですね。

 これは世界を視野に収めた場合、NGO(非政府組織)の運動と言われています。つまり国家が主導権を取って進めて行くようなあり方とはそのよって立つ基盤が違う、つまり非政府の組織の運動ということになりますね。本来、農協とか生協などの協同組合運動などもNGO運動の一環として位置づけられておる訳です。「たかはた共生塾」が十年近く前から地道にやってまいりました、行政がお膳立てする学習とは違う、全く手づくりの自前の学習活動なんかもNGOの一つに数えられるだろうと私たちは思ってる訳なんです。

 今、子供たちの内面世界に大人が、ちょっと伺い知ることのできない暗い部分と言いますか、理解できないような世界が広がりつつあるというのが、我々にとっても最も心配であります。そのエスカレートした典型的な事例が先日、日本を震憾させました神戸市須磨区における小学生の殺害事件だと思います。その加害者が十四歳の少年ということで背筋が凍るような思いをさせられたわけなんですが、あの直後に小杉文部大臣が「心の教育をこれからは大事にしなければいけない」という談話を発表しました。

 今から数年前に、山形県の新庄市の明倫中学というところで、校内でいじめの事件が起こりまして、それを深刻に受け止めた山形県民、とりわけ教育関係者は一体となって次の時代の模索を始めてたんです。そして山形県は『第四次教育振興の計画』の中に「感性豊かな教育と文化の創造」ということを柱といたしました。小杉文部大臣がいみじくもこのたび発言した「心の教育」というのを、何より優先して進めて行こうということで何年間か取り組んで来た経緯があります。

 今年に入ってご存知のように中央教育審議会は、第十五期中教審の答申を出しましたけれども、その中で「生きる力」というものを子供たちにつける。全ての子供たちが、ゆとりの中で生きる力を養っていくと言う事が、これから二十一世紀に向けての教育の中心的なテーマであるという風にはっきりと打ち出しました。「生きる力」とは一体どういうものなのかについて、私も何回も答申の文言を読んでいるんですが、かなり抽象的で判然としません。そこでは、子供たちが自ら学ぶ力を身に付け、自立的な判断力を持って自己実現を図り、公正な社会作りに取り組んでいく能力を育み、個性とか創造力を伸ばして行くというような事を挙げています。

 しかし、私は二十一世紀を生き抜く力の根元は何かと問われた場合、それは前から考えておったんですが、何よりも食べ物を産み出す力というものを子供たちにつけなければいけないという一点に尽きると思うんですね。何故かと言いますと二十一世紀はほんのりと提灯の明かりが灯り始めましたけれど、人口がどんどんと爆発して行って、今から三十年後の2025年辺りには世界人口は大体85億人になり、2050年には100億に達するという国際的な調査が、国連とか、レス夕一・ブラウン博士のワールドウオッチ研究所の未来予測の中の結果で出てるんですね。二十二世紀の初めには200億人に達するだろうというそういう線を描いてるんです。

 しかしながら、私たちは決してそんな風にはなるまいと思ってるんです。何故かと言いますと、人間に限らず生き物は、食べ物の範囲内でしか生きられない厳然たる事実がありますね。人口爆発に伴って地球上の食料生産がどんどんと伸びていくのであれば、それは今のような予測が的中するでしょうが、現実に人口が猛烈に爆発していくのに、食料生産は地球全体を限りなく環境破壊に追い込んだ人間活動の結果として、どんどんと下降線を辿ってるんですね。残念ながらかつて「緑の革命」と言われた革命的な技術や、ハイテクが進んだとしても、圧倒的な飢餓をまかなうだけの食料は恐らく生産されないだろうという見通しがはっきりしてると思うんですよ。現実に今、地球上に8億4000万という人が栄養失調に苦しみ、飢えに悩んでるんですね。

 昨年の11月13日から4日間にわたって、ローマで世界中の元首クラスの人々が集まって世界食糧サミットが開かれました。ところが日本の橋本総理はそれに参加しませんでした。各国の大統領とか首相クラスがみんな集まっているのに、我が国の首相はどういう事情があったのか出なかった。代わりに農林水産大臣が出ましたけれど。その四日間の論議の中で『ローマ宣言』というのが採決されました。そこでの「全ての人々に食料を」というスローガンは、食は人間が生きる権利であり、本当に必要な食べ物を自ら手にすることを普遍的な「人権」として位置づけていこうという思想なんであります。

 それに合わせて、この地球上から飢餓を撲滅するための行動計画というものが作成されたのですが、二十年後をにらんだその行動計画も、飢餓の撲滅までは至ってないのです。いま八億人の飢餓人口を半分の4億人に減らすという極めてささやかな計画しか打ち立てられないのが実態なのですね。しかしながら私は、その四億人減らすことでさえ至難の業だと思っています。むしろ、飢餓人口は、八億人からさらに十数億人へと年を追ってふえていくだろうと思うのです。

 首相が参加しなかった我が国の食料自給率は、みなさんご存知のように惨憺たるもんですね。穀物自給率はわずか30パーセントですが、それもまもなく割り込もうとしていますし、カロリーべ一スではいつでも46パーセントです。穀物でいえば、胃袋の三分の二は外国に完全に預けていて、カロリーべースでも半分以上は輸入物でまかなっている。こんな状態が続いていったら、百姓やってる人は自給できますが、圧倒大多数の日本国民は、100%外国から輸入した食料によって生活せざるをえないということになる。

 今、新食糧法が制定されて、「作る自由、売る自由」ということが声高に叫ばれています。「売る自由」はそれこそ流通資本とかありとあらゆる人々によって進展しましたけれども、残念ながら「作る自由」の方は農林課長補佐が言いましたように、厳しい減反の割り当てが年々加算されていく。ですから政府の謳い文句とは裏腹に、作れる状態でも作れない条件にしていくような国策が、公然と進行しています。しかも自主流通米の相場が思い切って暴落しつつあります。さきほど農協の代表理事が「JAおきたま」は、約130万俵の集荷能力を持ってると胸張ったのですが、その130万俵のかなりの部分が倉庫の中に眠っておるだろうし、それを新米の出盛り期前に売りさばくのは、至難の業です。新米が出荷される時に、はたしてそれをどこに収めるだろうか。今から心配しています。

 西南暖地では、早場米の出荷がすでに始まってるんですね。高知県とか宮崎県あたりから出荷された米は、前年比で八・三%くらい暴落してます。一万八千円位の早場米の相場ですね。ですからいわゆる市場原理に一番大事な命の糧を委ねてしまう事は、いかに不安定な社会的要因を国の中に作り出すかということ、それは生産者にとってもそうですし、圧倒的多数の国民にとってもそうだと思うんです。

 もう一つ心配な事があります。それは量の問題と同時に質的にも日本は今、まさに危機にさらされていると思うんですね。飽食に明け暮れて、残飯の山を築いているのですが、その食べ物の質ということを点検していくと、ほとんど外国から輸入されたものは農薬まみれです。ポストハーベスト、つまり収穫された後に数回の農薬をそこにふりかけながら、日本の港に運ばれ荷揚げされているわけです。最近はまた遺伝子組み替えの大豆とか、麦とか、トウモロコシとか、菜種とかいうのが大量に作られておって、日本にも表示無しでどんどん入ってきてるんですね。

 日本型食事が世界から注目されていて、長寿食と言われてるんですが、お米と同時に、非常に豊かな機能を果たしているものに大豆の加工品がありますね。味噌汁とか豆腐とか納豆とか、さまざまな調味料とかですね、そういうものの原料になる大豆は、みなさん国内でどのくらい自給されてると思いますか? 何十%だとお思いでしょうか? 政府が公式に出してるデータによりますと、わずか二%です。九十八%は外国から輸入されてるものです。それは北米大陸とか中国でしたが、中国は人口爆発のため禁輸になりました。外国に出す余力はないということです。米パニックがあった時、日本に出してくれたあの時が最後だったと思います。

 ところが北米大陸で大規模に作られている穀物は、遺伝子組み替えという操作によって、例えば大豆畑で厄介な雑草を除草剤で退治することができます。今までは除草剤まくと大豆まで枯れておったんですが、遺伝子組み替えによって作られた大豆は、その除草剤をまいても健在なんです。その他の雑草は全部刈れてしまうのですが。あるいはトウモロコシや菜種なんですけど、除草剤耐性でなくて殺虫耐性と言いますか、例えば私の田圃をやっつけてるような虫がトウモロコシや菜種の畑にやってきて食べますとコロッと死んでしまう。食べることによって昆虫が全部死んでしまうという品種が開発されて、それが大面積栽培されてるんですね。それが厚生省も農水省も表示を義務付けてませんので、「これは遺伝子組み替えにより作った食品です」と表示されないままみんな店頭に並んでるんです。あるいは自然食の店にも並んでるかもしれません。





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