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自分の背中の殻には悲しみが一杯つまっている

美智子皇后陛下基調講演
子供の本を通しての平和──子供時代の読書の思い出

 
ジャファ夫人、デアルデン夫人、IBBYの皆様。
第二十六回国際児童図書評議会(IBBY)ニューデリー大会の開催に当たり、思いがけず基調講演者としてお招きを受けました。残念なことに、直接会議に参加することが出来ず、このような形でお話をさせて頂くことになりましたが、遠く日本より、この度のニューデリー大会の開催をお祝いし、御招待に対し厚くお礼を申し上げます。
 
大会の行われている印度の国に、私は沢山の懐かしい思い出を持っています。一九六〇年、当時皇太子でいらした天皇陛下と共に印度を訪れた時、私は二十六歳で、生後九ヶ月になる一児の若い母であり、その十三年前、長い希望の年月を経て独立を果たした印度は、プラサド大統領、ラダクリシュナン副大統領、ネルー首相の時代でした。この方々のお話――自由と民主主義、平和への思い――を、心深く伺った日々、又、人々の歓迎に包まれて、カルカッタ、ニューデリー、ボンベイ、アグラ、ブダガヤ、パトナを旅した日々のことを、今懐かしく思い出しつつ、印度国際児童図書評議会によりとり行われる今大会の御成功を、心からお祈りいたします。
 
大会のテーマである「子供の本を通しての平和」につき、私にどのようなお話が出来るでしょうか。今から三年前、一九九五年三月に、IBBYの印度支部会長、ジャファ夫人のお手紙を受けとったその日から、私は何回となく、この事を自分に問いかけて来ました。
 
私は、多くの方々と同じく、今日まで本から多くの恩恵を受けてまいりました。子供の頃は遊びの一環として子供の本を楽しみ、成人してからは大人の本を、そして数は多くはないのですが、ひき続き子供の本を楽しんでいます。結婚後三人の子供に恵まれ、かつて愛読した児童文学を、再び子供と共に読み返す喜びを与えられると共に、新しい時代の児童文学を知る喜びも与えられたことは、誠に幸運なことでした。
 
もし子供を持たなかったなら、私は赤ずきんやアルプスのハイジ、モーグリ少年の住んだジャングルについては知っていても、森の中で動物たちと隠れん坊をするエッツの男の子とも、レオ・レオーニの「あおくん」や「きいろちゃん」とも巡り会うことは出来なかったかもしれないし、バートンの「ちいさいおうち」の歴史を知ることもなかったかもしれません。トールキンやC・S・ルイス、ローズマリー・サトクリフ、フィリッパ・ピアス等の名も、すでに子供たちの母となってから知りました。しかし、先にも述べたように、私はあくまでごく限られた数の本しか目を通しておらず、研究者、専門家としての視点からお話をする力は持ちません。又、児童文学と平和という今回の主題に関しても、私は非常に間接的にしか、この二つを結びつけることが出来ないのではないかと案じています。
 
児童文学と平和とは、必ずしも直線的に結びついているものではないでしょう。又、云うまでもなく一冊、又は数冊の本が、平和への扉を開ける鍵であるというようなことも、あり得ません。今日、この席で、もし私に出来ることが何かあるとすれば、それは自分の子供時代の読書経験をふり返り、自分の中に、その後の自分の考え方、感じ方の「芽」になるようなものを残したと思われる何冊かの本を思い出し、それにつきお話をしてみることではないかと思います。そして、わずかであれ、それを今大会の主題である、「平和」という脈絡の中に置いて考えてみることができればと願っています。
 
生まれて以来、人は自分と周囲との間に、一つ一つ橋をかけ、人とも、物ともつながりを深め、それを自分の世界として生きています。この橋がかからなかったり、かけても橋としての機能を果たさなかったり、時として橋をかける意志を失った時、人は孤立し、平和を失います。この橋は外に向かうだけでなく、内にも向かい、自分と自分自身との間にも絶えずかけ続けられ、本当の自分を発見し、自己の確立をうながしていくように思います。
 
私の子供の時代は、戦争による疎開生活をはさみながらも、年長者の手に護られた、比較的平穏なものであったと思います。そのような中でも、度重なる生活環境の変化は、子供には負担であり、私は時に周囲との関係に不安を覚えたり、なかなか折り合いのつかない自分自身との関係に、疲れてしまったりしていたことを覚えています。
 
そのような時、何冊かの本が身近にあったことが、どんなに自分を楽しませ、励まし、個々の問題を解かないまでも、自分を歩き続けさせてくれたか。私の限られた経験が、果たして何かのお役に立つものかと心配ですが、思い出すままにお話をしてみたいと思います。
 
まだ小さな子供であった時に、一匹のでんでん虫の話を聞かせてもらったことがありました。不確かな記憶ですので、今、恐らくはそのお話の元はこれではないかと思われる、新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」にそってお話いたします。そのでんでん虫は、ある日突然、自分の背中の殻に、悲しみが一杯つまっていることに気付き、友達を訪ね、もう生きていけないのではないか、と自分の背負っている不幸を話します。友達のでんでん虫は、それはあなただけではない、私の背中の殻にも、悲しみは一杯つまっている、と答えます。小さなでんでん虫は、別の友達、又別の友達と訪ねて行き、同じことを話すのですが、どの友達からも返って来る答は同じでした。そして、でんでん虫はやっと、悲しみは誰でも持っているのだ、ということに気付きます。自分だけではないのだ。私は、私の悲しみをこらえていかなければならない。この話は、このでんでん虫が、もうなげくのをやめたところで終っています。
 
あの頃、私は幾つくらいだったのでしょう。母や、母の父である祖父、叔父や叔母たちが本を読んだり、お話をしてくれたのは、私が小学校の二年くらいまででしたから、四歳から七歳くらいまでの間であったと思います。その頃、私はまだ大きな悲しみというものを知りませんでした。だからでしょう。最後になげくのをやめた、と知った時、簡単にああよかった、と思いました。それだけのことで、特にこのことにつき、じっと思いをめぐらせたということでもなかったのです。
 
しかし、この話は、その後何度となく、思いがけない時に私の記憶に甦って来ました。殻一杯になる程の悲しみということと、ある日突然そのことに気付き、もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが、私の記憶に刻みこまれていたのでしょう。少し大きくなると、はじめて聞いた時のように、「ああよかった」だけでは済まされなくなりました。生きていくということは、楽なことではないのだという、何とはない不安を感じることもありました。それでも、私は、この話が決して嫌いではありませんでした。



 
 

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