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ワーニャ伯父さん アントン・チェーホフ  第三幕

 

「ワーニャ伯父さん」は、「森の主」を改作した戯曲であるが、前作では自殺することになっていたワーニャを、絶望の中で生きつづけさせるように改めたことによって、作品の主題はいっそう明確になったといえる。四十七年間すごしてきた自分の一生がまったく無意味なものだったことに思いいたったワーニャの絶望は、限りなく深い。だが現実は、それでもなお生きつづけてゆくことを要求するのである。

同じことは姪のソーニャについてもいえる。六年間ひそかに、熱烈に慕いつづけてきたアーストロフヘの愛が、一瞬のうちに打ちこわされ、彼女もまた絶望につきおとされる。しかし、ソーニャは言うのである。「でも、しかたがないわ、生きていかなければ!」と。

ソビエトの演出では、チェーホフが信じた「新しい未来』を強調するあまり、ソーニャのこの台詞をリリカルにうたいあげるのであるが、これはそんなロマンチックなものではない。二十三歳の若い娘が、現実にぶちあたって絶望したあと、それでもなお生きてゆかねばならぬことを自分自身に言いきかせる、健気というよりはむしろ悲愴な言葉の奥に、人生に対するチェーホフの考えが読みとれるのである。


第三幕

セレブリャコフ家の客間、右手、左手、中央と三つの戸口。
昼。
ワーニャとソーニャ、腰かけている.エレーナ、何やら考えながら、舞台の上を歩きまわっている。

ワーニャ  尊敬すべき教授が表明なさったご要望によると、われわれ全員、本日午後一時までにこの客間に集合せよ、ということだがね、〔時計を見る〕一時十五分前か。何やら世界に向かって語りたいらしいな。
エレーナ  きっと、何か用事でしょう。
ワーニャ  あの人に用事なんてあるもんですか。下らなことを書きなぐったり、ぶつくさ文句を言ったり、やきもちやいたりするだけで、ほかに何もないんだから。
ソーニャ  〔非難の口調で〕伯父さん!
ワーニャ  あ、いや、すまない。〔エレーナを指さして〕うっとりするね。歩くにも、物憂げにしゃなりしゃなりとしてさ。実に可愛いな! まったく!
エレーナ  あなたって一日じゅう同じことばかり言っているのね。のべつ同じことばかり……よく厭にならないこと! 〔愁いをこめて〕気が滅入って死にそうだわ。何をしたらいいか、わからないんですもの、
ソーニャ  〔肩をすくめて〕することなら、いくらだってあるじゃない? その気にさえなれば。
エレーナ  たとえば?
ソーニャ  農地の経営をするなり、読み書きを教えるなり、病気の治療をするなりなさったら。いろいろあるじゃないの? あなたとパパがここにいらっしゃらなかった頃は、あたしとワーニャ伯父さん、市場へ自分で粉を売りに行ったものだわ。
エレーナ  あたしにはできないわ。それに興味もないし。百姓に読み書きを教えたり、病気の治療をしてやったりするのは、思想的な小説の中でだけよ。どうしてこのあたしが、これといった動機もないのに、突然だしぬけに百姓の治療や教育にでかけられるというの?
ソーニャ  どうして出かけて行って教えちゃいけないのか、むしろあたしにはそれがわからないわ。少しすれば、慣れるわよ。〔彼女を抱く〕気を滅入らせたりしないで、ね。〔笑いながら〕あなたは気を滅入らせて、心ここにあらずって様子だけれど、気の滅入りや怠け癖は人にうつるものだわ。見てごらんなさい。ワーニャ伯父さんは何もせずに、影みたいにあなたのあとばかりついてまわっているし、あたしも仕事をそっちのけにして、あなたのところへ話をしに来てしまったりして。すっかり怠け癖がついてしまって、もうだめ! ミハイル・リヴォーウィチ先生だって、これまで家にお見えになるのはごくたまで、月に一度くらいだったし、拝みたおすようにしてやっと来ていただくほどだったのに、この頃では毎日ここに日参して、森も医学も放りだしてしまったわ。あなたって魔法使なのね、きっと。
ワーニャ  何を悩んでらっしゃるんです? 〔意気ごんで〕ねえ、可愛いエレーナ、もっと利口になりなさい! あなたの血管には水の妖精の血が流れているんだから、いっそ水の妖精になるんですね! せめて一生に一度くらい思いきり羽根をのばして、早いとこ河の主か何かにこっぽり惚れこむことです……そして、尊敬すべき教授やわれわれみんながあっとおどろいて両手をひろげるくらい、頭からどぼんと渦の中に飛びこむんですね!
エレーナ  〔怒りを見せて〕放っといてください! なんてひどいことを! 〔出て行こうとする〕
ワーニャ  〔彼女を行かさずに〕まあまあ、許してください……あやまります。〔手にキスする〕これで仲直り。
エレーナ  これじゃ天使だって我慢できないと思うわ。そうでしょ。
ワーニャ 平和と親睦のしるしにさっそくバラの花束をおとどけします。あなたのために、朝のうちから用意しておいたんですよ……秋のバラ、愁いを秘めた美しいバラです……〔退場〕
ソーニャ  秋のバラは、愁いを秘めた美しいバラ……〔一人、窓の外を眺める〕
エレーナ  もう九月ね。あたしたち、なんとなくここで一冬すごすことになりそうだわ。〔間〕ドクトルはどこ?
ソーニャ  ワーニャ伯父さんのお部屋。何か書きものをしてらっしゃるわ。ワーニャ伯父さんが行ってしまってよかった。ちょっとお話ししたいことがあるの。
エレーナ  なあに?
ソーニャ  何かしら? 〔相手の胸に顔をうずめる〕
エレーナ  いいのよ、わかっているわ……〔髪を撫でてやる〕いいのよ。
ソーニャ  あたし、不器量なんですもの。
エレーナ  きれいな髪をしているじゃないの、
ソーニャ  嘘!〔鏡で自分を見るためにふり返る〕嘘よ! 女が不器量だと、「きれいな眼をしている」とか、「きれいな髪だ」とか言うんだわ……あたし、もう六年間も先生をお慕いしているの。亡くなった母さんより、もっと愛しているくらい。いつも先生の声が耳について離れないし、握手した先生の手を感じているの。こうして戸口を見つめて、待ちわびていると、今にも先生が入ってくるような気がするんだわ。だって、わかるでしょう、のべつあなたのところへ来るのだって、先生の話をするため、なの。この頃先生は毎日ここへいらっしゃるけど、あたしを見てもくださらないし、まるで眼中にないみたい……それが辛くて! あたしには何の希望もないんですもの、そう、ないんだわ! 〔絶望して〕ああ、神さま、あたしに力を与えてください……ゆうべは夜通し祈っていたの……何度もそばへ行って、あたしの方から話しかけて、先生の眼を見つめるんだけど……あたしにはもうプライドもないし、自分を抑える力もないわ……こらえきれなくなって、先生を愛してることを昨日ワーニャ伯父さんに打ち明けてしまったの……あたしが先生を愛していることは、召使たちもみんな知っているわ。だれもが知っているんだわ。
エレーナ  で、彼は?
ソーニャ  いいえ、あたしなんか、気にとめていないんですもの。
エレーナ  〔考えこんで〕変わった人ね……それじゃね。よかったら、あたしが話してみるわ……遠まわしに、それとなく……〔間〕ほんとに、いつまでもはっきりしないなんて……じゃ、いいわね!
〔ソーニャ。うなずく〕
エレーナ  それでいいのよ、あの人が愛しているか、いないか‥‥それくらい探りだすのはむずかしいことじゃないわ。どぎまぎすることはなくってよ。心配しないで。あたし慎重にきくから、あの人だって感づきやしないわ。イエスかノーか、それだけ探りだせばいいんですもの。 〔間〕もしだめなら、ここへ出入りしてもらわないようにしましょう。でしょう?
ソーニャ  〔うなずく〕
エレーナ  会わずにいる方が、楽ですものね。ことを長引かせないで、さっそくきいてみましょうよ。あの人、あたしに何かグラフを見せるつもりだったみたい……行って、わたしがグラフを見たがっていると言ってちょうだい。
ソーニャ  〔ひどく興奮して〕本当のことを全部教えてくださる?
エレーナ  ええ、もちろんよ。真実っていうのは、たとえそれがどんなものにせよ。やはり、何もわからない状態ほど恐ろしくないと思うわ。あたしに任せて、ね。
ソーニャ  ええ、いいわ……あなたがグラフを見たいそうだって言うのね……〔歩きかけ、戸口のところで立ちどまる〕いいえ、何もわからない方がいいわ……とにかく、希望はあるんだから……
エレーナ  どうしたの?
ソーニャ  何でもないわ。〔退場〕
エレーナ  〔一人〕人の秘密を知りながら、力になってやれないくらい、困ることはないわ。〔考えこみながら〕彼はあの子を愛してなんかいない、それははっきりしているわ、でもどうしてあの子と結婚しちゃいけないのかしら? あの子は器量こそわるいけど、でも、あの年になった田舎医者にとっては、素敵な奥さんのはずだもの。利口で、とても気立がよくて、清純で……でも、それが違うのね。違うんだわ……〔間〕可哀そうに、あたしにはあの子の気持がよくわかるわ、まわりをうろついているのは人間ならぬ灰色のしみみたいな連中ばかりだし。耳に入るのは俗悪なことばかり、ただ食べたり飲んだり眠ったりしか知らないような、こんなやりきれないわびしい生活の中で、時折、ほかの人たちとはおよそ似ていない、ハンサムで、人をひきつける魅力的な彼が訪ねてくるんですもの、ちょうど闇夜に明るい月がのぼるみたいなものだわ……ああいう男性の魅力に負けて、夢中になるのは当然よ……どうやら、あたしまでいくらか熱をあげたみたい。そうね、彼がいないとあたしは淋しいし、彼のことを考えていると、こうしてにっこりしてしまうもの……あのワーニャ伯父さんたら、あたしの血管には妖精の血が流れている、だなんて、「せめて一生に一度くらい、思いきり羽根をのばしなさい」か……そうね。ひょっとしたら、それが必要かもしれないわ……自由な小鳥になって、あなたたちみんなや、あなたたちの寝ぼけた顔や、下らぬおしゃべりから逃げ去って、この地上にあなたたちみんなの存在していることなんか、忘れてしまいたいわ……でも、あたし、臆病だし、内気だから……良心の呵責に悩むだろうし……現にああして彼は毎日ここへやってくるけれど、何のためにくるのか、あたしには察しがついているし、それだけでもう、うしろめたい気がして、ソーニャの前にひざまずいて泣いてあやまりたい気持になるくらいですもの……
アーストロフ  〔統計図をかかえて登場〕こんにちは! 〔握手する〕グラフをごらんになりたいとか?
エレーナ  昨日お仕事を見せてくださると約束なさったでしょう……今お暇ですの?
アーストロフ  ええ、もちろん。〔カードーテーブルの上にグラフをひろげ、鋲でとめる〕お生れはどちらです?
エレーナ  〔手伝いながら〕ペテルブルグです。
アーストロフ  学校にいらしたんですか?
エレーナ  音楽学校ですわ。
アーストロフ  あなたには、たぶん、こんなもの興味ないでしょうよ。
エレーナ  どうして? たしかにあたし、農村は知りませんけれど、いろいろ読んでますもの。
アーストロフ  この家にはわたしの専用の机があるんですよ……イワン・ベトローウィチの部屋に。頭がまったくぼけてくるほど、へとへとに疲れると、何もかも放りだして、ここへ逃げこんで、一、二時間この仕事を楽しむんです……イワン・ペトローウィチとソフィヤ・アレクサンドロヴナがソロバンをはじいているわきで、自分の机に向かって、絵具を塗っていると、ほのぼのと落ちついた気持になるんです。コオロギも鳴いてますしね。しかし、そんな楽しみにふけらせてもらうのも、そう始終じゃなく、月に一度ってとこですよ……〔統計図を示しながら〕それじゃ、ここを見てください。五十年前のこの郡のグラフです。濃い緑と淡い緑は森をあらわしているのですが、全面積の半分は森で占められているでしょう。緑に赤い縞の入っているところには、大鹿や山羊が棲んでいたんです……このグラフには植物も動物も示してあるんですよ。この湖には白鳥や、雁や、鴨が棲んでいたものですし、年寄りの話によると、ありとあらゆる種類の鳥が数知れぬほどおびただしくいて、飛び立つと雨雲がたれこめたみたいだったそうです。大小の村のほかに、見てごらんなさい、さまざまな移住民の村だの、部落だの、分離派教徒の部落だの、水車小屋だのが、あちこちに点在しているでしょう……牛や羊、それに馬もたくさんいたものです。水色のところをみればわかります。たとえば、この郷では水色が濃いでしょう。ここは馬の群れがいたところで、農家一戸あたり馬三頭の割合だったわけです。〔間〕今度は下の方を見ましょうか。これは二十五年前です。このグラフでは、森は全面積の三分の一しかないでしょう。山羊はもういませんが、大鹿はいます。緑と水色がもう前より狭くなっていますね。万事こういった具合です。それじゃ第三図に移りますか、この郡の現在のグラフです。緑色はそこかしこにありますけど、一面にではなく、いくつもの斑点になってますね。大鹿も、白鳥も、ヤマドリも姿を消しちまいました……かつての移住民村も、部落も、分離派教徒の部落も、水車小屋も、跡形もありません。概して、これは着実な、疑う余地のない自然破壊を示すグラフで、この自然破壊が完全なものになるには、明らかに、あとせいぜい十年か十五年くらいしかかからないでしょうね。これは文化の影響だとか、古い生活は当然新しい生活に席をゆずるべきだとか、おっしゃるかもしれない。そう、かりに伐りつくされたこれらの森のあとに道路や鉄道が敷かれたというのなら、あるいはこの場所に工場や製造所や学校ができて、民衆がこれまでより健康に、豊かに、利口になったというのなら、わたしにもわかりますが、そんなことは何一つないんですからね! 郡内の沼地は元のままだし、蚊も多い。道路のないことも、貧しさも、チフスも、ジフテリアも、火事も、元のままです……この場合わたしたちが問題にしているのは、力にあまる生存競争の産物たる自然破壊ですよ。これは、無気力と、無知と、自覚の完全な欠如とから生まれる自然破壊ですからね、つまり、凍えきった、ひもじい病気の人間が、残された生命を救うため、子供たちを守るために、飢えをみたしたり身を暖めたりしてくれるものでさえあれば何にでも、無意識かつ本能的にとびついて、明日のことなぞ考えもせずに、すべてを破壊しているからなんですよ……もうほとんど全部破壊されてしまったのに、その代りになる新しいものはまだ何一つ創りだされていないんですからね! 〔そっけなく〕お顔を見ればわかりますよ、興味がないんですね。
エレーナ  でも、あたしこういうことは、あまりわからないので……
アーストロフ  わかるなんてことじゃ別にありませんよ、ただ興味がないってだけの話です。
エレーナ  正直言うと、あたし、ほかのことで頭がいっぱいなんです。ごめんなさい。あたし、あなたにちょっとした訊問をしなければなりませんの。ですから、どぎまぎしてしまって、どう切りだしていいか、わからないんです。
アーストロフ  訊問ですっ、て?
エレーナ  ええ、訊問です、でも……かなり他愛ないものですけど。坐りましょう! 〔二人、腰をおろす〕ある若い女性に関することですわ。あたしたち、正直な人間同士として、お友達として、率直にお話ししましょうね。話をしたら、何の話だったか忘れることにしましょう、ね?
アーストロフ  ええ。
エレーナ  話ってのは、あたしの義理の娘にあたるソーニャのことなんですの。あの子、お気に入って?
アーストロフ  ええ、尊敬してます。
エレーナ  女性としてお気に召す?
アーストロフ  〔即座にではな〕いいえ。
エレーナ  あと二言、三言でおしまい。あなたは何もお気づきになりませんの?
アーストロフ  別に。
エレーナ  〔彼の手をとる〕あなたはあの子をお好きではないのね。眼を見ればわかりますわ……あの子、悩んでますのよ……そのことをわかってあげて……ここへお見えになるのをやめていただきたいんですの。
アーストロフ  〔立ち上がる〕僕の時代はもう過ぎてしまったんです……それに、そんな暇もありませんしね……〔肩をすくめて〕いったい、いつ僕が? 〔困惑の様子〕
エレーナ  ふう、なんて楽しくないお話かしらかしら! 胸がどきどきして、まるで十五トンもの重い物をかついで運んだみたい。でも、ありがたいことに、終わりましたわ。まるきり話をしなかったみたいに、忘れましょう……そしてお帰りになってくださいませね。あなたは聡明なお方だから、わかってくださいますわね……〔間〕あたし、耳まで赤くなってしまって、
アーストロフ  かりにひと月かふた月前におっしゃられたのなら、たぶん、まだわたしも考えたでしょうけど、今となってはね………〔肩をすくめる〕でも、あの人が悩んでいるとすれば、それはもちろん……ただ、一つだけわからないな。何のために、あの訊問があなたに必要だったんです? 〔彼女の眼をみつめ、指を一本立てて脅す〕あなたは、ずるい!
エレーナ  それ、どういう意味ですの?
アーストロフ  〔笑いながら〕ずるい人だ! かりにソーニャが悩んでいるとしましょう、僕も喜んで認めますがね、しかし、あなたのあの訊問は何のためですか? 〔彼女しゃべろうとするのをさえぎりながら、意気ごんで〕いいから、そんなふしぎそうな顔をなさらないでください、何のために僕が毎日ここへ来るのか、百も承知してらっしゃるくせに……なぜ、だれを目当てに来るのか、それくらいあなたはちゃんとわかっているんだ。可愛らしい猛獣ですね、そんな眼で僕を見ないでくださいよ。僕は年寄り雀なんだから……
エレーナ  〔けげんそうに〕猛獣ですって? さっぱりわかりませんわ。
アーストロフ  美しい、毛のふさふさしたイタチですよ……あなたには生贄が必要なんだ’! 僕がこうしてもう、まる一ヵ月も何もせずに、何もかも放りだして、貪るようにあなたの姿を探している……それがあなたにはひどく気に入っているんですよ、おそろしくね……さあ、どうします? 僕の負けです。あなたは訊問なんかしなくても、ちゃんとそれを承知していたんだ。〔両腕を組み、頭をたれて〕降参します。さあ、存分に食べてください!
エレーナ  あなた、気でも違ったの?
アーストロフ  〔歯をくいしばって笑う〕あなたは内気だから。
エレーナ  まあ、あたし、あなたが考えているより、まともな、程度の高い女ですわ! 誓ってもいいんですけど! 〔出て行こうとする〕
アーストロフ  〔行手をさえぎって〕僕は今日帰って、ここには二度と出入りしません、でも……〔彼女の腕をつかみ、あたりを見まわす〕どこで会いましょうか? 早く言ってください、どこにします? ここは人が来るかもしれない、早く言ってください……〔情熱的に〕なんてすばらしい、華やかな人だろう……一度だけキスを……いい香りのするその髪にキスするだけでいい……
エレーナ  あたし誓って……
アーストロフ  〔相手の言葉をさえぎって〕なぜ誓うんです? 誓う必要なんかあるもんですか。余計な言葉は要りませんよ……ああ、なんてきれいなんだ! この美しい腕! 〔腕にキスする〕
エレーナ  でも、もう、おやめになって、ほんとに……あっちへいらしてください……〔両手を振りきる〕我を忘れたりなさって。
アーストロフ  早く、早くきめてください、明日どこで会います? 〔彼女の腰を抱きかかえる〕わかるでしょう、もう避けられないんですよ、僕らは会わなけりゃならないんです。〔彼女にキスする。この時、バラの花束を手にしたワーニャが入ってきて戸口で立ちどまる〕
エレーナ  〔ワーニャに気づかずに〕堪忍して……あたしをそっとしておいて………〔アーストロフの胸に顔をうずめる〕いけないわ! 〔立ち去ろうとする〕
アーストロフ  〔彼女の腰をかかえたまま〕明日、森番の小屋へ来なさい……二時までに……ね? いいね? 来てくれるね?
エレーナ  〔ワーニャに気づいて〕放してください! 〔ひどくうろたえて窓の方に離れる〕ひどいわ。
ワーニャ  〔花束をテーブルにおく。動揺して、顔や襟の奥をハンカチで拭く〕かまいませんよ……ええ……別にどうって……
アーストロフ  〔居直って〕イワン・ペトローウィチ先生、今日の天気はわるくありませんな。朝のうち、今にも一雨きそうにどんよりしていたけど、今やお日さまがでてくる。正直に言って、すばらしい秋になったもんだ……秋蒔き麦もまあまあだし。〔統計図を筒に巻く〕ただ、なんだね、日が短くなったね……〔退場〕
エレーナ  〔急いでワーニャのところへ行く〕一骨折りしてくださるわね、あなたのお力をフルに使って、あたしと主人が今日にもここから出て行けるようにしてください! いいこと? 今日にもね!
ワーニャ  〔顔を拭いながら〕え? ああ、そう……いいですよ……エレー
ナ、僕はすっかり見ていたんですよ、何もかも……
エレーナ  〔苛立って〕きこえてるんですか? あたし、今日にもここを立たなければいけないんです!
〔セレブリャコフ、ソーニャ、テレーギン、マリーナ登場〕
テレーギン  そういうわたしも。なんですか、あまり調子がよくございませんのですよ、先生。これでもう二日も気分がすぐれませんので。頭がなんだかどうも……
セレブリャコフ  ほかの人たちはどこだね? わたしはこの家は好かんね。だだっ広い部屋が二十六もあるんで、みんながちりぢりになっちまうんだから、いつだってだれ一人見つかりやしない。〔鈴を鳴らす〕マリヤ・ワシーリエヴナとエレーナ・アンドレーエヴナをお呼びしなさい!
エレーナ  あたしなら、ここにおりますわ、
セレブリャコフ  みなさん、着席をねがいます。
ソーニャ  〔エレーナのそばに行き、もどかしげに〕あの人、 何ておっしゃった?
エレーナ  あとで。
ソーニャ  ふるえているじゃない? 気持が動揺しているのね? 〔探るように相手の顏を見つめる〕わかっているわ……あの人、ここには今後出入りしないっておっしゃったのね……そうでしょう? 〔間〕教えて。そうなんでしょ。
〔エレーナ、うなずく〕
セレブリヤコフ  〔テレーギンに〕身体具合のわるいのは、まあ、どっちへ転んでも、まだあきらめがつくけれど、わたしがどうにも我慢できないのは、田舎の生活の仕組みだよ。まるで地球からどこか知らない天体へ舞いおりたみたいな気持だ。さ、みなさん、席についてください、どうか、ソーニャ! 〔ソーニャにはその言葉も耳に入らない。彼女は悲しくうなだれて、立っている〕ソーニャ! 〔間〕きこえないんだ。〔マリーナに〕ばあや、お前もお坐り。〔乳母、席について靴下を編む〕どうぞ、みなさん、ひとつ、耳の穴をかっぽじって、きいていただきたい。 〔笑う〕
ワーニャ  〔気持をたかぶらせながら〕ことによると、僕はいなくともいいんじゃありませんか? 行ってもいいでしょう?
セレブリヤコフ  いや、君はここではだれよりも必要な人なんだ。
ワーニャ  先生が僕に何のご用です?
セレブリヤコフ  先生だなんて……何を君は怒ってるんだね? 〔間〕もしわたしが君に対して何かいけない点があったら、どうか許してくれたまえ。
ワーニャ  そういう口調はやめるんですな。用件にかかりましょうや……何の用です?
 〔ヴォイニーツカヤ登場〕
セレブリヤコフ  あ、お母さんも見えたし。では始めます、みなさん。〔間〕みなさん、ここにみなさんをお呼びしたのは、いよいよこの町に検察官がくることをお知らせするためなのです。もっとも、冗談はよしましょう。まじめな問題ですから。みなさん、こうしてお集まりねがったのは、みなさんのお力添えと助言とを仰ぐためでして、日頃のみなさんのご親切を承知しているわたしとしては、お力になっていただけるものと期待しております。わたしは学者だし、書斎人でして、かねがね実生活には無縁な人間でした、事情に明るい人々の指図なしにはやっていかれないので、ぜひ、イワン・ペトローウィチ、君にも、イリヤ・イリーチ、あなたにも、それからお母さん、あなたにもおねがいしたい……問題は、マネット・オムネス・ウナ・ノクス、人間いつしか死ぬ定めにある、つまり、わたしたちはみな神さまの御心のままに生きている、ということです。わたしは年寄りだし、病身ですので、こと家族に関するかぎり、財産面の整理をしておくのを時宜にかなったことと見なすわけです。わたしの生活はもう終わりですから、自分のことはかまわんのですが、わたしには年若い妻と、嫁入り前の娘がおります。〔間〕田舎の生活をつづけることは、わたしには不可能です。わたしらは田舎向きに人間ができておりませんのでね。かといって、この領地からあがる収入で都会暮しをすることも、やはり不可能です。かりに森を売るとしても、それは非常手段でして、毎年それに頼るわけにはいかない、そこで、多少なりともきまった額の固定収入をわたしらに保証してくれるような方法を探す必要があるのです。わたしはそういう方法を一つ考えついたので、みなさんのご検討を仰ぎたいと思うのです。詳細は略して、要点だけ説明しましょう。うちの領地のもたらす収益は、平均してニパーセント以上にはなりません。わたしはこの領地を売ることを提案します。その代金を有価証券に換えれば、四ないし五パーセントの利息が入りますし、わたしの考えでは、何千ルーブルか残るはずですから、その金でフィンランドにささやかな別荘を買うこともできるのです。
ワーニャ  ちょっと待ってくれ……僕のきき違いのような気がする。今言ったことをもう一ペん言ってくれないか。
セレブリャコフ  代金を有価証券に換えて、残る分の金でフィンランドに別荘を買おうというんだよ。
ワーニャ  フィンランドのことじゃない……そのほかに何か言ったじゃないか。
セレブリャコフ  この領地を売ろうと提案してるんです。
ワーニャ  それ、そのことさ、領地を売るってわけだね。結構でしょうとも。豊かなアイデアだ……ところで、この僕は年老いた毋と、このソーニャをかかえて、いったいどこへ行けとおっしゃるんです?
セレブリャコフ  そういうことはすべて、その時になって相談しようじゃないか。何も今すぐじゃなくたって。
ワーニャ  待ってくれ。どうやら、今の今まで僕には常識のかけらもなかったようだ。今の今まで愚かにも、この領地はソーニャのものだとばかり思ってたんだからな。亡くなった僕の父が、僕の妹の嫁入り財産として買ったんだぜ。今日という日まで僕は無邪気にも、法律をそんなトルコ式でなく解釈して、この領地は妹からソーニャに移ったものと思っていたんだ、
セレブリャコフ  そう、この領地はソーニャのものだよ。だれに異存があるね? ソーニャの同意なしには、わたしだって売ることに決められないさ。おまけにわたしは、ソーニャの幸福のためにそうしようと考えているんだからね。
ワーニャ  理解に苦しむね、そんな話は。理解できんよ、それとも、僕の方が気でも違ったんだろうか、でなけりゃ……でなけりや……
ヴォイニーツカヤ  ジャン、アレクサンドルに逆らうんじゃありません。信ずるんです。何がよくて何がわるいことか、この人はわたしたちよりずっとよく知っているんですから。
ワーニャ  いや、水をくれ。〔水を飲む〕さあ、言いたいことを言ってもらおうじゃないか、何なりと!
セレブリャコフ  どうしてそんなに興奮するのか、わからんね。わたしだって、この案が理想的だとは言ってないんだよ。みんなが不適当と認めるなら、こだわりはしないんだ。〔間〕
テレーギン  〔おろおろして〕わたしは学問に対して単に敬意だけじゃなく、親近感をいだいてもいるんでございますよ、先生。わたしの弟のグリゴーリイ・イリーチの妻の兄にあたる、ことによるとご存じかもしれませんが、コンスタンチン・トロフィーモフィチ・ラケデモーノフと申す男が、博士だったものですから……
ワーニャ  待てよ、ワッフル、大事な話なんだ……待てよ、あとにしろ……〔セレブリヤコフに〕そうだ、彼にきいてみるといい。この領地は彼の伯父さんから買ったんだから。
セレブリャコフ  ああ、なぜそんなことをきく必要があるんだね? きいて何になるね?
ワーニャ  この領地は当時の金にして九万五千ルーブルで買ったんだ。父は七万しか払えなかったから、あとの二万五千は借金になって残ったんだよ。そこで、よくききたまえ……かりに僕が最愛の妹のためを思って放棄していなかったら、この領地は買い取れなかったはずなんだ。それだけじゃない、僕は十年間あくせく働き通して、借金をすっかり払い終わったんだぜ……
セレブリャコフ  こんな話を切りだして、悔やんでいるよ。
ワーニャ  この領地が借金もきれいに片づいて、破綻をきたさずにこられたのは、ひとえに僕個人の努力のおかげじゃないか。それを、こっちが年をとった頃になって、首根っこをつかんでここから放りだそうとするなんて!
セレブリヤコフ  わからんね、いったい君は何が狙いなんだ?
ワーニャ  二十五年もの間、僕はこの領地を管理して、働ききつづけ、この上なく良心的な管理人としてあんたに金を送ってきたのに、あんたはその間ただの一度だって礼を言ったこともないんだ。その間ずっと、若い頃も今も、僕はあんたから年五百ルーブルという金をもらうだけで、あんたは一度だって、せめて一ルーブルなりと増額することに思いいたらなかったんだからな!
セレブリャコフ  イワン・ペトローウィチ、どうしてわたしにそんなことがわかるね? わたしは実務的な人間じゃないから、何一つわからないんだよ。君は自分で好きなだけ増額できたはずだろうに。
ワーニャ まったく、なぜ僕は使いこまなかったんだろう? いったいどうしてあんたらは、使いこみもできなかったことで僕を軽蔑なしないんだ? その方が正しかったんだろうし、今頃こんな乞食同然の身でなくてすんだはずなのに!
ヴォイニーツカヤ  〔きびしく〕ジャン!
テレーギン  〔そわそわして〕ワーニャ、いけないよ、君、いけないよ……わたしゃ身体がふるえてならないよ……せっかくのいいつきあいをなぜこわす必要があるんだい! 〔彼に接吻する〕いけないよ。
ワーニャ  二十五年間というもの、僕はこの母と、まるでモグラみたいに家の中にこもりきりできたんだ……僕たちの考えも気持も、あんた一人に捧げてきたんだよ。昼間はあんたや、あんたの仕事の話をして、あんたを誇りにし、あんたの名前をうやうやしく口にしていたもんだし、夜は夜で雑誌や本を読むことにつぶしてきたもんさ、そんな本や雜誌なんぞ、今じゃ心から軽蔑してるけどね。
テレーギン  いけないよ、ワーニャ、いけないったら……わたしにはもう、とても……
セレブリャコフ  〔憤然として〕わからんね、何をどうしろというんだ?
ワーニャ  あんたは僕たちにとって最高の存在だったし、あんたの論文を僕たちはそらんじていたもんさ……しかし、今こそ僕は眼がさめたよ、何もかも見えるさ! あんたは芸術について書いたりしてるくせに、芸術なんか何一つわかっちゃいないんだ! 僕が大事にしてきたあんたの仕事なんぞ、一文の値打ちもないんだよ! あんたは僕らをごまかしていたのさ!
セレブリヤコフ  諸君! この男を静かにさせてくれんか、まったく! わたしは向うへ行く!
エレーナ  イワン・ペトローウィチ、あたし要求します、黙ってください! きこえるんですか?
ワーニャ  黙るもんか! 〔セレブリャコフの行手に立ちはだかって〕待てよ、まだ終わっちゃいない! お前は俺の人生を台無しにしてくれたんだぞ! 俺は生きていなかったも同然なんだ、生きていなかったんだ! お前のおかげで俺は人生の最良の時代を無にして、滅ぼしちまったんだぞ! お前は憎んでも憎みたりない敵だ!
テレーギン  わたしはもうとても……だめだ……逃げだそう……〔ひどく興奮して退場〕
セレブリヤコフ  わたしにどうしろと言うんだね? それに、いったい君は何の権利があって、わたしにそんな口をきくんだ? 下らん男だ。領地が君のものだというのなら、勝手にすりゃいいだろう! わたしはそんなもの要りゃせんよ!
エレーナ  あたし、今すぐこの地獄を出て行きます! 〔叫ぶ〕これ以上我慢できない!
ワーニャ  一生を棒にふっちまった! 俺は才能もあるし、頭もよくて、勇気があって……まともな生き方をしていりゃ、俺だってショペンハウエルやドストエフスキーになれたかもしれないのに……何を下らないことを言って! 俺は気が変になりかけてるんだ……母さん、俺はやけくそだ! 母さん!
ヴォイニーツカヤ  〔きびしく〕アレクサンドルの言う通りになさい!
ソーニャ  〔乳母の前にひざまずき、とりすがる〕ばあや! ばあや!
ワーニャ  母さん! 僕はどうすればいいんだ? いいよ、何も言わないで! どうすればいいか、自分でわかってるから! 〔セレブリヤコフに〕おぼえてろよ!〔中央の戸口から退場〕
  〔ヴォイニーツカヤ、そのあとにっづく〕
セレブリャコフ  諸君、これはいったい何てことです、結局! あの気違いをわたしから引き離してください。あんな男と一つ屋根の下に幕らすことなんかできるもんか。すぐそこに〔中央の戸口を指さす〕、わたしのほとんど隣に寝起きしてるなんて……村の百姓家か、離れにでも引っ越させるようにしてくれんか、でなけりゃ、わたしがここから引っ越す。とにかくあんな男と一つ家にこのままいるなんて、できんよ……
エレーナ  〔夫に〕あたしたち、今日ここを立ちましょうよ! 今すぐ手配する必要があるわ。
セレブリャコフ  実に下らん男だ!
ソーニャ  〔ひざまずいたまま、父の方に向き直る。神経質に泣き声で〕いたわりの心を持たなければいけないわ、パパ! あたしとワーニャ伯父さん、とっても不幸なんですもの! 〔絶望を抑えながら〕いたわりの心を持ってくださらなければ! 思いだしてちょうだい、パパがもっと若かった頃、ワーニャ伯父さんとおばあさまとで、毎晩パパのために何冊も翻訳したり、パパの原稿を清書したりしていたじゃないの……夜中まで毎晩、毎晩! あたしとワーニャ伯父さんは休む暇もなく働いてきたし、自分たちのためには一カぺイカも使うまいと気にして、そっくりパパに送ってきたのよ……あたしたち、むだに御飯をいただいてたわけじゃないわ。あたし、見当はずれのことを言ってる。あたしの言いたいのはそんなことじゃないんだけど、パパはわかってくださるはずよね。いたわりの心を持たなければいけないわ!
エレーナ  〔興奮して、夫に〕アレクサンドル、おねがい、あの人とよく話し合って……おねがい……
セレブリャコフ  よかろう、話し合ってみよう……わたしは別に彼を非難してるわけじゃないし、怒ってもいないけど、しかし、そうだろうが、あの男の振舞は少なくとも異常だよ。いいだろう、彼のところへ行ってくる。〔中央の戸口から退場〕
エレーナ  なるべく穏やかにして、気を静めてあげて……〔夫につづいて退場〕
ソーニャ  〔乳母にとりすがって〕ばあや! ばあや!
マリーナ  大丈夫ですよ、お嬢さま。鵞鳥だって少しガアガア騒げば、鳴きやむんですから……少しガアガア鳴いて、やめるでしょうよ……
ソーニャ  ばあや!
マリーナ  〔彼女の頭を齢でてやる〕ふるえていなさるのね、冬のさなかみたいに。おお、おお、可哀そうに。でも神さまはお慈悲深いですからね。菩提樹のお茶か、エゾイチゴの煎じ汁を飲めば、すぐによくなりますとも……嘆くことはありませんよ、可哀そうに……〔中央の戸口を見て、腹にすえかねたように〕おや、鵞鳥がまた騒ぎだした、いまいましいったら!
 〔舞台裏で銃声。エレーナの悲鳴がきこえる、ソーニャ、びくりとする〕
マリーナ  ほんとにも!
セレブリヤコフ  〔恐怖のあまり、よろめきながら走りこんでくる〕あいつを抑えてくれ! 抑えてくれ! 気が違ったぞ!
  〔エレーナとワーニャ、戸口で争う〕
エレーナ  〔相手からピストルを取りあげようと努めながら〕よこしなさい! よこしなさいと言ったら!
ワーニャ  放してくれ、エレーナ、放してください! 〔身をふりきり、部屋に駆けこんで、セレブリャコフを眼で探し求める〕どこにいる? あ、いたな! 〔彼を狙って射つ〕 どうだ! 〔間〕当たらないか? またはずれたのか! 〔憤然として〕えい、畜生、畜生……くそ……〔ピストルで床を殴りつけ、ぐったりして椅子に坐る。セレブリャコフ、腑抜けのようになっている。エレーナ、壁にもたれかかる。気分がすぐれない〕
エレーナ  あたしをここから連れだして! 連れだしてちょうだい、いっそ殺して、でも……こんなところに、あたしこのままとてもいられない、いられないわ!
ワーニャ  〔絶望しきって〕ああ、俺は何をしているんだ! 何をしているんだ!
ソーニャ  〔小声で〕ばあや! ばあや!

          幕

  原卓也さんはチェーホフの四大戯曲の翻訳にも取り組んでいるが、この名訳も読書社会から消え去ってしまった。ウオールデンは原卓也訳の四大戯曲を復活させることにした。

 原卓也。ロシア文学者。1930年、東京生まれ。父はロシア文学者の原久一郎。東京外語大学卒業後、54年父とショーロホフ「静かなドン」を共訳、60年中央公論社版「チェーホフ全集」の翻訳に参加。助教授だった60年代末の学園紛争時には、東京外語大に辞表を提出して造反教官と呼ばれたが、その後、同大学の教授を経て89年から95年まで学長を務め、ロシア文学の翻訳、紹介で多くの業績を挙げた。ロシア文学者江川卓と「ロシア手帖」を創刊したほか、著書に「スターリン批判とソビエト文学」「ドストエフスキー」「オーレニカは可愛い女か」、訳書にトルストイ「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」などがある。2004年、心不全のために死去。

 


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