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煙草事件

 だんだん団員の数が多くなってくると児童館で活動することが、どうも窮屈になりはじめていた。子供たちの動きははげしくて大きいのだ。そんな子供たちをもっと広い場所に解放してあげたいと思うのだ。それと児童館に近所の人から苦情がくるようになっていたこともあった。土曜日の夜、子供たちがふざけたり、かけまわったり、大声をあげたりするのが家のなかまでがんがん響いてきてたえられないと。これは騒音公害であり、以前のように児童館は五時に閉館すべきだといった抗議も届けられた。
 そんなこともあって弘は前から計画していたことだったが、その活動の拠点をそろそろ学校の体育館に移動しなければと思ったのだ。そこで新学期がはじまった九月に、子供団の父母会の役員をしている徳子と一緒に小学校の校長室をたずねた。校長はなんだか愛想よく弘たちに椅子をすすめると、
「いや、あなたの活動は前から私も注目していたのですよ」
 といった。校長は樫の木子供団のことをよく知っているようだった。
「それはうれしいですね」
「とにかくいまの子供たちは、遊ぶことから疎外されていますからね、遊ぶということはとにかく大事なことです、遊びのなかで人間らしさというものを子供たちは学んでいくわけですからね、それと地域のなかでしっかりと父母たちに見守られて育っていく、地域の人々の連帯のなかで子供たちは育っていく、これは実に大切なことですね、あなたたちの活動は失われたものを復元しようとする一つの実験でもあるのでしょうね」
「いや、ほんとうにそうなんです、そこまでみていただいてうれしく思います」
 そこで弘は子供たちがつくった新聞などをみせながら、団員の数もふえ児童館では手狭になったので、そろそろ体育館という大きな場で活動させたいといった。
 すると校長は好意的な表情をつくって、
「いま夜の活動は、お母さんたちのバレークラブと、社会教育活動のトリムと、それにバトミントンクラブが入っていますがね」
「土曜日はあいていると聞きましたが」
「あいていますよ、申請を出せば許可になるでしょう」
「明日にでも申請します、そうするといつごろから体育館で活動ができるようになるのでしょうか」
「いまからですと十月から使用できると思いますがね」
 と好意的で間違いなく体育館を使えるという感触だった。
 ところがすんなりといくその話が急激に怪しくなっていった。毎月一度、子供団活動の運営委員会があるのだが、九月の例会がおこなわれている居酒屋に遅れて入っていくと、なんだかその場の雰囲気がいつもとちがっているのだ。その会の顔ぶれはいつもきまっているのに、めったに顔をみせない人まできていて、座敷のテーブルをぐるりと囲んでいる。なにやら真剣な話がかわされているようで、じろりと弘に向けられた父母たちの視線も、どこかきびしさをたたえている。
 そのとき俊一の父親が発言していた。
「うちの女房などかんかんでしてね、そんな悪いことを教える子供団なんてすぐにやめさせるっていうんですよ、まさかと思いましたよ、最初のうちは信じられませんでしたね、しかし俊一にたずねると本当だと言うし、博君に訊いても本当だというしね、なんだかあのキャンプでは全員がやったらしいですな、みんながやらなければならないという雰囲気になってね、吸わなければ男じゃないという雰囲気ね、これは問題ですよ」
 弘は徳子の傍らに座ったのだが、その徳子がその時の会話の経過を説明するかのように、
「いま煙草のことが問題になっているのよ」
「ああ、そうですか」
 夏のキャンプで子供たちが煙草を吸った。もちろん弘は知っていた。しかし彼のなかでそれはもう整理されていることだった。それはたいした問題ではなく、こんなふうにめくじらたてて言い合うことではないというのが弘の結論だった。ところが父母たちはちがっていた。彼らにとってそのことは大問題なのだ。
 父母たちはその怒りをなにやら弘にぶつけるように、
「なんでもあの三年生の大地が、セブンスターを三本もすったというじゃないですか、小学校三年生がですよ」
「ある子なんて、セブンスターとヨウモクを買ってきて、どっちがうまいか吸いくらべをしたとかね」
「それはひどいわ、蔵田さんのお母さんなんて、もう来年のキャンプにいかせないといってましたよ」
「あのキャンプのあと、ずいぶん子供が悪くなって、いうことを全然きかなくなったって嘆くお母さんがいっぱいいるのよね」
「うちの子もそうなの、約束は平気で破る、宿題はしない、塾はよくさぼる、言葉づかいが乱暴になる、なんだか人が変わったみたいに素直でなくなって、親に反抗ばかりするんですよ」
「子供団の評判は悪くなる一方ですね、もともとあんまりいい評判ではありませんでしたけど、そのへんところはどうなんですか」
 と野上が弘にふってきた。
「でも先生はなにも知らなかったんでしょう?」
「まあ、それは………」
「望月先生は知っていたとうちの子はいいましたよ、むしろ望月先生がお前も吸ってみろってあおったって」
「そうなんですか、弘さん?」
「いや、それは………」
「どうなんですか、そこのところは」
 弘はまた「いや、それは………」といって言葉を濁した。自分でも情けなくなるほど煮えきらないのだった。弘は子供たちが煙草を吸うことを許したこともないし、まして吸えなどとあおるわけがない。事実、弘の目の前で煙草を吸う子供なんかいなかったし、弘はそのキャンプ中に煙草を吸っている子をただの一度も目撃したことはなかった。もし見つけたらすぐに注意しただろう。
 しかし問題は煙草にたいする弘の姿勢だった。彼はどうもそのことを黙認しているようなところがあったのだ。子供たちがそのキャンプで煙草を吸おうと企んでいることは知っていた。彼らはその企みをどきどきわくわくさせながらひそかに進行させていることも知っていた。それはなるほど彼らを興奮させる冒険の一種かもしれなかった。大人だけに許されている禁断の行為に挑戦するのだから。
 それもまた子供たちが成長していくとき、避けて通ることができないことだった。解放された子供の基地をつくるということは、そんな企みもまた体験できるような場が必要ではないのか。むしろそういう自由な場がなければ子供基地などといえないのではないか。彼はそう考えていたのだ。だから煙草の噂が耳にはいるたびに、弘は口ではそんなことは駄目だよといったり、煙草を発見したら全部没収だからねといったり、罰ゲームが悲滲だからねといったりした。
 しかしまたこういう言い方をしたのも事実だった。もし吸うんだったらぜったいにお父さんやお母さんにみつからないでやってくれよな、と。それは子供たちの側からすれば、弘は煙草を吸うことを許可していると受けとっても仕方がないことだった。
 だから弘はちょっと熱くなっている父母の前で、
「いえ、それは、ぼくが吸ってみろなんていうわけがありません、ただ……」
「ただ、なんですか」
「いえ、ですから、ぼくもその問題の結論ははっきりしています、子供たちが煙草を吸うなんてよくないにきまっています、ぼくも煙草はきらいです、煙草を吸っている人をみると、よくまあ他人に迷惑をかけて平気で吸えるものだなと思うぐらいで……」
 そう切り出したが、しかしちょっとあわてていまはちがいますよとさかんに煙草をくゆらしている父母のために訂正したが、だれも笑わなかった。そんな冗談も通らないほどその場の雰囲気はきびしかった。
「ただ……?」
「ええ、ただ、そのことがそんなに問題になるのだろうかと」
 といったが、またあわててそれは以上のことを話してはならないと、それはもちろん断じて許されないことですといった。もしその席で彼の本心を語ってしまったら、大変な騒動になることは目にみえているのだ。もし彼の本心の一部でも語ったら、たちまちこの席にいる半分のお父さんやお母さんたちは、即座に子供たちを退団させるかもしれなかった。だからその問題に関しては、あいまいにぼかすような表現しかできなかった。
 しかし子供たちの生活態度が、キャンプのあとに急に悪くなったという話題には強い言葉で反撃するのだった。
「それは子供が悪くなったのではなく、成長したことの証じゃないかと思うんですよ、子供たちは何度も脱皮して大人になっていくわけですからね、その脱皮の場面に直面したということじゃないんでしょうか、子供たちは反抗の季節を経て少年になり青年になっていく、自我というものをつくりはじめる、それは大人に対する反乱と反抗という姿勢のなかでできていくものです、いままで彼らは平穏な、いってみればぬるま湯のような世界のなかで生きてきた。
 それがいきなりたくさんのお兄さんやお姉さんたちのなかで生活して、いろんな意味ではげしいショックを受けた、それは彼らにとって、いままでの人生観が変わるほどの衝撃だったはずですよ、そういう体験をしたわけですから子供たちの態度がかわっても少しもおかしくないんですよ、その変化を悪くなったととらえるのではなく、ようやく反抗の季節をむかえるようになった、子供から少年に変化していくその過渡期にぶつかったのだというふうにみるべきだとぼくは思うのですけどね」
 しかしいくら弘が熱弁をふるっても、父母たちにはわからないようだった。彼らにとって、いい子とは親のいうことをきちんときく子であり、親のいう通りに動いていく子がいい子なのだった。そんないい子たちを悪い子にしてしまった子供団のキャンプとは、悪をつくりだす場だということになるのか。
 結局その問題も、話せば話すほど意見の相違があらわになっていくばかりだった。あとに残るのは深い疲労だった。弘はどんなことも心の深いところで受けとめる。そしてぐずぐずといつまでもそのことにこだわりつづける。その夜はとうとう空がしらじらと明けるまで眠りにつけなかった。
 そんなストレスやら不満がたまるといつも長太に会いたくなる。その日もまた児童館を抜け出して長太の塾にいった。自転車を飛ばせば五、六分の距離なのだ。
「本音を話すことができないってつらいことだよ、本音を話せばあの父母会はめちゃくちゃになってしまうからね」
「そうかな、そんなものなのかな、弘さんはしきりに父母会をたたえていたじゃないか、ぼくは大いに反省して、ぼくもまた父母会をつくろうって思ったぐらいだから」
「すごく疲れるんだな、あの人たちの話しをきいていると、今度の煙草事件だって、もしぼくの本音をぶつけたら、それこそあっという間に子供団なんてつぶれると思うね、どうもこの問題は、長さんにも責任があるように思えたりするんだがね」
「それって、どういうこと?」
「この問題は長さんの影響をもろに受けているからだよ、いつかいってたじゃないか、夏の合宿で煙草をすいたいという子供たちを集めて、だれが一番格好よく煙草を吸うかのコンテストをやったって」
「うん、毎年そんなことをしているよ」
「それをきいてなるほどと思ったよ、避けて通れないものは、むしろ思いっきりやらせてしまうのも一つの手だなって」
「それはまったくそうなんだ、どんなに強く禁止しても、すうやつはどこかに隠れてすうにきまっている、巧妙に陰湿にね、だから最初から吸わしてしまう、子供って本質的に煙草なんてきらいなんだ、体質的に受けつけないんだよ、もちろんすう子はだらだらとすってるけれど、でもそのことばかりに注意をとられていたら、合宿の本質を見失ってしまうからね」
「そうなんだ、どうもその本質とやらが、どこかにいってしまうんだね、煙草煙草なんて大騒ぎするけど、もっと大事なことがいっぱい横たわっているわけだからね、その問題を話しているとき、大人はぷかぷかぱかぱか煙草を吸いながらやっている、それもずいぶんおかしな話だよ」
「まったくおかしな話だ」
「しかし、ぼくがもう一歩その問題に踏みこむことをためらわれたのは、もう一つちょっといやな噂を耳にしたからなんだ、たぶんこの話は父母のほとんどは知らないことだけど、しかしこれがあらわになるとちょっとやばいと思ったんだ」
「ずいぶん意味深長だね」
「うん、三年生にちょっとひょうきんな子がいるんだよ、かわいくてね。なんでもその子が、同じ斑にいる高学年の子にいたずらされたというんだ、パンツを脱がされて、おちんちんにマジックで書かれたり、お尻にテッシュをつめられたり」
「ふうん」
「そのことがもっと問題でね、その話をきいたとき、なにかぐわんと背後からなぐられたような気分になったんだ、これはちょっとやばいなって」
「子供たちの世界をつくると当然でてくる問題だ」
「そうなのかな」
「そうさ、彼らの最大の関心は性なんだ、子供たちの解放区といったものをつくったら、まずその問題がまぎれこんでくる、ぼくのところの合宿でも、子供たちのたまり場はピンク雑誌がごそっと隠されている、きわどいマンガ、写真雑誌、アダルトビデオの雑誌とか、それは男の子だけじゃなくて、女の子もまったく同じだよ」
「雑誌ぐらいならいいけど、パンツを脱がしたとなると……」
「しかしそれは避けて通ることができない問題だと思うね、子供の解放区をつくろうとすると」
「そうかな」
「子供たちの世界があるわけだよね、その世界に大人はまったく干渉しないとする、たとえばそこでお医者さんごっこをはじめたりすることだってあるかもしれないよ」
「そうか」
「あるいは中学生になると、もうはっきりと性を意識するからね、手をつないだり、抱きあったり、キスしたり、なかにはもうはっきりと性的な関係をつくろうとするかもしれないんだ、そこまでいったって少しも不思議ではない」
 うーんと弘はうなるばかりだった。子供の自主性、子供の解放区、子供たちがつくる子供たちの世界。そんな甘い言葉の背後には、そういう重い問題が横たわっているということに、あらためて弘は圧倒されるのだった。
 それにしても弘はいつもながら長太が自分よりも一歩も二歩も先を歩いていることに驚くのだった。きっと長太もまたそれらのことにさんざん苦しめられてきたにちがいなかった。さらに長太はいった。
「子供団を一種の子供たちの解放区にしようとするのだったら、学校や教育ママのようなやり方をすべきじゃないと思うんだね、禁止することなんて簡単なんだ、しかしそれじゃあ管理された学校と同じで、おおい隠すというだけのことになる、子供たちの最大の関心である性というものをおおい隠すということは、結局、子供たちの魂というものを隠蔽してしまうということだからね」
「そうだね、それだったら意味がなくなるよね、しかしだからといってパンツを脱がして性的な遊びに向かうとなると……」
「でもそれをおそれずに、弘さんは子供の解放区をつくろうと思ってるわけだろう、だったら学校のように禁止や管理でしばってはいけないと思うよ、ぼくの塾の合宿なんて、教育ママがみたらもうあきれ果ててものがいえなくなるだろうけれど、しかしそれでも別に大きな問題が生れるわけではないんだ」
「そうなのか?」
「それはどうしてかというと、子供たちの内部には向上しようとする力とか、あるいは汚れたものいやらしいものを潔癖に嫌う力とか、堕落やら腐敗から立ち直ろうとする自浄作用というものがちゃんとあるんだ。もう三年前になるけど、ある男の子が女の子のはいているパンティをみて、今日もまたブルーかよ、お前、昨日もそうだったろうっていったんだ、そのことが女の子たちのはげしい怒りをかって、その男の子は女の子たちの部屋によばれて猛烈な吊るし上げにあった、どうして女の子のパンティなんかのぞくのよとか、どうして人を傷つけるようなことをいうのよとかね」
「ふうん」
「ぼくはそこで思ったんだ、やっぱり子供たちを信じるべきだと、自浄作用というもの、あるいは堕落から立ち直る力というものをしっかりと彼らのなかに感じていたら、そのパンツ脱がせ事件もたいした問題じゃないと思うね」
「そうなんだな」
 弘は長太と話しているといつも迷いが吹っ切れていくのだ。長太はもうその問題は終わったとばかりに話しを変えてきた。
「あのさ、あの例の話、どうやらうまくいくよ」
「ああ、あの話ね」
 丹沢の二峰山をまきながらのぼっていくと返見峠にでる。さらに川づたいの山道を歩き、丹沢の奥深くに入っていくと、川がゆっくりと蛇行した所になだらかな草地が広がっていた。そこにぽつんと小屋が立っている。その小屋は伐採やら植林やら間伐やらの山仕事をする人たちの中継基地だったようだが、いまはほとんど使われていないようで朽ちるにまかせていた。それでもちょっと手を入れれば、まだ十分に宿泊できるような建物だった。小屋の前にのんびりと広がった草地は、春から初夏にかけて一面がお花畑になる。そこにさらさらと小川が流れていて、ゆるいカーブを描いているあたりの瀬では泳ぐことだってできる。自然のなかに活動の拠点をもちたいと願っている長太は、前からそこに目をつけていたのだ。
「矢代さんという人は、ずいぶん理解のある人でね、そんな活動ならむしろこちらからお願いしたいというんだよ」
 矢代さんというのはその小屋の持主だった。清川村で製材業を営んでいるその人物は、なにやらそのあたり一帯の山の持主でもあるらしい。
「山の荒廃に心をいためていてね、このままでは山はだめになるというんだな、山がだめになれば、村がだめになり、町がだめになり、都市もまただめになるという哲学を持っている、ああいう人が丹沢の山のなかにいたなんてちょっとした驚きだった」
「それでその小屋は貸してくれることになったの」
「いくらぐらいで貸してもらえますかと訊いたんだ、すると矢代さんはそれはあなたのほうで決めてくれというんだな、うちはいくらでもかまわないって」
「気前のいい人なんだな」
「いや、そうじゃなくて、ぼくらがどこまで本気なのか、どこまで真剣に立ち向かうのか、ちょっと試されているようなところがあるんだな、もしほんとうにぼくたちが真剣にその基地づくりをはじめたら、きっといろいろな形で応援してくれる人だ、ぼくはそう読んでいるけれどね」
「しかしそういう基地ができたらいいね、それこそいろんな活動ができる」
「そうなんだ、どんぐりの採集からはじめてその種子から育てていく、丹沢にいくたびに自分たちの植えた木が高く太くなっていく、ぼくたちの生涯をかけた活動だってできるわけだ」
「そうだね、自然というものに踏み込むこんでいくには、そこまでしなければだめだと思うね、頭ではなく手や足をつかっていっぱい汗かいてね」
「そうなんだ、そんな入り方をしないと自然をとらえることなんてできないよ」
「しかし自分たちの小屋ができるなんて、すごいことじゃないか、小屋だけではなく、あの山がいわばぼくらの庭のようになるわけだから」
「山の素材をつかって工作活動だってできる、畑だってできる、とにかくぼくたちの活動が一気に広がっていく、新しい世界が生れていくような予感がするんだ」
「ぼくらはあそこにまず樫の木を植えたいね」
「ああ、そうか、樫の木子供団だものね」
「いいな、ほんとうにそれ取り組もうよ」
 十月に入って、弘はまた小学校にでかけた。例の体育館使用の許可がいまだにおりてこないのだ。その申請書を出したとき四、五日後に連絡があるといっていたのに、それから二週間もたっているのになんの連絡もない。弘は種田校長に面会を求めが、応対に出てきたのは教頭だった。教頭は会議室に弘を連れていくと、
「ちょっとその件は、いろいろとむずかしい問題がでてきましてね」
「どんな問題なんですか」
「子供団の性格がよくわからないんですな」
「このあいだ校長先生とお会いしたとき、よく理解して下さっていると感動したものですが、いろいろと資料もさしあげましたし」
「いや、学校側では理解するんですよ、しかしあちこちから疑問の声というのか、反対の声があがっているのもまた事実なんですよ」
「反対の声ですか」
「ええ、いろいろな方から出ているんです」
「例えば、どういう理由で反対なさっているんですか」
「例えばですね、キャンプで煙草を吸わせるとかですね」
 と教頭はいった。あの話がどこでどう伝わったのかすでに学校にまで伝わっているのだ。またたくまに伝播していく噂の速さと広がりに弘は恐怖さえ感じた。
「そんな話を教頭先生まで信じているんですか」
「いや、まあ、まさかと私は思いますけれどもね、しかし夏のキャンプで、小学生全員が煙草を吸ったということは事実じゃないんですか、そのことが父母会で大問題になっていることも事実のようですね」
 弘はその話をどのように説明していこうかとちょっと言葉につまっていると、追討ちをかけるように、
「それにですね、いまは児童館で活動をなさっているようですが、土曜日の夜は、どうもあのあたりに住んでおられる人々から苦情がたくさんでているようですね、子供たちが大声でさわぐとか、十時をすぎてもあのあたりを集団で俳個しているとか、ジュースの缶をご近所の庭にぽんぽんと投げこんでいるとかね」
「そんな話をいったいだれからお聞きになったのですか」
「いろいろな方からね」
「いろいろな方ってだれなんですか、その方と会ってみたいですよ、なるほどそれに似たようなことがおこりました、しかしそれは子供団の本質とはなんの関係もないことじゃありませんか、二十人ちかい子供たちが活動している以上、それはいろいろな問題がおこってきます、そんなことだけをとりあげて中傷するなんて、それは中傷そのものではないですか、なんだか悪意があってそんな噂をしきりにばらまいているように思えますね、そんな噂に惑わされないで下さい」
「別に惑わされているわけではありません、そういう反対の声が多数あがっている以上、この申請をすんなり認めるわけにはいかないということをいっているのです」
 それからもう話はもつれるばかりだった。話せば話すほど不愉快になっていく。それにしても子供団の活動をこんなふうに悪意としか思えないような視点で見ている人たちが、何人もいるということに弘に衝撃を受けるのだった。
 弘はその足で徳子の家をたずねると、徳子は、
「あの教頭のいいそうなことよ」
「そうなんですか?」
「そうなのよ、なんでももったいつける人なの」
「しかしああいう非難というか中傷があるとはショックでしたね」
「でも子供団って、もともと学校の先生たちには評判よくないのよ」
 それは弘も知っていた。宿題を忘れた子が、子供団の活動があってできなかったといい訳したとき、子供団なんてやめなさいとぴしゃりといわれたとか、成績がさがった子の母親には、きびしい口調で子供団に入っていることを非難されたとか。そんな話を弘はいくつも聞いていたのだ。
「あの煙草事件がこんなふうに広まっているなんて、思いもしませんでしたよ」
「煙草のことがなかったって、子供団の評判はよくないのよね、先生たちだけでなくお母さんたちにも、子供団に入っている子って、商店の子だとか、離婚した家庭の子だとか、勉強のできない子だとか、ほったらかしにしている子だとか、そういう子がわりと多いでしょう。だから子供団っていうのはね、ちょっと問題のある子が集まる場だって見ている人たちがずいぶんいるのよ」
「そんな」
「いいじゃないの、いわせておけば、自分たちは違うんだって錯覚してるおめでたい人たちなんだから、そんな噂なんか気にすることないのよ、でも教頭先生の話、おかしいわよね、私もちょっと調べてみるわ、PTAの副会長をしている人、よく知っているから、そのへんからさぐってみるわよ」
 そして二日後の夜、弘が風呂に入っているとき、徳子から電話があった。あわてててタオルをまきつけて、息子の潤が差し出した受話器をとると、
「あのね、望月先生、なんだかへんなのよね」
 と徳子はいきなりいった。
「なにがへんなんですか」
「バレー部があるでしょう、ママさんバレーが」
「ええ」
「あの人たち、いま火曜日に体育館を使ってやっているのよ、あそこのクラブは東京都の大会にでたりして人気があるでしょう、だからメンバーの数も多いのよね、それで今度はクラブをAとBというふうに二つのグループに分けて、練習日を別々にしようという計画だったらしいのね、そんなわけでもう一つの活動を土曜日にするという申請をだそうとしていた矢先だったんですって、それを子供団に先をこされたもので、それであの人たちが子供団を引きずりおろそうとあちこちで動いたらしいのね」
「そうすると、その人たちが煙草事件のこととかを、あんなふうに吹聴したのですかね」
「土曜日を取るために、あの人たちはそんなこともやりかねないわよ、そういうことを平気でする人がいるのよ、あのクラブには」
「そうなんですかね、もしそれが事実とするとちょっと許せないですね」
「許せないわよ、でもそれが人間ってものよ」
 その次の日に、弘は徳子と子供団の副会長をしている石田も誘って、大井町の「花活」にでかけた。カウンターのなかにいる子供団会長の鈴木源三にそのことを話すと、彼は怒りをあらわにして、
「これは許せねえ」
 と叫んだのだ。そして、
「よし、明日にでも学校にいってよ、あんたらちょっとおかしいんじゃねえかと怒鳴りこんでやろう、そうだろうよ、てめえらはすでに火曜日を使ってるんだろう、それをまたもう一日だなんて、そんなきたねえこと許せねえよ、おまけに子供団の悪口をあっちこっちに吹きやがって、きたねえやつらだ、ちょっとおどかしてきてやるよ」
「まあまあ、そこは会長、ちょっと待って下さい、そんな中傷をしたのがバレー部の人たちだとはっきりわかっているわけではないし」
 と弘はあわてていった。
「いや、あのオバタリアンどもは、それぐらいのことはやるさ」
「まあ、そこはもう少し様子をみましょう」
 すると副会長が、
「区議会議員の山田さんあたりに話しをもちこんだらどうかね、あの人に動いてもらえばそんな問題なんかあっさりと解決してくれるはずだよ」
「あの人だったらやってくれるわね」
「おれは民自党の野村をたのむか」
「いいじゃないの、あちこちから攻めていけばたちまち問題は解決するわよ」
「いや、ちょっと待って下さい」
 と弘はいった。なるほどそれも一つの方法だったが、そんな手は使いたくなかった。子供団はどこの政党にも属さない自由な広場だった。もしそういう人たちにたのんだらその普遍不党の精神が崩れてしまう。
「それも一つの方法かもしれませんが、ここはわれわれだけで解決していきたいんですよ、いろんな方法があるわけですから……」
「例えば?」
「ですから、われわれの活動をもっと多くの人たちに理解してもらう、子供団っていったいなんなのか、どんな活動をしているのか、いま直面している問題はなんなのか、そして体育館のような広い場所が子供たちにどんなに必要かを訴えるちらしのようなものをつくって、署名運動といったものを起こせばいいと思うのですがね、理解して共鳴してくれる人を一人また一人とふやしていけば、道は自然に開けていくと思うんです」
「それはいいねえ」
「何人集めればいいんだ」
「そりやあ、多ければ多いほどいいのよ」
「その署名活動は、なにもこの地域の人たちだけでなくていいと思うんです、この地域の問題はまた他の地域の問題でもあるわけですから、いろんな人に呼びかけて」
「それならばわけなく集まるよ」
「千人だって集められるぞ」
 という話しになっていったのだ。
 その週のうちに、弘は署名運動のための呼び掛けの文章を書いて、それを五百枚ほど刷って、さっそく父母たちに署名運動をはじめてもらった。そんな活動をはじめて三日後だった。弘のもとに校長から電話があって、体育館使用の申請は許可されて、来週にも体育館が利用できると言ってきたのだ。なんだか拍子ぬけだった。
 要するに学校は、そんな運動をはじめられたことにあわてふためいたにちがいなかった。そこまで問題を広げられたらたまらないという思惑があったにちがいなかった。それにしても公務員たちのその姿勢の傲慢さと狭量さ、そして市民運動のように多数の人間が動きはじめるとたちまち掌を返したように態度を変えていく姿に寒々となるのだった。弘もまた公務員だった。
 体育館はまったく広かった。子供たちも最初はその広さにとまどっているようだった。しかしすぐにその広さになれると大きく動きをはじめた。その広さを一杯につかった遊びをするのだ。子供たちはまったく遊びの天才だった。
  アッカンタンテイ。
  テツナギゲーム。
  カンケリドポン。
  ホッケイ戦争。
  コウクウボカン。
 と遊びは次第にエスカレートしていく。汗びっしょりかいて体育館せましと走りまわるのだ。
 女の子たちは例の怪物三人組を軸にしてしっかりとまとまっていたが、男の子たちはそのころ真っ二つに分れていた。夏休みの長期キャンプにいく直前に、清水健太という子が子供団に入ってきたのだ。力と活力にあふれた子で、たちまち子供団を創設した幸治や繁や守や泰彦の四人組と勢力と二分するまでの群れをつくってしまった。
 子供団にまったく新しい雰囲気ができてしまった。健太は彼の子分たちと遊びの主導権をとろうとする。しかし幸治たちも負けてはいなかった。子供団をつくったのはおれたちなのだという自負を濃厚にただよわせて、健太のグループと戦うのだ。例えばなにか遊びをはじめるとこの二つのグループはぱっと別れて、互いに負けまいと激しく動きまわる。それはまったくすさまじい戦いだった。必死になって相手を倒そうとする。喧嘩をしているのではないかと思うばかりの勢いで、弘はいつもはらはらするのだった。
 そんな活気にあふれた団会のせいか休む子がいなくなった。一人でも休むとそれだけ分が悪くなるのだから、学校は休んでも子供団の活動には出てくる。子供たちはどんなゲームにも手をぬくことはなかった。汗を吹きだし、大声で叫び、走りまわる。そんな子供たちをみているとこれは遊びという名の真剣勝負なのだなと弘は思うのだった。
   健太の登場は活気と刺激を子供団にもたらしたのだが、またたくさんの問題を弘につきつけてくるのだった。例えば子分たちをひきつれて学校の塀の上を歩くとか、ついでにひょいと隣接した家の屋根までよじのぼってしまうとか、日曜日になると自転車で江ノ島まで遠征して家に帰ってきたのが夜の十時過ぎだったとか、セブンイレブンにたむろして、さらにそこからローソンをへてファミリーマートに移動するとか、ひどくお金の使い方が荒くなったとか、健太に半ば脅迫されてお金をもちだしたとか。そんな話が父母会でもしばしばもちだされるのだ。
 実はあのキャンプでの煙草事件の原因も健太にあったのだ。彼がごっそりと煙草をもってきていて、みんなに煙草を吸え吸えとすすめた。そしてパンツ脱がせ事件の首謀者もまた彼だった。
 団会が終わると、その日の活動で使ったマットだとかポールだとかを倉庫にしまって、窓をしめ、戸締りをして、体育館の鍵を神田という用務員に返しにいくのだが、この男の態度が実に横柄だった。学校の夜間警備の仕事をしながら司法試験の勉強をしているという噂だったが、なにかその全身が暗く屈析しているような男だった。いつも弘は鍵を返すとき丁寧に挨拶をするのだが、この男は返事もしない。なにか敵意にみちた目をちらりとむけ、ふんと顎をしゃくるのだった。
 その日も鍵を返して、ありがとうございましたというと、
「あんたのところさ、ちょっと備品のあつかいが乱雑だよ」
「そうですか、いつもすみません」
「いつもじゃないよ、注意されるのはおれなんだから、もっと気をつけてくれなくちゃ困るじゃないか」
「だいぶ気をつけているんですがね」
「あんたたちの使ったあとの倉庫、乱雑この上ないじゃないか、めちゃくちゃしまいこんだというやり方だろう、目につかないところもちゃんと点検してくれよな」
「はい、よく気をつけます。すいません」
 弘はあやまる一方だ。子供たちの用具の使い方が乱暴だというのはよくわかる。バレーボールをもう三つも破損させてしまったし、だれかがマットをカッターで切り裂いたこともあったし、この間などは天井の蛍光灯まで派手に割ってしまったりと、そのことをいわれると弘は返す言葉がない。
「あの生意気なサングラスかけた子がいるだろう、清水とかいうやつ」
「ええ、健太という子ですね」
「あいつ、ほんとうに生意気だな、突き刺すような目をしてにらみかえしやがる、小学校のガキでも、もうあんな目つきをするようじゃ先が思いやられるよな、よっぽどひっぱたいてやろうかと思うけどさ」
「あの子にはいいところも一杯あるんですよ」
「しかし、ちゃんと挨拶することぐらい教えろよ、なんだかしらねえけれど、あんたはあいつらの指導者なんだろう、その程度のことができねえでなにが教育活動だって思うよな、まったくさ」
 そんな悪態をつかれているのに、弘は自分でもいやになるほど、卑屈になってあやまるばかりだった。
 それは冷たい夜だった。ときおり忘れたように風がさあっと吹きよせてくる。その風の冷たさに弘は思わず身をすくめた。こうして確実に冬が一歩一歩あるいてくるという感じだった。まだ夕刻だというのに、あたりは真っ暗だった。学校の門をくぐると神田が、
「ちょっと、あんた」
 と呼びとめる。彼はあきらかに弘が学校にくるのを待っていた様子だった。
「ああ、今晩は。今日もよろしくお願いします」
「よろしくじゃねえよ、ちょっときてくれよ」
 といって弘を体育館の裏につれていった。塀と体育館の間に木立が植えられていて、さらに視界をさえぎっているから、そこは子供たちの秘密の場所といった空間になる。
「こいつをみてくれよ」
 神田は手にしていた大型の懐中電灯で銀杏の幹の下を照らした。そこには焼け残ったダンボールやらマンガ雑誌がひとかたまりになっていた。
「ここで、あいつらが焚火をしていたんだ、なんかおかしいと思ってこっそりのぞいてみると、もくもくと煙があがってるじゃないか、あいつらがここで火をつけたんだ、そのうちにあいつら学校を燃やしちまうぜ」
「あいつらって、だれですか?」
「きまってるだろう、あのサングラスをかけた清水って野郎たちだよ、追いかけていったけど逃げ足のはやいこと、あっという間にとんずらしやがって、あいつといつもあいつをとりまいている四、五人の悪ガキだよ、こんなことが学校の耳に入ってみろ、即刻あんたたちの活動は停止処分になるんだぜ」
「いや、それはすいません、すぐに注意しますから」
 そのことがなるほど学校側に知られたら、ちょっとした問題になるはずだった。もうすでに一度学校から備品の取扱いについて注意を受けているのだ。このことが学校の知るところとなったら、さらに子供団のイメージは悪くなる。神田のいい方はなんだかこのことを内密にすませてやるといっているようにもとれる。それならばいやらしいことだったが、ここは神田にとりいって内密にすませてもらうにこしたことはない。
 その日、健太たちが団会にあらわれたのは、もう活動が終わる直前だった。どうやら彼らは、団会にでる機会をずうっとうかがっていたようだった。健太、昇、和男、正史、新吾が体育館の扉から、それぞれ意味ありげな様子でそろそろとはいってきた。弘はすぐに健太を部屋のすみに呼んだ。
「あのさ、健太たちは今日活動がはじまる前に、体育館の裏で焚火したね」
 健太はもう観念したかのようにうなずいて、
「やりました、あいつがいったんですか」
「あいつなんていい方よせよ、昇もいたのか」
「そうです」
「それと、和男と新吾と正史もいたんだね」
「うん、そうです」
 と彼は神妙にこたえる。焚火などしてすみませんでしたということをその全身であらわにしているのだが、弘の口調がだんだんきびしくなっていく。それにつれて健太の頭はだんだん下がっていく。よく彼のことが父母会で問題になるとき、注意するとふてぶてしい態度をとって反抗するというが、弘は一度もそんな場面に出会ったことはない。彼はきっと信じた大人にはどこまでも素直になれるのだろう。
「どうしてあんなところで焚火なんてしたの」
「ライターを新吾がもってきたんで、ちょっとつけてみようかということになって」
「キャンプだったらいいよ、でもここは東京じゃないか、しかも学校のなかで焚火なんてしたら、それこそ大変なことになるっていうことぐらいわからないの」
「わかりますけど」
「あのね、もしかしたらもう体育館は使えなくなるかもしれないよ」
「使えなくなるんですか」
「そうなるかもしれないんだよ」
 彼はさらにうなだれてしまった。
「神田さんに見つかったんだから、まずあの用務員さんにあやまりにいこうよ、焚火をしてすみませんでしたっていえば、許してくれるかもしれないんだ」
「あいつに、あやまるんですか」
「そうだよ」
「あいつにですか」
「彼に見つかったんだろう」
「あいつはいやなやつなんだ、おれたちのことをいつも見張っていやがって、なにか文句をつけようと」
 と健太はにくにくしげにそういう。あの男だけにはあやまりたくないといわんばかりなのだ。
「だったら余計に気をつけなければいけないじゃないか、学校のなかでやったらかならずあの人に見つかるって、そんなところは健太らしくないね、それはともかく、この問題が大きくなったらやっぱりやばいんだよね、なんだかすごくむずかしくなるからその前にきちんとあやまっておこうよ」
 弘は宿直室に五人をひき連れていった。神田は一列にならんだ五人に、子供たちを叱る陳腐な決り文句を、えんえんとおごりたかぶった態度で吐きつづけた。子供たちのかたわらに立ってそんなお説教を聞いている弘は、こんな人間には司法試験など受かってもらいたくないなと思うのだった。どことなく腐ったようなお説教が終わったとき、弘はどっと疲れがふきでて屈辱感に打ちのめされたような気分になった。どうしてこんな男にあやまらなければならないのだろうか。そんな卑屈な態度をとる自分が情けなかった。
 月曜日、児童館に学校から電話が入ってきた。すぐに学校にきてほしいといわれた。神田はやっぱり学校に焚火の顛末のすべてを報告したのだ。結局なるようになったというわけだった。弘はあんな屈辱的な態度をとって、媚を売ろうとした自分をあらためてののしるのだった。
 教頭は弘を机の前に立たせたまま、
「土曜日、体育館のうらで火をつけたらしいですね」
「火をつけたなんて、まるで学校に放火したようないい方ですね、実際はたいしたことではなかったんですよ、たまたまライターをもっていた子がいて、枯葉を集めて燃やそうとしたけど、それだけでは火がつかないからマンガとかダンボールとかひろってきて、まあ焚火をしようとしたようです」
 と弘はいった。すっかり居直ってしまったのか、この日の弘の態度はふてぶてしく、それがどうしたのだといわんばかりだった。
「焚火とあなたは簡単におっしゃるが、火事にでもなったらどうするんですか」
「教頭先生の心配もわかりますが、焚火と火事をそんな短絡的に結びつけてもらいたくありません、うちの子供たちはキャンプでいやというほど火のつけ方が特訓されるのです、火をおこすということがどんなに大変なことか、そしてそのことがどんなに貴重なことかを、とにかく火をおこさなければ、ご飯が食べれないわけですからね、そして焚火をしたあとの始末がどんなに大切かもね、だから子供団の子供たちは、火に関してはプロ級の腕をもっています、火の強さや怖さを全身で知っているあの子たちが、火災になるような火遊びをするわけがありませんよ」
 しかしさすがに弘もそんな居直りは大人げないと思い直して、
「いや、ぼくはなにもあの子たちのやったことを擁護するつもりではないんです、子供たちのしたことに責任も感じていますし、そのことは十分に子供たちに反省させました、子供たちも十分に反省しています、しかしそのことが火事になるとか、なにかものすごい犯罪をおこしたというふうにいわれると低抗があるのですよ」
 すると教頭はさらに話を展開させていった。
「実はね、今日あなたにきてもらったのは、そのことのほかに強硬な抗議がきているからなんですがね」
「抗議ですか」
「そうです、その方はかんかんになっていましてね、どうもただではすみそうもないほど強硬な抗議なんですね、裏門を出たところにパン屋さんがありますね、あそこに自動販売機があるけれど、あの前で子供たちが夜遅くまでがちゃがちゃやったり、ぺちゃくちゃ話したり、ふざけて大騒ぎしたり、もううるさくてたまらないというのですね、しかも飲んだジュースの缶を庭のなかにぽいぽいと投げこむ」
「ちょっと待って下さい、それはほんとうにうちの子供たちなんでしょうか、以前、児童館で活動していたときにもそういうことがあったので、その問題はしっかりと子供たちは認識しているはずです」
「しかしそれが一向に直っていないということなんでしょう、ひどいときには庭に五つも六つも投げこまれているそうですよ、ずらりと塀の上に並べたりとかね」
「しかし、それはほんとうにうちの子供たちなんでしょうか」
「土曜日の夜というんだから、子供団以外にないでしょう」
 弘はどうも腑に落ちないのだ。さらに教頭はいった。
「その方の三軒お隣の家からも同様な抗議がきていましてね、いったい学校はどんな指導をしているのかとね」
 弘は子供団をつくるとき新聞をつくってそのなかで宣言した。いままの子供たちはとても不幸だ。マッチを手にしてはいけない、焚火などしてはいけない、ナイフをもってはいけない、自転車で遠くにいってはいけない、海で遊んではいけない、木に登ってはいけない、集団で公園で遊んではいけないとおびただしいばかりの禁止事項で管理され、こぎれいな小紳士、こまっしゃくれた小淑女をつくっていく。子供団はそんな管理化された世界から、子供ほんらいの生き生きとした活力をとりもどすための活動をしたいと。
 しかし子供にだって守るべきことはあるのだ。子供たちが守らなければならないルールがあるのだ。学校で焚火するなんてとんでもない話だ。小学生がサングラスをかけてくるのもやめてもらいたい。ライターなども持ち歩かないことだ。もちろんポケットに煙草をしのばせてくるなんて言語道断だ。空缶を他人の庭に投げこむなんてとんでもないこと。だいたい缶ジュースを買うなんてよくないことだ。お金は団会にはもってこない。八時に活動が終わったらすぐに家に帰る。小学生がだらだらと夜の裏通りをねり歩くことはよくないことだ。子供団の活動を存続していくためには、子供たちがぜったいに守るべきルールというものが必要なのだ。自由というものを獲得するためには、一人一人がきびしいルールをもたなければならない。もし大人からの束縛をきらうならば、それをはねつけるだけの責任をもった行動をしなければならない。そのためのルールをつくろう。そのルールを全員が守っていく。守らなければ子供団はつぶれてしまう。
 そのルールというものを書いたメモ用紙を鞄のなかにいれて弘は、その週の土曜日、小学校にむかった。校門をはいるとすぐに体育館がある。いつもなら体育館の前で子供たちはぺちゃくちゃと話しこんでいるのだが、この日はだれもそこにいなかった。体育館の扉はいつものように開いている。その鍵を開ける役は父母が交替ですることになっていた。
 体育館に入っていくと、なんと子供たちが集まっていた。体育館の床にひとかたまりになって座っている。みんなの前に、健太、昇、和男、正史、新吾が神妙に立っているのだ。司会をしている美雪がいった。
「どんどん手をあげてください、はい、斉藤君」
「学校で焚火なんてしたら、子供団がつぶれると思わなかったのですか」
 と四年生の斉藤明が立ち上がっていった。緊張して立っている五人組のなかで一人昇がにやにやしていた。すると美雪が、
「どうなんですか、昇、にやにやしないでちゃんといって下さい」
 と言葉するどくせまる。すると五人組はさらに顔をこわばらせる。
「どうなんですか、清水?」
「それは考えませんでした」
 と清水健太がそれこそ全身で、みんなにわびるようにこたえた。今度は野口幸子が手をあげた。
「ライターなんか、どうして団会にもってきたんですか?」
「それは、新吾がもってきたというか……」
「でもいつも清水は、ライターをもってきてませんでしたか?」
「すみません、これからはもってきません」
 今度は友美だった。彼女が立ち上がって、
「それとサングラスなんかしてこないで下さい、あれはなんだか不良っぽいと思います」
「あ、わかりました、今度からしません」
 弘はじいんと胸が熱くなるのだった。ああ、ここに子供たちの自治の精神が育っているのだ。不正やルール違反を追及しそれをただそうとする精神が。いや、そればかりか腐敗や堕落から立ち直ろうとする力もまたこの子供たちはもっているのだ。弘は自分が恥ずかしくなった。彼はこんな子供たちの一番近くに立っていながら、子供たちのあきれた行状を嘆き、このままでは子供団は存続できないからきびしいルールが必要なのだと考え、そのルールをつくるためのメモを鞄のなかにしのばせてきたのだった。しかしそんなものは必要なかった。子供たちはしっかりと自分たちを問いただそうとしているのだった。
 その日の帰りだった。用具を倉庫にしまい、窓をしめて、体育館の扉に鍵をかけて、宿直室にいった。神田が両足を机の上にのせて、だらしなく流れているテレビをみていた。
「鍵はそこに置いておけよ、それとさ、先週は飛び箱がでたらめに積み上げてあったけど、今日はちゃんとしまってくれただろうな」
「神田さんっていいましたね、人と話しをするときはその足を机からおろしてくれませんか」
 神田はきっとなった顔を弘にむけた。
「足をおろして下さいっていっているんですよ」
 弘のなんだか身構えたような強い調子に、神田はしかたなくその足をおろした。
「いままであなたにぺこぺこしてきましたけど、今日からやめますよ、あなたにいっておきたいことがあるんだ、あなたはいったい何様のつもりでいるんですか、学校が存在することの意味、地域社会における学校の役割、学校の建物をさまざまな市民活動に貸し出すことの意味というものを、一度でも深く考えたことがあるんですか、ボールが破損したの、床が傷ついているの、使い方が乱暴だの、飛び箱がきれいに片付いていないのと、あれこれなんくせをつけてくるけど、ここはあなたのものなんですか、この体育館は先生たちのものなんですか、教頭や校長のものなんですか、冗談じゃないですよ、みんなのものじゃないですか、みんなの税金で建てられたものじゃないですか、みんなで使うために建てられたものでしょう、簡単にいえば社会教育の意味ってそういうことじゃないんですか、法律家になろうとしているあなたには、こんなことぐらいわかっていると思うけど」
 そしてさらに弘はいった。
「ぼくはもともと体育会系の人間なんだ、やってもいいですよ、外にでて喧嘩でもやりましょうか、ぼくはこのところむしゃくしゃしてしかたがないんだ、どうですか、外に出てなぐりあいでもしますか」


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