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日本人は現在完了形も、過去完了形も、未来完了形も、捨て去っていいのではないか

英語とはこんな複雑な構造の上に構築されているのか。こんな複雑な構造を知らなければ英語は話せないということなのか。イエスだった。文法英語で英語を学んだ日本人のこたえはイエスなのだ。日本人が英語を話すときいつだって、こんな複雑な構造を日本語脳のなかで操作しながら英語を作り出していくのだ。

では英米人はどうなのか。彼らもまたこのような操作をしながら英語を話しているのだろうか。とんでもない。英米人にとって英文法なるものなど存在しないのだ。現在完了形だとか、現在完了進行形だとか、過去完了形だとか、未来完了形だとか、仮定法過去だとか、仮定法過去完了形だとか、そんなものは一切存在しない。

彼らは母親の胎内にいたときから英語を聞いている。そしてこの地上に誕生したら、母の乳房から乳を吸い取るように母親の話す言葉を体内にとりこんでいく。だからその人が生得している言葉をmother tongue──母語というのだが、その母語として体内に取り込んでいった言葉を、彼らはただそう言いたいからそういう言葉を発しただけのことなのだ。それは私たち日本人が日本語を話すときだってそうではないか。ちらりとも文法のことなど考えない。日本語にも文法なるものなど存在していないのだ。

文法というのはわずか二、三百年前に言語学者や文法学者たちが、統計的数値によってでっちあげた一つの仮説にすぎないのである。しかし文法英語教というカルト集団の信者である日本の英語教師たちは、文法英語の存在を絶対的に信じている。すべての建物の内部に鉄骨があるように、英語という言葉の内部には文法という鉄骨がある。英語という言葉は文法で組み立てられているのだと。もう英語教師たちは覚醒しなければならない。一刻も早く目覚めなければならない。文法を教えれば教えるほど日本の子どもたちは英語が話せなくなる。日本の英語教師たちがなしている授業は、日本人に英語を話してならぬと告げていくシステムなのだ。

英語は現在形、過去形、未来形のうえに完了形なるものが登場してきて、現在完了形、過去完了形、未来完了形と、時制の表現が私たち日本人からみたら、二重構造になっているというか複雑になっている。英語という言語の構造を支える重要な用法だが、日本語には完了形という概念はない。大多数の日本人には完了形という語法は体得できないのだ。したがって、日本英語は現在完了形も、過去完了形も、未来完了形もばっさりと捨て去っていいのではないか。この用法を捨て去っても、完全に相手に伝わっていく。

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