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あんたはこの村に火の見櫓を建てる人なんだ

おれは消防団に加わり、つぶされた家の下からいくつも遺体を取り戻し、解体屋になって半壊家屋を打ちこわし膨大な瓦礫を撤去し、建設チームの大工となって仮設住宅を建てていくと、次第におれののなかに湧き立つものがあった。いまだ行方不明の親父の声がおれにとどけられたからなのか、鉄工所を再建してくれ、四代目の鉄骨屋になって、玉城村で生きろ、という声が。そのときまだおれは東京に帰るつもりだ。おれはロックンローラーであり、おれが生きるスタジオは東京だ。一段落したらそのスタジオにこもり、おらが村の悲劇を歌い、おれが再生していくロックをつくりだそうと思っていた。

その頃この村にも東京から名の売れた歌手がやってきて避難所で歌ってくれた。体育館に雑魚寝状態で、ずたずたに切り裂かれ、ぼろぼろになった心を取り繕って毎日をやり過ごしている避難者たちに、癒しと愛と希望と勇気とがんばれという歌を歌ってくれた。しかしそんな歌で避難者たちが癒されるのか、そんな歌で明日が見えない絶望の底に沈んでいる避難者たちに新しい道を切り開く勇気がもらえるのか。その歌手のボランティアなるものが、一時の気休めの余興であり、自己満足するためのカラオケタイムに過ぎないということがおれには見え見えだった。

おいおい、それはおれのことを言っているんだろうが。今、おれの傍らに翔太という名の若者が立っている。おれより十歳も若い。しかしこいつはおれのロックに鉈を打ち込んでくるんだ。べたべたとべたついた腐ったようなラブソングはやめてくれって。闇夜の果てから叫ぶ負け犬の遠吠えのようなあんたのロックはウザったいって。火の見櫓をたてたこともないくせに、いつも美しくあれ、くじけるな、そこに毅然として立っていろと叫ぶあんたのロックは偽りの音楽だって。

そんなとき木村のおばちゃんからプレハブ小屋を建ててくれてって頼まれるのだ。おばちゃんの家もすべてが流されて仮設住宅暮らしだった。この仮設住宅暮らしが息苦しくてたまらなかった。毎日何もすることがない。こんなところでこのまま人生を終わらせるわけにはいかない。やらなければならないことがある。それで、プレハブ小屋をたてて、食堂を開業するというのだ。村に復興復旧の槌音はなく、壊滅したままの状態で一軒の飲食店もなかった。沈み込んだままの村に、みんなが元気になる食堂を打ち立てたいというのだ。木村のおばちゃんは七十を二つか三つ越えていた。そのおばちゃんが憤然として立ち上がったんだ。

そいつは親父の仕事だった。しかしおばちゃんはおれを四代目の鉄骨屋だと見立ててその仕事を投じてきたのだ。おれは受けて立った。すると親父の築いた「鉄骨屋の会」の仲間が集まってきた。大工、鳶、棟梁、電気屋、建具屋、ペンキ屋、水道屋、建材屋、左官屋、瓦斯屋、居酒屋、酒造屋、郵便局員、会計士、漁師と。親父の築いた人間の土台は毅然として立っていた。大半が親父の年代に人たちだったが、みんなともに立ち上がるのだという青年のような気迫がただよっていた。たちまちプレハブの小屋が建てられた。更地状態のままになっていた玉城村に《家庭食堂》の幟旗がひるがえった。村民から沸き上がった復旧復興の幟旗だった。その食堂が開業された日に小林のおばちゃんがおれに言った。

「あんたはね、四代目の鉄骨屋として生まれきたんだよ。あんたはこの村に火の見櫓を建てる人なんだ」

その一言でふらふらと揺れていたおれの意思は決まった。四代目の鉄骨屋になるとおれの心が決定的に動いた一瞬だった。おれは復活の工場建設に踏み出した。ところが役場からストップがかかった。そんなところに勝手に工場など建てないでくれ。そんなところに工場を建てられたら、玉城村復興復旧のプランがすべてご破算になる。いくらあんたの土地だからって、そこに建造物を建てる個人の自由は許さない。今はあんたのエゴを捨てて玉城村復活のプロジェクトに従ってくれ。村役場の行政指導にさからって工場を建てたって、そこに電気も水道も下水道も敷設することはない。村に敵対するそんな無謀なる違法建築から即刻破棄せよという村のレッドカードをだしてきた。

おれが鉄骨屋になって、四代目に鉄骨屋としてこの地に立つということは、このレッドカードを投じる玉城村役場の役人たち、その背後にいる県庁の官僚たち、さらにその背後で国家の予算の牛耳る霞が関の官僚たちと戦うことなのか。


 

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